第14話 放蕩皇子の野望

文字数 4,704文字

 現在この大陸では北の大国ロマリオン帝国と、そして一度は滅びたものの軌跡の復興を遂げた南のエレシエル王国の2大国が戦争状態にあった。

 現在は直接的な戦闘下にはないものの一触即発の状態が続いており、またソニ他の小国家群もロマリオンに対しての警戒を続けているので、情勢は戦時中と言って差し支えなかった。

 民の多くは明日にも始まるかも知れない戦争に不安を募らせ嘆き暮らす者が多いが、そんな中でも逞しく戦時下を生き延び渡り歩く者達も存在した。

 それは商売を生業とする者達……特に国家の間を渡り歩く行商人達にその傾向が顕著であった。

 自給自足が出来る農家ならいざ知らず、それ以外の大半の民は物流が滞れば生活に大打撃を受ける事になる。それは民だけでなく軍人や貴族も同じ事だ。だから例え戦時中であろうと行商の需要はあり続け、むしろ物流が滞りがちな戦時中こそ需要と供給の関係から莫大な利益を上げるチャンスだと、生業に勤しむ商人達も数多く存在していた。

 尤も戦時中において多くの商人が行商を敬遠し、物流が滞りがちになるのには理由があって……




「……ふぅぅ! やっと終わったな! 全く……一隊商の検問(・・)に丸一日以上も掛けるなんて馬鹿げてるな! 完全な労力の無駄だ!」

 両大国の国境付近に築かれた関所を通過してエレシエル王国の領域に入国を果たした小規模の隊商。その隊商に護衛の1人として雇われている軽薄そうな雰囲気の若い傭兵が、うんざりした様子で溜息を吐いた。

「カスパ……ガストン(・・・・)、それは仕方がありませんよ。両国は戦争中で互いにスパイなどを相当警戒しているでしょうし」

 連れ合いと思われるもう1人の傭兵が彼を宥める。傭兵……にしてはかなり若い。年の頃は精々が15歳にも満たない少年であった。しかし一端の傭兵のように軽鎧に身を固めて腰には剣を佩いていた。

 ガストンがチラッと少年に視線を向ける。

「ふん! 半年前まで記憶喪失(・・・・)だった奴の言葉とは思えんな! それとスルスト(・・・・)……名前だけでなく言葉遣いも改めろ。仲間の傭兵に敬語で話す奴がどこにいる?」

「……! も、申し訳……いや、すまない、ガストン」

 最後は声を潜めて耳打ちするガストンに対して少年――スルストは恐縮したように、しかし思い直して極力うっそうとした声で答えた。

「そうそう、それでいいんだ。……ふふふ、しかし折角のその厳重な検問も、こうして俺達を通してしまった時点でご愁傷様という奴だな」

 ガストンは自身の茶色い髪(・・・・)を弄りながらエレシエルの国境警備を嘲笑う。鏡で確認したが瞳の色も茶色になっているはずだ。そして改めて黒髪黒瞳(・・・・)のスルストを見やる。


「ふふ、とはいえ……髪や瞳、肌の色に至るまで人の外見をそっくり変えてしまう、この魔法の如き力(・・・・・・)を見破れというのが酷な話か」


 ガストン……否、ロマリオン帝国第二皇子のカスパールは、目の前の少年が自分と彼自身の姿を変えた時の事を思い出していた。

 スルストが全く聞き取れない異形の言語で叫ぶと(・・・・・・・・・)、次の瞬間にはカスパールとスルストの姿は今のように変わっていた。城でその情景を間近に見た父グンナールと兄ハイダルの唖然とした間抜け面を思い出すと今でも笑いが込み上げる。

 そしてカスパールは少数精鋭(・・・・)によるエレシエル潜入とクリームヒルトの救出を提案したのであった。即ち自分とスルストの2人でだ。

 これにはいくつか理由があり、1つには作戦の性質上生半可な者を人数ばかり連れていても足手まといにしかならず、エレシエル側に察知されやすくなってしまうという事。

 もう1つはスルストのこの『幻覚』の力は、現時点では(・・・・・)常時維持できるのが自分を含めて2人までという事。

 そして最後の1つ……これが一番大きな理由だが、彼はこの作戦を自分と子飼いのスルストの力のみで成功させ、その手柄によって今の蟄居を解かせ、あわよくば皇位継承の争いに名乗りを上げるという野心があった。

 このスルストの力があれば、それは決して夢物語ではないはずだ。

 しかもこの少年は会った事もないはずのクリームヒルトに妙に執着している様子があり、彼女を救出するという今回の作戦に対して非常に乗り気で自分から志願した程であった。

 スルストはまだ少年だが外見も悪くないし、何よりも『力』がある。自分を無事に土人共から救出した北方人種の少年に対してクリームヒルトももしかしたら絆される可能性だってある。

 もし陪臣である子飼いのスルストと妹が結婚という事にでもなれば、カスパールの発言力は確実に増大する。そうなれば本当に兄ハイダルを蹴落として、カスパールがロマリオン帝国の皇帝の座に就く事も夢ではなくなる。


(全く……本当にいい拾い物だったよ、コイツ(スルスト)は。やはり俺は運がいい)

 カスパールは充分訪れる可能性のある未来に思いを馳せて、内心で含み笑いを漏らす。

 自分は正直エレシエルとの戦争などどうでもいい。度台一つの国家が、文化も風土も異なるこの大陸全てを支配するなど無理な話なのだ。その無理が祟って今のような状況になっているのだ。

 だが父も兄もその事を理解せずに、ただロマリオンと北方人種の優位性と至高性を妄信しており、大陸全てにあまねくロマリオンの威光を齎すという妄執(・・)に取り憑かれている。それがこの泥沼の戦乱を引き起こしたのだ。

 もし自分が皇帝になれたら、まずやる事はエレシエル王国との和平(・・)だ。その後は小国家群とも徐々に元の関係性を取り戻していく。

 この大陸全てを支配などせずともロマリオンは充分な大国なのだ。カスパールにはそれが維持できれば充分であった。分不相応な野心は自分は勿論、ロマリオンという国まで滅ぼすだけだ。英雄シグルドの死と、それに伴う新生エレシエル王国の復興及び小国家群の結託造反は、既にその予兆とも言えた。

 カスパールは父や兄と心中する気は毛頭なかった。エレシエル王国とはたまにガス抜き(・・・・)程度に小競り合いを繰り返すくらいが丁度よいのだ。



(さて……その未来の為にもこの作戦は何としても成功させないとな)

 彼がそんな風に作戦の内容について精査していると、隊商は小高い丘に挟まれた谷間に差し掛かった。そこで……

「ひぃぃ!? ま、魔物! 魔物の襲撃だぁぁぁっ!!」
「……!」

 隊商の人間達が上げる悲鳴でカスパールは思考を中断させる。因みにこの隊商は本物の民間の商人達であり、カスパールとスルストはエレシエルに向かう隊商の1つに身分を隠して護衛として雇われていたのだった。

 そしてどうやら仕事(・・)の機会が回ってきたようだ。左右の丘の斜面を、何十頭もの大きめの猿のような姿の魔物達が奇声を上げながら駆け下りてくる。レベル2の魔物、ロックアイン共だ。

 それだけでなく群れには何匹か明らかに体格の大きい毛並みの違う個体が混じっている。恐らくレベル3のエルダーアインだろう。


「ひぃ!? お、おい! 高い金払ってるんだ! 奴等をなんとかしろっ!」

 隊商の責任者が喚く。たかがロム金貨5枚程度が『高い金』というのにカスパールは失笑しそうになったが、今の彼はあくまで傭兵なので表には出さないでおく。

「ふぅ、仕方ない。スルスト、準備しろ」
「ああ」

 カスパールは自らの腰に佩いた二振りの曲刀(シミター)を抜き放つと、スルストにも準備を促した。少年は魔物の群れが襲ってきているというのに全く平時と変わらない様子で軽く頷くと、背中に背負っていた、その身の丈には合わないような大剣(クレイモア)を抜き放った。

「さて、俺が右側をやる。お前は左側の群れを片付けろ」
「ああ」

「な…………」

 左右からそれぞれニ十頭以上もの魔物の群れが迫ってきているというのに、それを互いに1人で相手するというのか。責任者は唖然としてしまう。

「馬鹿な、無茶だ! 他の傭兵達と一緒に――」

「――必要ない。邪魔なだけだ。他の連中は全員積み荷を守っていろ」

 それだけを言い捨てるとカスパールは、一切の躊躇いなく自ら魔物の群れ目掛けて斜面を駆けあがっていく。同時にスルストも反対側の群れに向かっていく。


 そしてそこからの展開は……正直、隊商の責任者は自分の見ている光景が現実の物とは思えなかった。


 僅か10分程度の時間で……丘の斜面は何十体もの魔物の血で染まる事となった。


 カスパールは投げつけられる投石を華麗な体捌きで軽々と躱すと、魔物の群れの只中に突っ込んだ。そして二振りの曲刀は優雅でありながら恐ろしい程の正確な軌道で、魔物の急所を一撃で斬り裂いていく。

 それは恐ろしくも美しい死を呼ぶ舞踏であり、曲刀が煌めく度に魔物の悲鳴が上がる。四方八方から襲われながら、まるで離れた所から自分の姿を俯瞰しているかの如き視野と体捌きで、全ての魔物の攻撃をいなす。

 雑魚だけでなくレベル3のはずのエルダーアインも全く同じように斬り伏せられていた。彼にとってはレベル2もレベル3も大差ない有象無象という訳だ。群れの大半が斬り伏せられて恐怖を感じた魔物達が逃走に転じると、カスパールはそれ以上追撃せずに剣を収めた。


 これだけでも驚嘆すべき状況だったが、左側の戦場では更に驚くべき光景が展開されていた。まだ15にも満たないだろう少年が、大男でも振るうのがやっとだろうという馬鹿げたサイズの大剣を、まるで子供が棒切れを振り回すが如き勢いで扱っていたのだ。

 魔物達は一溜まりも無くまとめて斬り倒されていく。それはまるで庭師が雑草を刈り取るかのような光景であった。やはりエルダーアインも一撃で両断されていた。

 こちらも勝ち目がないと悟った魔物の群れが算を乱して逃げ散っていく。しかしスルストはカスパールと異なり追撃する意思を見せた。

 といっても奇妙な事に群れを追い掛けずに、その場に大剣を突き立てたのだ。そして魔物達の背中に向かって胸を張って大きく息を吸い込む(・・・・・・・・・)ような動作をした。まるで何かを吐きつける(・・・・・・・・)かのような奇妙な挙動だ。そして彼の口が叫びと共に開かれる寸前――

「――スルスト、そこまでだっ!!」
「……!」

 カスパールの制止によってスルストの動きが止まる。その間に魔物たちは丘の向こうに逃げていった。


「とりあえず追い払えば充分だ。それよりお前の『力』を見せれば、いらん騒ぎを引き起こす可能性が高い。それがハイランズにいる連中の耳に届かんとも限らん」

「……そうだな。解った」

 スルストは闘気を収めて戦闘態勢を解いた。息を詰めて見守っていた責任者らは、ホゥ……と大きく息を吐いた。

「あ、あんたら一体何者だ? ただの傭兵って訳じゃないだろ?」

 だが一般人の気を引くにはこれでも充分なパフォーマンスだったようだ。カスパールは嘆息した。怪しまれない為にはある程度の目的を打ち明けておく必要がある。

「まあ、な。聞くところによると、今エレシエル王国では剣闘が盛んらしいからな。『ニューヘブン』だったか? そこにある大闘技場で一旗揚げるのが目的だ」

「け、剣闘士志願だったのか。道理で強いわけだ。あんたらなら間違いなく【エキスパート】……いや、【マスター】階級だって夢じゃないだろうぜ」

 他の傭兵の1人が納得したように頷く。カスパールはこれから向かう事になる場所の情報を仕入れておく事にする。

「ほぅ? 俺達はまだ余り大闘技場のシステムに詳しくなくてな。良かったら道中、あの闘技場と試合内容について教えてくれないか?」

「あ、ああ。そんな事くらいなら構わねぇぜ。あんたらのお陰で楽して報酬が貰えそうだしな」

 傭兵はコクコクと頷いた。


 そして移動を再開した隊商は途中の街でも行商を続けながら一路、王都ハイランズを目指して南下していくのであった……

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