エピローグ 開かれた円環

文字数 4,539文字

 北の大国ロマリオン帝国。その更に北側に位置するシルヴィス伯爵領。

 全体的に土地が痩せているロマリオン帝国内にあって更に不毛の地として知られ、碌な産業もなく人口が少なく、結果として税収も少なく、1年の4分の3は雪に覆われた過酷な気候も相まって、帝国においても専ら左遷された貴族や将軍が封ぜられる一種の流刑地(・・・)として名高い地方。

 ここに左遷された貴族はシルヴィス伯の身分を与えられて、強制的にこの地方での蟄居を余儀なくされる。様々な理由から当代(・・)のシルヴィス伯がいなくなっても、新たな伯爵候補(・・)が順番待ちで控えており、結果として領主(・・)の地位に空白が出来たことはない。

 現在も前領主(・・・)のカスパールがいなくなった事で、既に新たなシルヴィス伯が赴任(・・)していた。帝都で公金の横領が発覚した上級役人らしい。

 そんな流刑地たるシルヴィス領だが、この地にはもう一つ大きな特徴があった。その領地の実に3分の1程度を広大な山脈の入口でもあるニドヘグ山が占めているという点である。

 ニドヘグ山は裾野は穏やかな物だが中腹に差し掛かるに従って道は険しくなり、また雪原山岳に適応した多くの魔物が生息する危険地帯となっていく。魔物の中にはレベル5のフロスト・トロールやレベル6のブリザード・エッジなど高レベルの魔物も混じっており、まともな人間はまず近寄る事がない文字通りの人外魔境の聖域となっていた。

 だが旅人や隊商程度なら通れなくとも、軍隊(・・)となれば話は別だ。



 山道に行軍音が鳴り響く。ニドヘグ山の上層部にあるとある地点を目指して大勢の武装した兵士達が登っていく。彼等は皆、ロマリオン帝国軍に所属する正規兵たちであった。帝国騎士も何人か混じっている。

 そして現在私が指揮官(・・・)として率いている部隊でもある。

 大勢の武装した兵士達が行軍する様に、この山に生息する魔物達はその多くが部隊の数と陣容に恐れをなして、そもそも近寄ってこず逃げ散っていったが、一部のレベルが高い魔物などは構わず襲ってくる事もあった。

 しかし流石にフロスト・トロールやブリザード・エッジなどでも、これだけの軍隊相手なら撃退にはそう苦労しない。ましてや今は私だけでなく……


「クリームヒルト。襲ってきたフロスト・トロール2体、無事に殲滅を完了した。いつでも行軍を再開できるぞ」

「ご苦労さま、ジェラール(・・・・・)。それじゃ進みましょうか」

 この部隊の副官(・・)であるジェラールから報告を受けた私は、常に護衛として付き従っているセオラングを連れて再び部隊の行軍を再開する。


****


 あのエレシエルからの脱出劇から怒涛のような日々が過ぎた。ジェラールの助けもあって無事にガレノスに戻った私は、久方ぶりに踏んだ故郷の大地とその空気を吸って涙が出そうになったが、感傷に浸っている暇はなかった。

 無事に生還した私を見て、お父様やハイダル兄様は勿論喜んでくれたが、同時に私が変わった(・・・・)事にも敏感に気づいた。純粋に私の帰還を祝ってくれたのはお母様だけであった。

 私は自分を救ってくれた功績を説いてジェラールを士官させる事に成功し、着々と自らの地盤を固め始めた。今まで何の後ろ盾もなかった私が短期間で躍進できた要因として、勿論側近(・・)となったジェラールの働きが期待以上であったのが一番だが、それだけでなくセオラングの存在も大きかった。

 魔物を自発的に服従させた例はこの帝国においては皆無であり、それだけで帝国の高官達や将軍達からも一目置かれるようになったのだ。

 帝位争いにある程度の手応えを得た私は、シグルドとの約束を果たすべき時が来た事を悟った。これ以上時間を掛けると新たな悪夢が誕生してしまう危険もあった。

 そして自らの権限で動かせるようになった部隊を率いて、このニドヘグ山へと赴いたのであった。


****


 山を登りはじめて丸一日ほどの時間を掛けて、その間に散発的に襲ってくる魔物を撃退しながら、私達はようやく目的の地点に到達していた。

 そこは山の中腹に開かれた巨大な洞穴の入り口であった。既にかなりの高度に登っているだけあって周囲の気温はかなり低いが、この洞穴の中からは更に冷たい空気が吹き付けてくる。

「……!」

 私は身震いした。それは吹き付ける冷気だけが原因ではなかった。

 いる(・・)

 私にだけ感じられる感覚でそれが解った。この場所自体はあの夢の中(・・・)でシグルドから聞いていたが、ここまで近づいた事で私の予感は完全なる確信に変わった。


「……よし、行くわよ」

 意を決した私は兵士達をこの洞穴の入り口の警備に残して、ジェラールとセオラング、そして私に個別に忠誠を誓った信頼できる何人かの騎士達だけを伴った少数精鋭で洞穴の内部に踏み込んでいく。

 洞穴はかなり広々としていた。相当に巨大な生物(・・・・・)でも、ここを通って出入りする事はできそうだ。

 洞穴の中は当然真っ暗であり、私達は松明やランタンの頼りない灯りしか光源が無かったが、夜目が効くセオラングが先導してくれた事もあって、特に事故もなく安全に進む事が出来ていた。

 しばらく通路を進むと暗闇の先に淡い光が見えてきた。ぼんやりとした青い光で、見ようによっては幻想的にも感じる。

 慎重に近づいていくと、やがてその光の正体(・・)が解ってきた。


「……! おぉ……こ、これは……」

 騎士の1人が感嘆とも畏怖(・・)とも付かない呟きを漏らす。

 そこは洞穴の奥。一際広い楕円形の巨大な空洞が広がっていた。というより相当な広さだ。恐らくガレノスの城で最も面積があるメインダンスホールより広いのではなかろうか。

 そしてこの空間は一面が()で覆われていた。それだけでなく空洞の至る所に数メートルはある巨大な氷晶が突き立っていた。

 何故空洞の全容が見渡せるのか。それはこの空洞の天井部分には僅かに縦穴が開いており、そこから弱い太陽の光が降り注いでいるからだ。その光が氷晶や壁の氷に当たって反射し、青白いぼんやりとした光を放っていたのだ。それは一見、この空洞にある氷晶自体が発光しているようにも見えた。

 その氷晶が放つ淡い青光が、この空洞全体をぼんやりと照らし出しているのだ。それは何とも美しく幻想的な光景であった。


 だが……騎士が畏怖の呻きを漏らしたのは、勿論それらの風景が原因ではない。この広い空洞の丁度中央辺り……そこに他の氷晶にも増して巨大な氷の塊が鎮座していた。

 その氷塊に半ば埋没するようにして、1人の女性(・・・・・)が囚われて眠りに就いていたのだ。その女性の上半身(・・・)は裸の女性の身体であったが、下半身は……まるで巨大なミミズが何百匹も絡まりあったような醜い肉塊と化していた。

 その肉塊から管のようなものが何本も突き出て、その管はやはり氷に覆われたもう少し小さい肉の塊にそれぞれ連結されており、それらの小さな肉塊は管の拍動に合わせて一定のペースで蠢動していた。

 それは周囲の幻想的な風景とは対照的な、何とも胸が悪くなるような醜くおぞましい光景であった。


「信じられん……。これは……この女性は、まさか本当に……?」

 滅多な事では動じないジェラールも流石にこの光景には驚愕を禁じえないようで、私に確認を求めるように振り向いた。私ははっきりと頷いた。


「ええ…………ヘルミール(・・・・・)本人よ」


「……っ!!」

 ジェラールだけでなく他の騎士達も一様に目を瞠った。セオラングだけはキョトンとしていたが。


 ヘルミール。古の建国神話に登場する建国王イングヴァールの妹姫で、フロスト・ドラゴンとの契約の為に自らその生命を捧げたとされている悲劇のヒロイン。

 しかし現実(・・)にはフロスト・ドラゴンが人間に転生する為の苗床(・・)にされた哀れな女性。彼女は実在の人物であったのだ。シグルドから真実(・・)を聞いていた私はそれを知っていたが、ジェラール達にとっては俄には信じがたい物であろう。

 今私達は、神話に登場するような古代の人物を直接その目で見ているのだ。ただし、邪悪な魔物によって変質(・・)させられたおぞましい姿ではあったが。


「これは、生きているのか?」

「半分死んで、半分生きている状態、だそうよ。彼女はその死後もドラゴンボーンを生み出す装置(・・)として利用され続けているのよ」

「……!」

 私が生まれてすぐ間引かれる事なく成長し、始原のドラゴンボーンが遺した呪詛(・・)の条件を満たした事によって、この休眠していた装置が稼働(・・)を始めたのだ。フロスト・ドラゴンは最初からそのような事態を見越していたのか、こうして保険(・・)を掛けていた訳だ。

 そしてこのおぞましい装置によってシグルドやスルストが生み出されて、世に送り出された。私と交わり(・・・)、フロスト・ドラゴンとして完全復活を遂げる……。ただその目的の為だけに。

「…………」

 私は憐憫の目で、『ヘルミール』と肉の管で繋がったいくつもの小さな肉塊を見回した。この中の一つから、スルストに替わる新たなドラゴンボーンが誕生するのだろう。そしてまた呪われた連鎖を繰り返す……。

 もう終わりだ。この呪われた忌まわしい宿命に終止符を告げなければならない。そしてヘルミールや誕生する事のなかったドラゴンボーン達に永遠の安息を与えなければならない。


 私はジェラールや他の騎士達に合図をする。彼等は頷いて、持参していた大きな油袋から次々と油をぶち撒けていく。『ヘルミール』やそれと連結されたドラゴンボーンの『繭』にも等しく油を掛けていく。

 ここは言ってみればフロスト・ドラゴンの心臓部だ。過酷な環境やこの山に住まう魔物達は、この心臓部を護る警備兵の役目を兼ねていたのだろう。だがシグルドによって私にこの場所の存在を知られた事がフロスト・ドラゴンの命運を決定づけた。


 騎士の1人が火種を用意する。私達はその間に安全な場所に退避する。騎士が火種から着火して油に落とし込むと、火は猛烈な勢いで燃え上がった。『ヘルミール』も『繭』も……すべてが業火に飲み込まれていく。

 『ヘルミール』がその目をカッと見開いた。そして世にもおぞましい叫び声を上げる。そしてその叫び声ごと炎の中に消えていった。『繭』も炎に包まれて次々と内側から爆ぜていく。

「…………」

 私はその光景を眺めながら、彼等の呪われた生命のせめてもの冥福を祈った。これでようやくシグルドとの約束を果たせた。そして私はたった今、遠い祖先より連綿と続いてきた自らの宿業から解放されたのであった。



*****



 この数年後、皇太子であったハイダルとの政争に勝利したクリームヒルトは、父である皇帝グンナールに大陸全土を巻き込んだ泥沼の大戦で国家を大きく疲弊させた責任を取って、自主的(・・・)に退位する事を要求。

 その後1年も経たずに、ロマリオン帝国史上初の女帝(・・)が誕生する事となった。

 女帝となったクリームヒルトはすぐに少国家群との関係改善に乗り出し、そして長年の宿敵でもあったエレシエル王国とも暫定的ではあるが正式な停戦条約を結ぶ事に成功した。長きに渡る戦争がついに終結を見た瞬間であった。

 クリームヒルトとエレシエル王国の女王であるカサンドラとは深い因縁がある事を今や大陸中の民衆の殆どが知っており、この2人の女性指導者の確執と駆け引きは、その後も大いに大衆の興味を惹き付け続けていく事になるが、それはまた、別の話……



Fin
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