第11話 光

文字数 896文字

 雨が降る。雨粒が川面にあたって鈴の音を発する。小さな波紋をかき分けて艇が静かにすべってゆく。
 もう漕げない、というところまで漕ぎつづける。前後の人の気配が、意識の火が消えるのをかろうじて防いでいる。ここからラストスパートの練習は始まる。
 全力で漕いで脈を上げる。上がった脈を落ちつかせたところで、ふたたび強度を上げて脈を上げる。体内に乳酸がたまって苦しくなる。意識が薄れる。準備が整ったところでスパートのクライが入る。
「雑になるな」
「がむしゃらにいけ」
 漕手たちは矛盾した言葉を叫び合い、己を鼓舞する。鼓動の切れ間がなくなる。脳がやめろと指示をだす。それでもコックスが叫ぶ。
「スパートいこう、さあ、いこう」
 レートが二枚上がる。漕手に漕いでいる感覚はない。供給されるエネルギーはすでにない。眼に光が映る。ただ強い意志だけが消えずに残っている。
「イージーオール」
 漕ぐのをやめても艇は慣性で水上をすべりつづける。クルーは自らが発する蒸気に包まれる。
「ノーワーク、ヨーイ、ロー」
 オールを水面に下ろすことなく、再び次のセットに入る。橋の手前で、もう何度も繰り返したセットが終わる。
「つづけまーす。橋を抜けたらすぐに入ります」
 コックスのクライが橋桁に反響する。漕手はかすかな意識をかき集めて次のセットに向かう。

「花火が上がってますよー」と下級生が触れ回る。
 遠くの空に季節外れの花火が打ち上げられていた。花火の見られる部屋に部員が集まりだす。日頃は狭いと感じる部屋が、明かりが消され、夜空の端と化していた。夏に河川敷で上げられるものほど盛大でないものの、立派な火の粉の球が遠くの空に浮かんでは消えを繰り返している。耳をすますと、光から少し遅れて破裂音が聞こえる。
「ひゃっほー」
 奇声を発しながら全裸の岩元が部屋に飛び込んできた。窓辺に駆け寄った岩元は、花火が打ち上げられるのに合わせてカエル飛びをはじめた。
 皆、ゲラゲラと笑い出す。三宅が岩元にむかって言った。
「見えてるよ、後ろからでも見えてるって」
 三宅は手を叩いてはしゃいだ。寺岡も声を出して笑った。花火の光が部屋に届き、皆の顔を照らした。
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