第37話 『虫籠蝶々』

文字数 3,878文字

 初めての人殺しを経験してしまった私だが、勿論周囲の状況は私の心の傷が癒えるのを待ってなどくれない。いや、それどころか更なる過酷な状況に容赦なく追い込んでくる。

 トルベンとの試合の翌週。私はブロルから『特殊試合』の開催を言い渡された。あの『火炎舞踏会』と『奈落剣山』に続いて三度目の特殊試合という訳だ。


 くそ、カサンドラめ。あれだけ派手な試合で民衆の人気を全て掻っ攫いながら、まだ私を追い詰める事を止めないらしい。

 いっその事ドラゴンボーンの件を暴露してやろうかとも思った。そうすれば今のような余裕顔もしていられなくなるはずだ。あの女の顔が驚愕と恐怖に歪むのを見物するのはさぞかし溜飲が下がる事だろう。

 だがそれは同時に私の確実な死も意味している。

 私が原因で新たなドラゴンボーンが次々と発生しているなどと知られれば、あの女は確実に私を生かしてはおかない。もう試合など関係なく私を捕えて即座に処刑するだろう。

 処刑台の上に比べたら、まだ『特殊試合』の方がマシだ。少なくとも私の努力次第で生き延びられる可能性があるのだから。

 嗜虐心たっぷりのブロルに特殊試合の件を告げられたが、例によって内容は当日のお楽しみだと言って教えてもらえなかった。ならば私に出来る事はいつもと変わらない。即ちどんな状況にも対応できるように剣技と肉体を鍛錬し、精神を落ち着けてコンディションの調整を図る事だ。



 そして1週間後。ついに【エキスパート】階級における『特殊試合』の日がやってきた。階級が上がった分、間違いなく過去2回の特殊試合よりも過酷なものになるはずだ。

 私はふぅ……と大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。大丈夫だ。やれる事は全てやった。ジェラールも協力してくれた。後は全力で戦い抜いて生き延びるまでだ。

 私は控室から通路を抜けてアリーナへと踏み出す。


「……!」

 そして目を瞠った。アリーナの中央に、丁度アリーナと同じ形をしている『檻』のような物が設置されていた。あの中で戦う事になるのか。

 檻そのものの面積はかなり余裕があり、少なくとも私が双刃剣を振り回しながら大立ち回りを演じても全く問題は無さそうなくらいの広さがあった。

 檻は金属で補強された木材を格子状に組み合わせて作られており、かなり頑丈そうに見えた。だが奇妙な事に高さが3メートル超ほどのその檻には天井(・・)が無かった。壁のみで天井部分が無い、ある意味では簡易的な檻だ。これなら跳躍力の高い魔物なら簡単に飛び越えられる。

 まあ私を中に閉じ込めて戦わせるだけなら確かに天井部分は必要ないが、それだったらそもそも檻を使う必然性が無い。どの道私はこのアリーナからは逃げられないのだから。

 戦闘スペースを限定して私に戦いにくくする目的にしては、檻には充分な広さがあるのでそれも中途半端に思える。

 解らない……。一体どんな試合形式で、私に何をさせるつもりだ? 

 まあここで考えても仕方ない。どうせすぐに嫌でも解る事だ。私は半ば開き直ってその『檻』の前まで進んでいく。


 檻の『扉』と思しき部分の前には衛兵が2人立っており、私が近付くとその扉を開けた。中に入れという事だろう。

「…………」

 ここで拒否した所で何の意味もない。私は黙ってその檻の中に入る。後ろで扉が閉められ施錠される音が鳴った。これでこの檻の中に閉じ込められた形だ。

 まあ檻の高さは4メートルまではいかないくらいで、特に棘付きという訳でも無さそうなので、私でも格子に足を掛けてよじ登れば外に出てしまえそうだが。そういう意味でも中途半端な『檻』であった。本当に一体どんな試合なのだ?


『さあさあ、本日も剣闘日和の快晴だ! 午後一番の試合は、今や人気の闘士でもある【胡蝶】のクリームヒルトが戦う『特殊試合』だ! 熱心な剣闘ファンの皆様なら、あの『火炎舞踏会』や『奈落剣山』はまだ記憶に新しいでしょう! 本試合はそれらに続く3度目の『特殊試合』となります!』
 

 ――ワアァァァァァァァァッ!!


 観客達が歓声を上げる。どんなルールなのかは観客達も知らないようで、その歓声には期待が入り混じっている。だがアナウンスは焦らすようにすぐには説明に入らず、別の事を紹介する。


『そして今回もスペシャルゲストとして、我等が偉大なる女王にして【英雄殺し】の超戦士! カサンドラ・エレシエル陛下がご観戦に来場なさっているぞぉぉぉっ!!』


 ――ウオォォォォォォォォォォッ!!


「……!」

 前2回の『特殊試合』と同様、今回も主賓席にカサンドラの姿があった。当然今日は露出鎧姿ではなく白を基調としたドレス姿だ。アナウンスに応えてあの女が手を振ると、観客達からは種類の違う熱狂が沸き起こる。


『さあ、それでは皆様お待ちかね! 今回の『特殊試合』についての説明です! 試合名は……『虫籠蝶々』! アリーナに設置された檻は【胡蝶】を捕えている『虫籠』です! あの『虫籠』の中に専用の通用口から魔物が2体投入されます! 魔物は1体が倒されても即座に次の魔物が投入され、常に2体いる(・・・・・・)状態が維持されます! そしてこの魔物の投入には終わりがありません(・・・・・)! 例えクリームヒルト選手がどれだけ魔物を倒しても、当闘技場がストックしている限りの魔物が投入され続けます! 当然彼女がどれだけ奮闘しようが倒しきれるものではないでしょう!』


「な……!?」

 私は耳を疑った。それならいつかは必ず力尽きて魔物に殺されてしまう。まさかカサンドラは先の試合で人気を獲得した事もあって、もう私を体よく処断する事に決めたのか!? 

 一瞬そう思ったが、アナウンスの説明には続きがあった。


『彼女が生き延びる手段はただ一つ! 『虫籠』の外壁をよじ登り(・・・・・・・)、籠の外へと脱出する事だけ! クリームヒルト選手は果たして2体の魔物を相手にしながら、その隙を突いて『虫籠』の壁を乗り越える事が出来るできるのでしょうか!?』


「……!」

 そういう事か! そこで私にもようやくこの天井の無い中途半端な檻の理由が解った。私が何とかよじ登って脱出できる高さを想定しているのだ。

 檻は格子状になっていて足を掛けやすい為、よじ登って外に出る事自体はさほど難しくない。だが当然ながら『壁をよじ登る』という動作は、傍から見れば極めて無防備な体勢とならざるを得ない。

 2体もの魔物相手に背中を向けて無防備な体勢となる……。ほぼ確実に襲ってくれと言っているようなものだ。そして襲われたら碌に抵抗も出来ない可能性が高い。

 上体だけ振り向いて武器で牽制する事くらいは可能だろうが、当然その間は登攀動作は中断されるし、何より武器を持ったままだと素早くよじ登れない。

 登るスピードを重視して武器を捨てるのもありだが、それだといざ襲われた時に抵抗する手段がなくなる。

 どちらを選択したら良いのか。それ以前に2体の魔物を相手にしながら『壁をよじ登る』という隙を作らねばならないのだ。

 ……くそ、何という陰湿なルールを考え付くのだ! 


 ――オォォ……!


 難易度だけでなく戦略性も要求される特殊なルールに、観客達は感嘆や期待の声を上げている。


『彼女が見事『虫籠』から脱出できれば、その時点で試合終了です! それ以上魔物を倒す必要はありません! ただし魔物はルールなどお構いなしに、試合が終了しても壁を越えて彼女を襲おうとするでしょう。その時の為の保険(・・)として八武衆の1人、左衛将軍たる【毒牙】のレイバン殿が試合の見張り役を兼任します!』


「……!」

 アナウンスと共に、私が入ってきたのと対面の入り口からアリーナに1人の男が入場してきた。以前カサンドラの試合の時に会った八武衆の1人、レイバン・コールだ。あの特徴的な鶏冠のような髪型など見間違い様がない特異な外見。

「よう、皇女さん! 相変わらず女王様に嫌われてるなぁ!」 

 レイバンは檻……『虫籠』の前まで歩いてくると、中にいる私に対して気さくに手を挙げた。

「来週には前線に戻らなきゃならんが、その前の一仕事だ。もしあんたがこの試合を生き延びれたら、その時の後処理(・・・)は責任もってやってやるから安心して試合に集中しろよ」

「……あなた1人なの? 本当に大丈夫?」

 レイバンは特に衛兵も引き連れておらず単身だ。私の不安を読み取ったレイバンが苦笑する。

「おいおい、信用ねぇなぁ! 下手にあんたより弱い奴がゾロゾロいたら、魔物が檻を飛び越えてそっちに襲い掛かっちまうかも知れねぇだろ? だから俺一人の方が都合がいいんだよ。心配すんなって! これでも【マスター】階級の剣闘士でもあるんだからよ。檻から出たあんたの身柄はきっちり守ってやるよ!」

「……!」

 なるほど。レイバン1人なら、魔物はより与しやすい私の方に確実に襲い掛かるので、ターゲットが逸れてしまう心配はないという訳か。

 解ってはいたが、私の実力がまだ【マスター】ランクには及んでいないという事の証左でもある。

 だがそれはもう構わない。今はとにかく目の前の試合……『虫籠蝶々』とやらを生き延びるだけだ。


 本当はどうせならジェラールに側にいて欲しかったが、恐らくカサンドラやブロルが意図的に彼を遠ざけたのだろう。

 ただ見張り役がブロルやミケーレなどだと、カサンドラに忖度して私を故意に助けないという可能性もあるが、レイバンなら取り合えずその心配はないはずだ。今はそれで満足するしかないだろう。

「まあもし脱出に失敗して魔物に喰われたら、代わりに骨を拾ってやる事になるかもだけどよ!」

 ……やっぱりジェラールが良かった。
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