第20話 橙色のアイスティ

文字数 3,472文字

 遼子が僕の横までそっときて、肩をつんつんつついてきた。僕はちょうど、DVDを図書室で見ていたので、入ってきたのに気が付かなかった。ヘッドフォンを外して、DVDを取り出す。
「返してくるから待ってて」と慌てて荷物をまとめた。
 DVDを返却すると、二人でそっと図書室を出た。出た瞬間、遼子が「クレープ食べたいな」と言って、僕の腕を掴む。
「クレープ?」
「うん。いつも駅前にあるのを横目で通り過ぎてたの」
 そういえば、そんなものあったかもしれないけれど、興味がなくて素通りしていた。
「クレープって甘すぎて最後まで食べれたことないんだけど」
「そうなの? でも大丈夫。甘くないのもあるから。ツナとかソーセージとかカレーとか」
「それなら食べれそうな気がする」
 帰り道にクレープを食べるとか、高校生以来だ。遼子は「何味にしようかな」とわくわくした様子で、僕の腕に手を絡ませる。
「彼氏とクレープ食べるの夢だったんだー」
「え? 食べなかったの?」
 驚いて、遼子の顔を見るが、よく考えてみると、お金持ちの彼氏が街のクレープ屋に連れて行くはずはなかった。きっと高級フランス料理とか連れて行ってもらってたのだろう。
「友達とはあるけど…。後ね、行列の出来るスパゲッティ屋さんとか…奏太と行きたいところたくさんあるの」
「スパゲティ?」
「すごい種類の味があるんだって」
「ふうん」
 ラーメン屋さんならよく行くけど、スパゲティは喫茶店で出てくる鉄板の上のものしか知らなかった。
「じゃあ、次はそこに行こう」
 本当に遼子は仲の良い友達が周りにいないのだろうか、とふと思ったけれど、自分の周りを見ると、人のことは言えなかった。特に今日は高田藍を泣かせてしまった。
 駅前のクレープ屋に着くと数人が並んでいたので、その後ろに並ぶ。メニューを見ていると、確かに、ツナサラダとかハム卵とか甘くなさそうなものもあった。
「遼子は何するか決めた?」
「うーん。チョコバナナか、イチゴアイスか…悩んでる。暑いからアイスにしようかなぁ。でもチョコバナナも食べたいし」
「じゃあ、僕がチョコバナナ頼むから一口食べたら」
「え? いいの? だって甘いもの…」
「なんかいける気がしてきた」
 久しぶりのクレープを甘く見ていた。高校の頃、何度チャレンジしても最後まで食べられてなかったことを、あの頃はまだ若かったから、と思い込んでみた。順番が来て、僕は二人分のクレープを注文した。
「お弁当とお茶、ありがとう」と言って、イチゴアイスを渡す。
「ありがとう」と嬉しそうに受け取って、クレープにかじりつく。
 僕も自分の分を受け取って、そのまま遼子に「好きなだけ、食べて」と渡した。
「じゃあ、イチゴアイスも」と言って、渡してくれる。
 イチゴアイスは冷たくて、意外なことに甘さを感じにくかった。
「美味しい?」
「うん」と言って、イチゴアイスを返した。
 僕は戻ってきたチョコバナナを食べると、甘さが口いっぱいに広がる。まだ一口目だ。もう一口食べると、さらに胸に甘さが迫ってくる。常温だからか、甘さがダイレクトに伝わってくる。あと、バナナと生クリームの食感もどちらももったりしていて、甘ったるさを加速していく。クレープの生地の歯応えのなさも追い打ちをかけてくる。三口目を終えた時に、すでにこの戦いに勝ち目がないのが見えてきた。高校生から僕は少しも成長していなかったようだ。甘いものは嫌いじゃないし、バナナも生クリームも単体だったら好きな物なのに、このクレープに包まれると、暴力的な甘さと食感のもたつきで僕の胸を圧迫してくる。
「っう」と思わず声が出た。
「奏太。顔色悪いけど? 大丈夫」
「うん。大丈夫」と言って、クレープを遼子に預けて鞄からお茶を取り出す。
 ごくごく飲んでいると、「リョーコー」と声をかけられていた。そちらの方を見ると、女の子二人組で遼子と同じ学科の友達のようだった。前に見た、そばかすの多い女の子もいた。
「クレープいいなぁ」とパーマをゆるく掛けた方の子が言う。
(よかったら僕のを食べて欲しい)と思った。流石にそれはしないけれど。
「私たちも食べて行こっか?」とソバカスの子が言った。
「デート中? 悪いよ」
 僕は鞄にお茶をしまうと、「お構いなく」と言った。なんだかやた堅い表現になってしまった。まだ気分が悪い。
「あ、この前来てた、遼子にノート貸してた…」とソバカスの子が僕に向かって言った。
「あ、うん。新田奏太です」
「結局、付き合ってるの?」
 二つのクレープを抱えた遼子は嬉しそうに「うん」と言ってくれた。それを聞いて、少し安心した。
「え? 今までのタイプと全然違う…」とパーマの子が言うと、ソバカスの子が口を手で塞いで、
「ソータくんって言うんだ」と無理矢理、話題を変えた。
「いいの。奏太は分かってくれるから」
「え?」
 二人は顔を見合わせた。遼子は「溶けちゃうから食べて」と僕に半分くらいになったイチゴアイスのクレープを渡した。
「分かってて…付き合ってくれてるから」
「遼子、変わったね」とパーマの子が言う。
「見た目も。今日なんて、可愛く二つ括りしてるし。似合ってる」
「そう…かな」と遼子は首を傾げた。
「じゃ。仲良くね」と言って、二人は去っていった。
 僕はイチゴアイスをほぼ食べ終えていた。
「食べてしまったけど…もう一個買う?」と遼子に聞いた。
「さすがに大丈夫」と言いながら、バナナクレープを食べてくれた。
 イチゴアイスなので甘さはマシなのだが、口の中がものすごく甘い。また鞄からお茶を出して飲む。
「奏太…。大丈夫?」
「うん…」
 本当は全く大丈夫じゃない。胸焼けがしていて、気持ちが悪い。なんとか駅までゆっくり歩くことにする。
「奏太…。ちょっと喫茶店で休む?」
「いや…。遅くなるから、遼子は先に…」
 今日は本当に情けないところばかり見せている。そもそも格好いいところなんて、一度も見せた記憶もないけれど。
「奏太が具合悪くなってくれて、嬉しい。だってまだ一緒にいれるでしょ?」と言って、手を繋いでくれた。
 僕たちは駅に着いたら、反対側のホームに向かう。その時間が具合の悪いせいで遅くなるんだとしたら、この気分の悪さも悪くないな、と思った。
「やっぱり喫茶店に入ろう」
 ちょっと座りたかった。駅前の喫茶店は午後六時には閉まると言う。それでも休憩できるのなら、それでよかった。
「アイスティ。何もなしの。遼子は何がいい?」
「奏太がアイスティなんて、よっぽど具合が悪いのね。私も同じの」
 心配そうに見てくる遼子を見て、本当に情けない顔をしていたと思うけれど、僕は辛さ半分、幸せも感じていた。
「今日はいろいろありがとう。お弁当も。お茶も。ハンカチも。そして今も」
「…。奏太が泣いたからびっくりしたけど。私…ちょっと嬉しかった。そんな姿見せてくれて」
「…あれは…恥ずかしい。全く意識してなかったから」
「でも奏太はいつもしっかりしてて、弱点を見せるタイプじゃなかったから」
「しっかりしてる、つもり。これでも」
 言い合いをしているうちに少し気分がましになった。アイスティが運ばれてきたので、飲む。少し胸のもたれがおさまったような気がする。
「冷たくて美味しい。もうすぐ夏だね」と遼子もストローから口を離して言った。
「…夏祭り、行こっか」
「わぁ、楽しみ。浴衣着ようかな」
「きっと綺麗だろうな」
 そう言うと、恥ずかしそうに微笑む遼子が目の前にいた。人生で最大の幸せが早々に来てしまったことを実感した。
「遼子の笑顔のおかげで、就職活動も頑張れそうな気がしてきた」
「奏太が就職したら、結婚していいってお父さん言ってたね」
 そんなこと言ってたかな、遼子は良いように解釈してる? と僕は思ったけど、そういう事を言ってくれる遼子が嬉しかった。遼子はストローの紙の袋をくるくる細くしてコヨリにして、円を作ってくくり始める。結び目を上にして、自分の指に嵌めた。そしてサイズを確認すると、僕に渡した。
「婚約指輪。自分で作ったけど…」と笑いながら僕を見た。
 紙でできた指輪には結び目がダイアモンドのようになっている。細い手を自ら差し出した。僕はそっと手を取った。
「一緒にいてください」と言った。
「はい」
「いつか、本物を買えるように頑張るから」と僕は自分にも決意をした。
 そして輝く笑顔。
 西日が窓から差し込んで、アイスティは濃い色に、僕たちも橙色に照らされ、影が伸びる。指にそっと嵌めた紙のリングを嬉しそうに僕に見せる遼子の笑顔は今でもすぐに思い出せる。本当に綺麗だった。
 
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