空の穴

文字数 4,093文字

 陰鬱な夢から目覚めた。その時、そこは見知らぬ部屋だった。

 マリオン(と、まだ彼女は自分のことをそのように思い込んでいる)は、ゆっくりと起き上がった。そして、身体にかけられていた毛布に気づく。
 今、彼女が纏っているのは茶と白を基調にした、エンゼリア学園の制服ではない。灰色のスエットスーツ。
 (誰かが、これを着せてくれた)

 肩とすねの傷も手当てされ、ガーゼが施してある。

 (どこだろう)
 ぼんやりした照明。白い壁。窓のない部屋だった。知らない場所だ。扉のノブが鈍い色で光っている。

 そっと、ベッドから裸足しの足を下ろす。ひんやりとした床。壁に近寄り触れてみた。無機質な手触り。天井に目を向ける。四角い小さなライトが規則正しく配置されていた。

 そのライトの一つが、チカチカと瞬きを始めている。
 チカチカ、チカチカ、チカチカ………。

 (やっぱり知らない場所だ)

 マリオンは未だ重苦しい夢の延長にいる。
 顔に手を当て、髪に触れた。そばかすのざらつきと、固い三つ編みの手触り。おさげの穂先を鼻先にもってきて眺めた。
 黒い。
 黒い髪の毛。黒い。

 ふいに、心臓が早打ちを始める。
 舞い上がる身体、空に舞い上がる。そして銃声。割れたガラス。

 「き」
 きゃあああああああ。

 悲鳴を上げた。その場にしゃがみこみ、目を閉じ、耳をふさいで叫び続けた。
 その時、ガチャンと扉が開き、誰かが駆け込んできた。

 肩をつかんで揺さぶられても、マリオンは目を開けずに叫び続けた。
 落ち着きなさい、目を開けて、と言われるが、全身が拒否をしていた。

 ばたばたと何人かが入ってくる音がして、ふいに体を床に押し付けられた。むき出しにされた片腕にちくりとした痛みが走る。
 注射を打たれた、と思った瞬間に、マリオンの意識はは穏やかな暗黒の中に落ちた。

**

 「偽物ちゃんは、どう」

 ガイが、仮眠を終えて、広間に出てきた。コーヒーを受け取りながら、欠伸交じりである。

 淹れたてだから熱いわよ、と、パイは一応気遣った。そして、「偽物ちゃん」の容態を言いかけて言葉を飲み込み、眉間にしわを寄せた。 
 褐色の肌をした、体操教師のような風貌のパイである。

 「………まあ、しょうがない」
 パイの表情から察して、ガイは肩をすくめた。コーヒーは極めて熱かった。顔をしかめている。

 「さっき暴れてね、鎮静剤を打ったからしばらく寝てるわ。見てられない、最悪だわよ」
 パイは吐き捨てるように言った。

 ガイはマグをパイプ椅子に置いた。
 端でPCを使っていたアズが、もっさりとした髪をかき上げながら振り向いた。
 「モルモットもいいところだよ」
 見てよこれ、とアズがモニターを指さした。広間に溜まっていた連中がわらわらと集まり画面を覗き込んだ。

 迷彩柄のつなぎを着たチャックと、ふっくらとしたクリス、いかにも肝っ玉母さん、といった風貌のメアリ。

 この船は大きい。船員は他にもいる。

 酷い、とパイが呟いた。チャック、クリスは顔を見合わせて眉をしかめ、メアリは拳を振るわせて瞳に怒りをみなぎらせた。

 画面には、マリオン・ホワイトーー「本物」のマリオンだーーの記憶データが取り出され、読み込んだ結果が表示されている。

 「七歳の夏の、このラインはなんだ」
 チャックが太い指で画面を指し示すと、アズは神経質そうに眼鏡を小指で押し上げた。

 「ここで天然データが終わっている。これから先は、創作データだ」
 薄い唇ときゅっと噛みしめ、アズは眉をしかめる。
 「世にも優れた頭脳が全神経を使って練り上げた、傑作だよ。大したシナリオライターじゃないか」

 しいん、と重苦しい沈黙が落ちる。かちり、とチャックが煙草に火をつけた。
 押し黙っていたガイが、突然アズの肩に手をかけた。
 「それで、偽物ちゃんの頭の中には、異物はもうないんだな」
 「ああ、ないよ、大手術だったんだ、俺とカメオでぶっつづけ12時間。カメオはまだ寝てるよ」

 アズは、旧時代の外科医のように両手をすっと上げてみせた。
 メスのかわりに、PCレーザーを通し、スキャンした脳データをPCに読み込ませる。そして、癌となっている異物を除去する。
 言葉にすれば簡単だが、難解な記号を短時間で読み解き、素早く作業するには慣れと技術が必要なのだ。

 「まさか、対面はまだだよな」
 ガイが言うと、アズは肩をすくめた。
 「まさか、いくら俺とカメオでも、そこまで冷酷じゃない。『本物』のほうも遠慮して出番待ちって感じだよ。ただ」
 「ただ?」

 アズは片方の眉を上げ、溜息をついた。
 「本人、えらく同情しちゃってて、何かしてやりたくてたまらん様子なんだな」

 お姉ちゃん体質だからな、と付け加えると、大きく伸びをして立ち上がる。肩をごりごりと回しながら悲壮な声色を作った。
 「なんにしろ疲れたよ、大将。俺も寝ていいか。用があればカメオを叩き起こしてくれ」

 「おつかれさん」
 みんなからねぎらいの声をかけられて、一応満足したらしくアズは広間を出て自室に行った。

 「たぶん、今日一日起きないわよ」
 ぼそりと言って、クリスも元いたベンチに戻り、チャック、メアリも銃の手入れに戻る。

 マグの中身を飲み干して広間を出ようとするガイに、パイが背中越しに声をかけた。
 「空の穴は、あと10時間でふさがるわ。『パイオニア号』がつぶれないうちに号令を出して」

 ガイは片腕を立てて答えながら、廊下に出る。

 「あなたの号令まちよ、みんな」
 パイの気がかりそうな声が追いかけてきた。

**

 ……ん、ええーん………。
 えーん、ええーん、えーん。

 首のとれた人形を抱いて、泣きじゃくっていた。

 木漏れ日が揺れている。

 取れちゃったよお、取れちゃったよお。
 可愛がっている人形が壊れてしまった悲しみで、胸がふさがりそう。

 そこに、優しい手が差し伸べられた。
 顔を上げると、綺麗な、優しい笑顔があった。

 「貸してごらん、大丈夫、なおるから」

 黒髪がさらさらと風に揺れる。
 泣きじゃくりながら見上げた。はははと笑われ、涙をぬぐわれた。

 温かい指。
 安心して、壊れた宝物を彼にゆだねる。

 本当、本当になおしてくれるの、本当に?
 「ああ、本当だ。大丈夫だよ、だから泣かないで」

 本当に?
 ………。

**

 「本当に」
 という、自分の声で目覚めてしまった。

 ずきんと頭に鈍い痛みが走った。後頭部をおさえながら起き上がる。はっと横を見ると、ベッドの側に足を組んで座っている人がいた。

 (あのエレベーターの人)
 記憶がスムーズにつながる。頭の中の回路が正常に作動している感覚。

 その「エレベーターの男」は、今はカーキ色の繋ぎを纏い、気がかりそうな顔でこちらを眺めていた。

 「あ、あの」
 何から聞けばよいのか分からない。
 
 「あのう、あなたは。そしてここは」

 (………ガチャン)
 (窓ガラスが割れたのよ、そしてこの人が)

 「俺はガイ・タカラダ。ここはパイオニア号。宇宙船だ」
 「エレベーターの男」は答えた。笑うと、人懐こい感じになる。ガイ・タカラダ、黄色い肌の、気さくそうな人。

 (………今は逃げるんだ、あんたこのままじゃ殺される)
 (そしてお兄ちゃんが銃口を)
 (お兄ちゃん)

 思わず額に手を当てる。
 お兄ちゃん。なんだろう、この、暗黒の空洞を覗いたような感覚は。
 兄という言葉の中には、「記憶」が見当たらなかった。

 「悪かったとは思うが、君の記憶を探らせてもらった。異物になっていた部分を取り出したから、しばらくは名残があるかもしれないが、じきに正常になると思う」

 ガイは言い、探るように目を覗き込んでくる。

 「で、君は思い出したか、自分が何者であるのか、どうしてエンゼリアに関ることになったのか」

 え、と聞き返すと、ガイはがっくりと肩を落とした。そうかまだか、と口の中でつぶやき、気を取り直したように表情を改めた。

 「いや、ごめんな。まだ手術から時間がたってない君に酷なことを聞いた。思い出したら教えてほしい。君は我々にとって、とても貴重な人材なんだ」
 ガイは身を乗り出して言った。
 「エンゼリアのことを、なんでもいい、教えてくれないか、我々に」

 「エンゼリア、ですか」
 おうむ返しに問い返す。

 エンゼリア。
 頭の中にもやがかかっていて、うまく考えることができない。
 エンゼリア、エンゼリア学園、エンゼリア新聞。
 もやの奥で、その言葉が躍る。日常的に使われていた、あまりにも日常的なそれ。
 エンゼリア。

 「ああ、そうだ、エンゼリア人にもてあそばれているんだよ、我々は」
 ガイは言う。

 「パイオニア号の主砲がぶちぬいた空の穴、君も見たはずだ。ここは作り物の楽園、地球のちっぽけなイミテーションだ」

 空の穴。

 ふっと思い出す。
 あの日、爆音で教室が崩れた。突然、誰もいなくなった。鏡に見知らぬ自分の姿が映った。そしてパニックが訪れた。

 そうだ。
 学校の外に出てみたら、空が破れていた。
 青空の外に広がる無限の夜空は、悪夢が口を開いたかのようだった。

 ぐっと肩をつかまれる。耳元に口を寄せられてささやかれた。
 「思い出すんだ。できるだけ早く。情報が不足している」

 茫然と目の前の男を見つめ返す。
 ガイはしばらく娘の黒い瞳を見ていた。やがて力強く頷くと、彼女の肩を軽くたたいてから立ち上がり、颯爽と部屋を去った。

 かちゃん。扉が閉まったあとに、鈍い音で鍵のがかかる音が響く。
 施錠されている。ここからは、逃げられない。 

 閉ざされたドアを見つめながら、娘は呟いた。
 「エンゼリア」
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