第55話 白き指し手

文字数 2,780文字

 時は僅かに前に遡る。

 ジェラールは試合に赴くクリームヒルトを見送った後、1人控室で物思いに耽っていた。いや、正確にはセオラングも一緒にいるのだが。

(……帝位を目指す、か。まさかクリームヒルトがあのような事を言い出すとは。最初の頃と比べて本当に変わったな)

 ましてやその為に、彼にも一緒に帝国に来て自分を支えて欲しいという提案付きだ。流石のジェラールも完全に意表を突かれたのは事実であった。

 だがどのみちこのエレシエル王国を近々出奔するつもりであった彼としては、正直興味がないと言えば嘘になる。そして彼自身まさにクリームヒルトに大器を見出して、出来るならばその成長を見届けたいと思っていた矢先である。

(だが……) 

 その為には今日という日を生き延びる必要がある。カサンドラとは既にドラゴンボーンの件も含めて話し合い済みだ。案の定というか彼女は半信半疑であった。いや、というよりも信じたくない(・・・・・・)といった風情にジェラールには思えた。

 だがフォラビアからの移籍組の一員であるデービス兄弟がスルストに討たれた事はカサンドラにとってもショックであったらしく、もし本当に(・・・)スルストが乱入して来たら、誅殺する為の罠を張っておく事は約束してくれた。

 そこまで話を進める事には成功したが、どうにも不安感は拭えなかった。もし彼の予測通りであればカサンドラとクリームヒルトの試合は最終的な決着が付く事無く、スルストの乱入によって有耶無耶となるはずであった。

 そこまでは間違いないはずだ。だが問題はその後(・・・)だ。そこから先はどのように事態が展開するのか、彼にも予測が付かなかった。

 スルストがドラゴンボーンだというのも確信はしたものの、確証がある訳ではない。もしあの少年がただ並外れて強いだけの人間(・・)の少年であったならば……クリームヒルトはスルストと一緒に罠によって殺される事になる。

 だがもし本当にドラゴンボーンであったならば……逆にカサンドラの命が危険に晒される。


(サイラス……まだか?)

 彼はその事態を防ぐ為に、予め前線にいるサイラスに対して早馬で使いを出してあった。スルストがドラゴンボーンであるならば、それに対抗できるのはサイラスくらいのものであろう。

 伝令には彼の手紙を持たせてある。そこにはクリームヒルトから聞いた話や彼自身の確信も含めて、ドラゴンボーンの復活とその危険性についての彼の考えを記してあった。サイラスであれば判断を誤る事はないだろうと信用していた。

 ただ彼が間に合う(・・・・)かどうかは別の話だ。正直微妙なラインであった。もしその時はカサンドラを守る為に彼とブロルが出張るしかないだろう。


 そして彼は漠然とした不安を抱えたまま、闘技場内の窓からカサンドラ達の試合の推移を見守っていた。

 試合の展開自体は彼の予測を外れるものではなかった。クリームヒルトは初期から比べたら戦士としても驚異的な成長を遂げたが、それでも一日の長があるカサンドラには及ばないだろう。

 ジェラールが仕込んだ双刃剣のカウンター斬りが綺麗に決まった時は彼も目を瞠ったが、それもカサンドラの『絶対回避』の前に虚しく空を切った。彼女にあの技を使わせただけでも誇るべき事だが、負けは負けだ。

 そしてその後も概ね彼の予測した通りに事が進んだ。カサンドラがクリームヒルトに止めを刺そうかという時、本当にスルストが乱入してきたのだ。

 カサンドラは予定通り弓兵と騎士たちによる罠を展開してスルストを包囲する。もしスルストがただの人間であれば詰みと言っていい状況だ。

 しかしその時、驚くべき事にスルストの姿が変化(・・)し、銀髪紅瞳に白い肌となったのだ。あれは紛れもなく純北方人の特徴であった。

(あれがスルストの本当の姿か……! 本来の姿を偽装(・・)する能力。あんな力もあったのか。となると……)

 いつもスルストと組んでいた相棒(・・)。あの男の正体は……


「……!」

 だがその時、アリーナでは恐るべき事態が起きていた。ドラゴンボーンとしての力を解放したスルストは、圧倒的な強さで並みいる騎士たちを屠っていく。

 このままではマズいと思った時、新たにアリーナに乱入する人影が。それはジェラールも良く見知った姿で、金色の軌跡を残してスルストとカサンドラの間に割り込む。

(サイラス……間に合ったか!)

 ジェラールはホッと安堵の息を吐く。だが安心するのも束の間、側にいたセオラングがあらぬ方向に牙を剥いて、唸り声を上げ始める。


 ――Uuuuuuuuu……


「セオラング? どうした?」

 ジェラールが訝しむのとほぼ同時に、俄かに部屋の外が騒がしくなる。ただ騒がしいというより……悲鳴や怒号、そして明らかに人間ではない叫び声も聞こえる。

「……! これは……」

 目を細めたジェラールは即座に双刃剣を抜き放って部屋の外に出る。するとすぐに騒ぎの原因(・・)が目に入ってきた。

 ゴブリンやロックアイン、アースウルフ……。他にも雑多な種類の魔物達が、闘技場の係員や衛兵達に手当たり次第襲い掛かっているのだ。数が多い上にレベル3や4の魔物も混じっており、衛兵達だけでは対処しきれない様子だ。

 部屋から出たジェラールの所にも槍を持ったホブゴブリンが襲い掛かってきた。だが彼はその攻撃を容易く躱すと一刀の元にホブゴブリンを斬り伏せた。

 今度は背後からエルダーアインが飛び掛かってくる。だがジェラールが反転する前に……

 Gauuuu!!!

 セオラングがそのエルダーアインの喉笛に食らい付いて、凄まじい咬筋力で一瞬にして噛み砕いてしまう。


「こいつらは……まさか、ストックされていた魔物共か? 何故ここに。それに一体どうやって…………いや」

 今アリーナ上でドラゴンボーンの力を解放して戦っているスルストと、この魔物どもは無関係ではない。ジェラールはすぐにそれを見抜いた。同じドラゴンボーンであるシグルドは魔物を操る力を持っていた事を彼は知っている。

「……!」

 その時彼は衛兵や魔物達が入り乱れて混乱する施設内を、見覚えのある(・・・・・・)人影がその混乱を縫うようにして横切っていったのに気付いた。 

(あれは……)

「……セオラング。お前はここで魔物共の足止めを頼む。俺は……昔の知り合い(・・・・・・)に挨拶してくる」

 Bau!!

 黒狼が了承の吼え声を上げるのを背中に聞いて、ジェラールはその人影の後を追った。人影はアリーナへ通じる道を進んでいる。そのままアリーナへ出るつもりだろう。だがそうはさせない。


「……そんなに急いでどこに行くつもりだ、カスパール(・・・・・)よ」


「……!!」

 ジェラールの声にその人影が振り向いた。それはこの闘技場の剣闘士である【鮮血】のガストンだった(・・・)男。今はスルストの力による偽装が解かれて、銀髪紅瞳と真っ白い肌の、純北方人特有の姿に戻っている(・・・・・)

 即ち、北の大国ロマリオン帝国の第二皇子……カスパールの姿に。
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