◆ 夏の庭

文字数 1,599文字

 アダムとイブが人類最初の夫婦だったわけだ。しかし、蛇には蛇の夫婦がいたろうに。カエルにはカエルの夫婦がいたろうに。
 昔々の伝記記者は、人間のみに着目して、かれらのことは取材しなかった。
 子どもの頃、家に「世界の偉人シリーズ」という本があって、その中に「キリスト」というのがあった。「二宮金次郎」とか「キューリー夫人」に交じって。
 その本の挿絵には、「海の上を歩くキリスト」が。厳粛な顔をして、海上を歩く姿が描かれていた。
 あ、キリストって、実在した人だったんだ、と、子ども心に不思議だった。何か、騙されている気もした。
 読めば、「信じる心があれば、海の上も歩ける」ということだった。しかし、ぼくは歩けなかった。どころか、今だに泳ぐこともできない。
 何の信心もなさそうなアメンボが、雨上がりの水たまりにスイスイしているのを見るのは、面白かった。

 実家の庭には、ハンミョウという昆虫がいて、TVアニメで「ど根性ガエル」を見ていたぼくは、Tシャツにこのハンミョウをくっつけたかった。ピョン吉みたいに喋り出して、友達になれると思ったからだ。だが、ヒロシは石につまずいて、勢いよく前のめりに倒れたところにピョン吉がいて、それで張り付いたわけだから、自分もそうしなければならない。ぼくには、勢いよく倒れる、その勇気がなかった。

 ナメクジ、ダンゴムシ、ハサミムシ。石をどけると、かれらがいて、特にナメクジには、塩をかけて惨殺するという、むごいことをしていた。ダンゴムシは、仰向けにすると不気味だったが、まるまる姿が可愛かった。ハサミムシは、生意気な感じがした。
 タイサンボクにとまってジージー鳴いていたアブラゼミが、突然悲鳴をあげた。それはまったく、悲鳴だった。見ると、カマキリに捕らえられ、むしゃむしゃ食べられつつあるところだった。これには、戦慄した…

 夏の庭には、思い出が詰まっている。その主役は、小さな虫たちや、ホウセンカ、ホオズキ、オニユリ、キョウチクトウ。不思議な空間だった。風もなく、葉も動かず、何もかもが止まっているように見えても、何かが動いている気配がした。
 路地のアスファルトに、白墨でらくがきするのも面白い遊びだったが、土、石、木、葉々のある、少し湿気のある庭が、ぼくには不思議な、魅惑的な空間だった。

 そのぼくもトシだけはチャンと取り、何が何だか分からないまま、この世にいる。
 未来より過去が大きくなり、特に何も希望はない。何のために生きているんだろう、と考えない日はない。考えようが考えまいが、一日一日が、過ぎてしまうことだけが確実に分かる。
 循環。めぐりめぐる、いのちの、一つなんだなぁ、と自分をなぐさめる。ぼくの子どもにも、今月赤ちゃんが産まれるようだから、ちょっと早めのおじいさんになる。

「自分自身になること」がぼくの夢なのだと、いつの頃からか思っていた。「生きる

」だ。が、ぼくはずっとぼくという自分であって… するとつまり、この夢は毎日実現しているということになる。
 その日暮らしのような生活を続け、もし「一般」というのがあるとしたら、ずいぶん外れた生き方をしてきた気もするが、だから何だというわけでもない。

 自分が、取るに足らぬ、人間種族のひとりであるという自覚。この自覚を、より促すために、同類をよく見ようとする気持ちもはたらいて、庭に(うごめ)く微妙なものたちのことを書こうと思いました。
 かれらの一員に、なりたいという、願望の気持ちもあったかも…。それとも、自分は小さくないんだ、としたい、自己顕示欲めいた気持ちを、諫めたくもあったのか。
 小さな小さな、目にも留まらぬようなものが、きっと今も、何かしている。
 子どもの頃に感じた、庭にただあるだけのものから感じた、神妙な空気と気配。ありがたい、もう二度と戻れない時間。今も、その時間の

に生きていることに、変わらない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み