第40話 ゲッタウェイ

文字数 4,492文字


 Gie! Gieee!!

 チュパカブラスは奇怪な叫び声と共に、その両足に生えた鉤爪を向けて私を襲ってくる。

「くそ! 離れなさい!」

 私は今度はやや上に向けて双刃剣を振るって巨大コウモリを牽制する。壁に張り付いて上体だけ捻ってるような不安定な体勢では牽制以上の事が出来ない。

 そして下からはやはりダイヤウルフが私の足に噛み付こうと牙を剥いてくる。それを牽制すると今度は上がおざなりになり、チュパカブラスの鉤爪に襲われる。

 駄目だ。最早この状況ではこれ以上一歩も壁を登れる気がしない。私は歯噛みすると壁から身を剥がして地面に降り立つ。


 相変わらずダイヤウルフは私の周りを走り回って攪乱してくる。そして頭上からはチュパカブラスが。地上と上空、どちらにも警戒を余儀なくされる。

 しかしチュパカブラスのような飛翔能力を持った魔物では、簡単に『虫籠』を飛び越えて観客に襲い掛かってしまうのではないか。 

「……!」

 一瞬そう考えたが、『虫籠』の外からレイバンが闘気を発散させた状態で、いつでも短剣を投擲できるように準備しているのが見えた。どうやらレイバンが牽制・威圧する事で、私にのみターゲットが向くように仕向けているらしい。

 くそ、どの道やるしかないという事か。現状だとやはり壁を登るに当たって大きな障害となる、飛翔能力を持ったチュパカブラスの方が厄介だ。私もこれまでの立ち回りでかなり体力を消耗してきている。息が上がってるのが自分でも解る。

 このまま持久戦を続けていてもそう遠くない内に限界が訪れる。その前に何としても壁を登って脱出しなければならない。


 ダイヤウルフが私の足を狙うように低い姿勢で牙を剥いてくる。だが決して深くは踏み込んでこない。あくまで牽制(・・)が目的のようだ。だが隙を見せれば牽制は容易く本命の攻撃に変わるので無視する訳にも行かない。

 そして私の注意が下に向くと、それは上空にいるチュパカブラスの絶好の攻撃機会だ。恐らくダイヤウルフはわざとこうやってチュパカブラスを私にけしかけて(・・・・・)いる。既に私はそれを確信していた。

 最初にエルダーアインと共に投入された時は、間違いなく変哲もない存在だった。だから私もエルダーアインの方が厄介と思って向こうを狙ったのだ。私が一旦壁を登る動作を見せて、その後のリュンクスの攻撃に対処している辺りから、こいつは急速に知恵を付け(・・・・)はじめた。

 それに心なしか身のこなしの方も、徐々に私の剣術に対応(・・)し始めてキレが上がっているように感じた。


 Gigiiiii!!

「……!」

 だがやはりチュパカブラスの攻撃で私の思考は中断される。私の頭上を狙って上空から急降下を繰り返す巨大コウモリ。人間の戦闘に於いて基本的に頭上というのは、想定されていない死角(・・)だ。

 それは双刃剣であっても例外ではなく、対処しようとするとどうしてもぎこちない動きになって隙が大きくなる。そうなると今度は下からダイヤウルフが襲ってくる。

「くそぉ……!」

 私は思わず悪態を漏らしながら必死に上下からの攻撃に交互に対処し続ける。このままでは私の体力だけが無駄に削られていく。

 決断のしどころだ。どの道このままでは再びジリ貧になるだけだ。今のダイヤウルフを倒すのは少々手こずりそうだ。その間にチュパカブラスに上から攻撃されるのは避けたいし、何より先程考えた通り、壁を登らなくてはならないので明らかにチュパカブラスの飛翔能力が厄介だ。


 私は奴等の連携の一瞬の隙を突いて、大きく後ろに跳び退って距離を取る。そして向かってくる2匹に対して双刃剣を旋回させて、風車の刃で2匹同時に牽制する。2匹は苛立って風車を迂回するように散開して挟撃を仕掛けようとしてくる。

 よし、上手く行った!

 2匹の距離が離れた瞬間を狙って、私はチュパカブラスの方に脇目も降らずに突進する。私が自分を狙っているのを悟ったチュパカブラスは慌てて皮膜翼をはためかせて高度を上げようとするが、そうはさせない。

「おおおぉぉっ!!」

 私は気合の叫びと共に跳躍した。ただし今度は壁に張り付く為ではない。上空に飛び上がりかけているチュパカブラスを撃墜(・・)する為だ。

 巨大コウモリの真っ赤な目が驚愕に見開かれる。私は双刃剣の刃を奴の喉元目掛けて突き出した。

 肉を貫く音と感触。そして勢いのままチュパカブラスに激突して、そのまま一緒に地面に墜落(・・)する。

 墜落の衝撃に構わず私はすぐに剣を引き抜いて離れる。悠長に戦果を確認している暇はない。手応えはあったし、チュパカブラスは倒したものと見做す。


 私は転がるようにして起き上がると、そのまま『虫籠』の壁に向かって一直線に全力疾走する。当然後ろからは徐々に迫ってくる獣の息遣い。

 更に後方では投入口と魔物の檻の開閉音。次なる魔物が投入されようとしている。一刻の猶予もない。振り返っている余裕もない。

 壁が目の前まで迫る。そこで私は初めて後ろを振り返った。案の定ダイヤウルフがかなり近い距離まで追い縋って来ていた。そしてその更に後方では新たに投入された、人間大の大きさで茶色っぽい体色の巨大カマキリが、両腕の鎌を振り上げながら迫ってきているのが見えた。


 レベル3の魔物、セリアルシックルだ。当然相手にしている余裕はない。私はダイヤウルフとその後ろにいるセリアルシックル目掛けて……双刃剣を回転させながら投擲(・・)した!


 これが私の出した結論だった。武器を持ったままではどうしても速く壁を登れない。それではダイヤウルフに妨害され続けて、いつまで経っても脱出できずにやがては私の体力が尽きていただろう。

 文字通りの一か八かだ。武器を捨てて両手が空いた分速く登れるが、もし追いつかれて襲われたら抵抗の手段も無いので確実に殺される。

 私が武器を投擲するのはダイヤウルフも予想外だったらしく、驚いて大きく飛び退って回避していた。後ろのセリアルシックルは投擲の威力が減衰していた事もあって、その両腕の鎌で双刃剣を叩き落とした。だが一瞬でも足は止められた。


 私は未練なく振り向いて壁に向かって跳びつく。そして後は一目散にひたすら壁を登り続ける。もう魔物の方は一切見ない。観客席からは興奮した歓声が響き続けているがそれも無視する。

 ただ壁の頂上だけを見て登り続ける。だが……

「ぐっ……!?」

 片足に衝撃。ダイヤウルフが私の左足に噛み付いていた。くそ、追いつかれたか……! 

 私は一瞬絶望するが、よく見ると狼が噛み付いているのは私の脛当てに覆われたブーツだった。

「……!」

 後ろからはセリアルシックルも迫ってきている。こうなったらやむを得ない! 頼む、上手く行ってくれ!

 私は壁から引きずり降ろそうとしてくるダイヤウルフの牽引に耐えながら、もぞもぞと踵を動かす。そして…………よし、抜けた(・・・)ぁっ!

 ダイヤウルフの引っ張る力もあって、私の左足から脛当て付きのブーツがすっぽりと引っこ抜けた(・・・・・・)。靴擦れ防止用に巻いている足覆い以外には何も身に着けていない素足が露出するが構ってはいられない。


 武器と左足のブーツを失った状態で、ひたすら壁を登り続ける。高さは4メートル程度の壁が、この時の私にはその10倍くらいの高さに感じられた。

 今、『下』ではダイヤウルフやセリアルシックルが私を襲おうとしているはずで、もしかしたら今この瞬間にも私の脚や背中に奴らの牙や鎌が食い込むかも知れない……

 その恐怖と戦いながら、体感時間的には永遠とも思える時間(実際には僅か数秒の出来事であろうが)壁を登り続け……


 越え…………たぁぁぁっ!!


 私は体ごと乗り越えるような感じで、『虫籠』の縁を跨いで……そのまま力尽きて外側の地面に半ば落下するような形で着地した。途中で『虫籠』の外壁に手を這わせて落下の衝撃を抑える事が出来たのは僥倖だった。


『お、おおおぉぉぉーーー!! こ、越えたぁぁ!! 【胡蝶】のクリームヒルト選手……何と、『虫籠蝶々』を脱出する事に成功したぁぁぁっ!! し、信じられない! 奇跡だ! 奇跡が起きた! 三度目の特殊試合『虫籠蝶々』……クリームヒルト選手が勝利(・・)したぁぁぁっ!!』


 ――ワアァァァァァァァッ!!
 ――ウオォォォォォォォォッ!!!


 観客席が大歓声と興奮した怒号に包まれる。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」

 私は大きく息を荒げながら、仰向けに横たわって空を眺めていた。ほ、本当に……私は生き残ったのか? だがその実感を抱く前に……


『あ……! セリアルシックルが……!!』


「……っ!」

 私はアナウンスの緊迫した叫びにギョッとして目を見開いた。『虫籠』の中にいた巨大カマキリ……セリアルシックルが、その大きな虫翅を広げて羽ばたきつつ、4本の後脚を使って物凄い跳躍力で私があれだけ苦労してよじ登った壁をあっさり飛び越えて、『虫籠』の外に飛び出し私の前に降り立った。

「な……!?」

 じょ、冗談じゃない! 私は試合に勝ったんだ! それに今の私は武器もなく丸腰なんだぞ! 逃げようにも疲労で脚が動かないし、そもそも機動力の高い魔物から逃げられると思えない。

 セリアルシックルが無力な獲物と化した私に対して、容赦なく鎌を振り上げて襲いかかる。

「……ッ!!」

 私は思わず硬直してしまう。だが……


「――おいおい、ルールは守れよな。お前さんの出番はもう終わったんだよ」


 暢気な声と共にセリアルシックルの頭上を人影が舞う。鍛え抜かれた肉体と特徴的な赤いモヒカン。この試合の見張り役でもある【毒牙】のレイバンだ。

 レイバンは恐ろしい跳躍力でセリアルシックルの頭上まで飛び上がると、全体重を乗せて両足でカマキリの身体を背中から踏みつけた。

 Gigiiii!?

 セリアルシックルが暴れるが、レイバンはどのような力でか魔物を地面に足で押さえつけたまま動かない。そして腰に提げた二振りのダガーを目にも止まらない速度で抜き放つと、そのままセリアルシックルの脳天に突き立てた。

 頭部を破壊された魔物はしばらく痙攣していたかと思うと、すぐに動かなくなった。


「あ……」

 私が呆然と見上げる前で、レイバンが意外な程優しい所作で手を差し出す。

「ほら、皇女さん。この試合の主役はアンタだ。堂々と胸張って勝ち名乗りを上げてやりな」

「……! レ、レイバン……ええ、そうね。ありがとう」

 私はレイバンの手を取る。すると強い力で引き起こされて、私は再び自分の足で地面に立った。そしてレイバンが促すのに合わせて、観客に向かって拳を振り上げる。


 ――ワアァァァァァァァッ!!


 再び大歓声が上がる。ふん……まあ、終わってみれば悪くない気分ではあるな。私の危機に歓声を上げていた奴等だが、彼等にとっては私は所詮敵国の虜囚なのだ。今こうして私の勝利に対してブーイングではなく歓声で応えてくれるだけマシというものだ。 

 主賓席を見上げるとカサンドラの姿は既になかった。ふん、大方私が『虫籠』を越えて勝ちを確定した所で席を立ったのだろう。観客たちが私を讃える歓声を聞きたくなかったに違いない。器の小さい女め!
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