● まりもの恋

文字数 1,367文字

 北海道の湖。寒風にさらされても、特にどうということはない。
 ころころ、わたしたちは存在している。ここは安全だ。戦争も、あらそいもない。安心安全のオリンピック。偽装のうちに、無事にどこかの都会では終わったようだけれども、あの丸い、5つの輪っかは、わたしたちを象徴するものではない。わたしたちは、あんな、競い合うような野蛮なことはしない。競争原理など、生物生来の自然進化に抗うものだ。だからスポーツ選手はしょっちゅうケガをする。身体に良い運動が、怪我を誘うのは、自身に過剰な、ムリな動きをさせるからだ。本末転倒、滑稽なことだ。

 わたしたちは、自身に無理強いなど、絶対にさせない。破滅のもとだ。自分を大切にする。だから傷つけ合うこともない。そもそも、とんがれない。戦闘的な攻撃力など、0に等しい。その代わり、ベホマの能力、自己保存のスキルには長けている。と、自負している。それだけで、十二分だ。何の文句も不平もないよ。

 われわれは、ずっと運命をともにしている。湖底にじっとして、基本的に動かない。たまに大地が揺れる。そのとき、若干、われわれも動く。ほんの、コンマ㎜。そして、それだけのことだ。横を見れば、柔毛(にこげ)を揺らしてこちらを見てくる美人さんがいる。わたしも、少し揺れて応える、「こんにちは」
 彼女はそれに応えない。空虚な、きれいな目でどこかを見ている。わたしも、どこかを見る。おたがい、ぼんやり、空を見る。この、「一緒に生きている感」。これは、かけがえがないよ。

 空は青い。わたしたちは、何も云わず空を眺める。

。この空が、わたしたちを生かしていることを、実感しない時はない。実感できなくなった時、わたしたちは、きっと死んでいる。わたしがひとり死ぬのではない。われわれが息絶える。けっして、わたしひとりの問題ではない。

 死の波は、ゆっくり、押し寄せている。息が、しづらくなっているのを体感するよ。隣りの美人も、すっかり老けた。風の流れが、早く感じる。不自然な仕方で、空の上から、よからぬものが降ってくる。
 われわれは、この湖底にいられる恩恵に報い、微力ながらこの水の浄化につとめてきた。天上のものは、この水を汚し、われらの息を絶やそうとしている。われらと逆の仕方で、この世界に報いようとしている。しかもそれが正当化されているようだ、この風のいきおいは…

 われらは、運命をともにする運命共同体だ。何もそれは、この湖底に限ったことでもあるまい。ゆっくり、そして早く、確実に、天界の者へも伝播していくだろう。死ぬ間際になって、天界の者も、その通りに死んでいくだろう。
 わたしが恋したのは、隣りの美人ではない。たったひとりに、愛を注ぐほど、わたしはこざかしくない。
 この湖底、水、魚、波、揺れ、微妙な流れ。われらを生かしているところの、ぜんぶなのだ。わたしは、この世界に恋していた。愛していた。それなのに、ああ、それなのに。この恋は、成就しない。失恋、失愛に終わりそうだよ。世界から、わたしは背を向けられている。誰も、わたしのことなど、目もくれない。むりもない、こんな湖底にいてはね。ただ、抗い難い、誰にも止められぬ、圧倒的な力を上から感じるよ。運動でも、し過ぎたのかね。
 とまれ、われわれは、じきに滅ぶ。どうしてこうなったのかも分からずに。
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