第5話

文字数 506文字

「お父さんってどんな人だったのですか?」
 梓は亨と付き合うようになって尋ねたことがある。
「そうだな、あまりに家にいなかった。小説家だったか、大学教授だったようだ。この大きな家は三代前からのもので、昔は裕福だったみたいだ」
 大きな古い洋間にキングサイズのベッドは寝返りを打つだけでも、ぎしぎしと音を立てた。梓は亨の細い腕の中でコケのような香りを吸い込んで身を寄せた。
「私は何度もお母さんに聞いても、何も言わなかった。写真もないし、名前も知らない。お父さんという存在はないの」
 梓は亨の胸にもたげて小さい声で言った。
「じゃあ、僕はお父さんみたいなものになれるかも」
「ええ? おかしいでしょ」
「僕たちの間に子供ができたら、梓は僕のことをお父さんと呼ぶだろう」
 梓は思わず笑った、結婚もしていないのに子供ができたらなんて、なんて発展的なことをいう人だろう。おとなしそうな顔をして……。
 亨の遠回しなプロポーズは梓にはかすりもしなかった。だけど、人生の中でとても幸せで落ち着く時間をくれる人が亨だということはわかっていた。
「そう、いつかかわいい女の子がほしいかな」
 北白川の山の木々がざわめく窓の外では、夜が深まっていた。
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