文字数 7,011文字

 鋭い呼び出し音が遠くで鳴っていた。

 ものすごく良い夢を――この世のものとも思えないほど至福の夢を見ていたチャックは、正直、起きたくはなかった。いっそ無視しようと思ったが、しつこく続く呼び出し音が、パイオニア号からのそれであると気づいた瞬間、我に返った。

 (すごく柔らかくて真っ白で、綺麗な女の子たちが裸で俺にしがみついてくるんだ。ハーレムだったのに)

 ふくれっつらでボタン型のマイクを押して応答する。
 途端に胃が痛くなりそうな副船長の声が飛んできた。

 「いやそんなんじゃありませんや。寝てなんかいませんよ(と、口元のよだれを袖で拭いた)、誓って。だってそうじゃありませんか、そんな不謹慎な」
 ぱつんと口をつぐみ、チャックの顔色がすっと変わる。

 「え、地震――」

 恐る恐る、小型機のモニターから地上を見る。一見、なんら変わりない平和なエンゼリアの風景だ。しかし、よく見ると、非常にゆっくりだが、大きな揺れがきていた。

 チャックは息を飲んだ。
 仲間たちが入っていった、件のマンションも、大きな寒天のように揺れている。

 わかったか、このクソヤロウ、全員生きて連れ帰れよ、そうじゃなかったら、手前――。

 次第にイライラを抑えきれなくなってきたらしいアズのヒステリックな声に耐えかねて、チャックは「はいはいはいっ」と三連発で返事をかえし、マイクを切った。
 次にチャックはボタン型マイクのチャンネルを切り替えて呼び出しをかける。ガイにつながるはずだ。

 (これはとんでもないぞ)

 揺れはゆっくりとだが、大きく続いている。しかも、揺れと揺れの感覚が狭まってきているような気がした。
 ばらばらと、商店街の中の店の一つが崩れ始めたのを見て、チャックは目を剥いた。

 (船長、はやく出てくれよ)

 呼び出しは続いている。

**

 マリオンは、土色の顔色で倒れているガイを見て真っ青になった。まだ息があることを確認すると、しつこく続く揺れをこらえながら、ガイの筋肉質な体を背負う。クリスがもう片方の肩をかついだ。

 「早く行かなきゃ。この建物、つぶれちゃうよ」
 クリスが口早に言い、マリオンがうなずく。

 そこに、呼び出し音が鳴り始めた。
 「船長のボタンマイクよ」
 マリオンが言い、クリスが焦りながらガイの体をあちこち探る。

 プププ、プププ、プププ………。

 待っておれず、マリオンはガイを背負いなおして小走りで進み始めた。
 ああん待って、と、言いながらクリスがついてくる。

 玄関を出た時、ようやくクリスはボタンマイクを見つけ出し、呼び出しに応じた。

 「チャックからよ。屋上に向かえって。小型機からはしごを降ろしてくれるってさ」
 「急ごう」

 マリオンはぐらぐらと襲い来る揺れの波と戦いながら進んだ。
 エレベーター前では、今ようやく目が覚めたらしいカメオが蒼白の顔で、よろよろと立ち上がろうとしている。逃げてくる三人を見て、カメオの表情が明るくなった。

 「マリオン、大丈夫」

 しょうこりもなく歩み寄ろうとするカメオの前に立ちふさがって、クリスはぶっきらぼうに言った。
 「地震なのよ、すごく大きな。屋上に行ってチャックを待つわよ」
 「え、あ、は」

 ひっぱたきたいのをこらえながら、クリスはカメオの横を通り抜け、エレベーターのボタンを押した。

 ちょうど4Fで止まっていたエレベーターは、即座に開く。

 しかし、マリオンが鋭く叫び、エレベーターに駆け込もうとするクリスを止めた。
 「待って。途中で停止する可能性があるわ。非常階段よ」

 すかさず非常階段に続く扉に向かい始める。
 その時、また大きな揺れが建物を襲った。
 まるで沈没前のタイタニックのように、斜めになる床。

 各々、悲鳴を上げながら壁によりかかるが、ずるずると滑ってゆく。びしびしと壁に亀裂が入り、天井の一部が崩れてくる。

 「諦めないで」
 マリオンが悲鳴交じりに叫び、ガイの腕を首の前に交差させて自分の体に巻き付けるようにした。しかし立っていられず、前に倒れてしまう。

 「屋上に出ようにも、これじゃあ」
 カメオが悲壮な声を上げる。

 クリスは窓のさんにつかまり、滑り落ちる体を必死に支えていた。目を閉じると、走馬灯のように己の人生が頭の中をめぐる。
 (ああ、神様)

 涙のにじむ目を開くと、そこはどこまでも澄んだ青空だった。窓の外はこんなに美しい晴天だというのに。クリスはもう一度目を閉じ、そして、死ぬ覚悟をしながらまた目を開いた。
 そして、息を飲んだ。

 「こんなことって」

 え、とマリオンが床をずり落ちながら顔を上げる。必死の形相だ。
 カメオが壁にはりつきながら、やっとのことで窓枠のある部分まで歩み寄る。カメオも窓の外を見た。驚きの表情になり、マリオンを振り返る。

 「裸のマリオンたちが、マンションを守っている」
 はあ、とマリオンが目を剥いた。
 クリスが顔を真っ赤にして言い直した。
 「ばかね。例の女の子たちよ。あの子たちがみんなして、この建物を包んでいるの」

 網みたいになって!
 と、クリスは叫んだ。

 マリオンは歯を食いばって体が滑ってゆくのをこらえ、はいつくばって壁に寄った。間近にあった窓枠に片腕でつかまり、ガイを背負いながら力を籠める。

 「くーああっ」
 汗をにじませながら片腕懸垂を成功させると、なんとか窓枠に捕まり外の様子を見ることができた。

 アクアマリンの瞳を見開き、大きく息を飲む。
 それは、悲しいけれど美しい風景だった。

 無数の白い体が空を舞い、ぐらぐらと頼りなく揺れる建物を身をもって守っていた。
 天使たちは腕や足をからませあい、肉体の網を作っていた。それは下から順に編みあがってゆき、上へ、上へと完成されてゆく。

 大きく目を見開くマリオン達の目の前にも天使たちの網はできてきた。
 体のあちこちを傷つけながら、揺れる建物を懸命に守っている。大きく揺れがくるたびに、ぴしゃり、と赤いものが飛んできてガラス窓に当たった。

 「今のうちに上にのぼるのよ」

 マリオンは怒鳴ると、揺れがおさまった僅かな隙を見て、全力で走り出した。
 斜めになった廊下を真っすぐに駆け上がる。目指すは非常扉だ。

 「行くわよっ」
 カメオをうながして、クリスも後に続いた。

 次の揺れがくる、すんでのところで三人は非常扉の外に転がり出る。
 鉄筋の非常階段が伸びていた。手すりにしがみついて、一歩、また一歩と上に進んで行く。揺れがくる度に、まるで針金のような頼りなさで階段はたわんだ。
 「ヒィイ」
 悲鳴をあげながらも、目を閉じて登り続ける。

 と、そんなクルー達の体を優しく支え、上に導こうとする冷たい手があった。
 マリオンはぬるい汗が滑るまぶたの間から、神々しいほど白く輝く少女の裸体を見た。

 体のあちこちを傷つけた少女は、優しく微笑んでマリオンの体に触れ、元気づけるようにうなづいている。目があうと優雅に腕を伸ばし、天空を指さした。

 「あんたたち」
 クリスが涙ぐみながら片手を伸ばし、白い優しい手を握る。

 カメオが上空を見て、急に元気な声をあげた。
 「小型機がそこまできているぞ。チャックが僕らに気づいている。助かるぞ」

 手すりにしがみついているクルー達の元に、するすると縄梯子が降ろされた。
 すぐそこの上空に停泊している小型機からチャックが顔を出し、せいいっぱいの声で怒鳴っている。
 「屋上はだめだ。そこから乗ってくれ。手を伸ばせば届くだろう」
 手すりから身を乗り出せば届く位置に縄梯子が揺れている。

 クリスは頷くと、目の前のマリオンのお尻を叩いた。
 「あんたが先に行って。船長を放さないでよ」

 マリオンはきょとんとした目でクリスを振り向いた。そして、ニッと笑って見せると、親指を立てて合図した。
 ガイを背負いなおすと、気合を込めて上半身を手すりから乗り出す。

 風がふき、なかなかつかめなかったが、ついに片手は縄を捉えた。力強く手繰り寄せると、マリオンは自分とガイの体に縄梯子を巻き付けるようにし、上空に向けて、たぐりよせてくれるよう叫ぶのだった。

**

 パイオニア号では、アズとマイクが目を見開いてモニターを見ていた。
 エンゼリア全体が、大きく変化している。

 「信じられんな」
 モニターを解析していたアズは、ぼそりと呟いた。

 「時間が逆行しているぜ、この惑星は」
 「なにい」
 「もともと原始の状態だったんだろうな。それを、レイ・ホワイトとデューカ・ホワイトが人工的に進化を進めたんだ。その魔法が切れたんだろうな」

 惑星が、あるべき姿に戻ろうとしている。
 アズは俯き、深く息を吸った。
 そして、マイクを振り向くと、言う。
 「エンジンルームに行って、発進の準備をしてくれ」

 マイクはゆっくりと頷き、大きな体を揺らしながらメインモニタールームを出て行った。
 ガイたちが戻り次第、エンゼリアを脱出しなくてはならない。もう、一刻の猶予もないのだ。

 (間に合ってくれよ)
 アズはモニターを睨みながら祈った。

**

 クルー達を回収した小型船は上昇を始めた。
 全員いることを確認すると、チャックは溜息をつき、ポケットからガムを出した。

 「船に戻るまで、ガムは口から出しておけよ」
 ふいに、昏睡していたはずのガイが言葉を発した。脂汗を流しながらも、不敵に笑みを浮かべている。

 ガイを支えていたマリオンは、驚いて彼の顔を見直した。

 「無事だったな、みんな」
 ガイが言うと、緊張の糸が切れたらしいクリスがハラハラと涙をこぼした。窓に顔をくっつけて外を見ているカメオの背中に鼻を押し付け、すすり泣く。

 マリオンは唇を震わせて、ガイを見つめた。
 ガイは笑って、その金髪の頭を片手でくしゃくしゃとかき回す。

 (妹ってのは、いいもんだ)

 その時、窓の外を食い入るように眺めていたカメオが声を上げた。

 「マンションが崩れるぞ」

 クルー達は、その様子を見ていた。

 天使たちが守りの手を一斉に緩めた瞬間、崩れかけていた建物は、おもちゃのようにボロボロと壊れた。

 周囲の建造物はすでに崩壊している。
 崩壊した瓦礫の上を、凄まじい速さで緑の弦が覆い尽くそうとしていた。

 壊れたマンションの上にも、凶暴な勢いの植物群が這いまわり、たちまち森を作り上げてゆく。

 その森は濃い緑色をしていた。
 あまりにも深い色なので、ほとんど暗闇に見えるほどだった。

 緑の植物は勢いを増してゆき、みるみるうちに地面を覆ってゆく。
 栄えていた街を、埋め尽くすように。

 「一体どうなってるんだ」
 チャックがガムをかみながら、戸惑ったように呟いた。

 しいん、と重たい沈黙が小型船の中に満ちる。どんどん上昇してゆくエンジン音が聞こえるだけだ。

 ふいに、あっ、とカメオが叫んだ。
 クリスが、マリオンが同時に窓の外を覗く。

 そして、クルー達は息を飲んだ。

 白いものが、丸く形をつくり、宙を舞っている。

 それが、傷ついた天使たちが体をからめあって作った丸い網であることに、クルー達は気づいた。
 天使たちは輝きを発しているかのように、深緑の大地をバックに、白く映えていた。
 ゆらゆらと、まるではかないシャボン玉のように、丸く白い網は漂っている。

 「あの中に、守られているんだ、きっと」

 デューカとショウ・シャンが。
 きっと――。

 上昇してゆく小型船の窓からクルー達は天使たちを見送った。
 やがてその、白く輝く美しい球体は視界から消え、小型船はパイオニア号に到着する。

**

 巨大な波が地面に流れ込み、凶暴な緑は建物を覆い尽くす。

 空を飛ぶ鳥たちはやがて、急成長した植物の枝に落ち着き、壊れたエンゼリアのシールドからは、宇宙のまたたく星々が覗いた。

 青空と夜の闇がまじりあう、奇妙なエンゼリアの上空は、やがてシールドが崩壊してゆくにつれ、深く暗い宇宙の闇に覆われてゆく。

 風が厳しく舞い上がり、砂埃が高く踊った。

 どこまでも続く、偉大なる夜の中で、ショウ・シャンは目覚めた。

 傷ついた体の天使たちは、ショウ・シャンとデューカを砂の上に置くと一斉に舞い上がり、力尽きて、次々に波の中へ落ちて行った。

 ひときわ高い丘の上、海が見渡せる場所に、二人は救い出されていた。
 ショウ・シャンは立ち上がると、リネンの裾をひらつかせながら崖っぷちまで行った。

 潮の強いにおいが立ち込めている。
 見たこともない星座が空を飾り、いつまで続くかわからない夜が、そこにはあった。

 茫然と立ちすくむショウの耳に、ちゅぱちゅぱという音が聞こえる。
 はっと振り向くと、起き上がって座り込み、親指を吸っているデューカの姿が見えた。

 「ちゅぱ、ちゅぱ」

 無心に親指を吸い続けている。
 そっと歩み寄ったショウに気づくと、見上げて、無邪気に笑った。

 震える手を伸ばし、ショウはデューカの頭を抱いた。
 「お兄ちゃん」

 デューカが、「あぶう」と言い、嬉しそうに目を閉じている。

 (大丈夫、なおしてあげる)

 ショウはふいにあふれてきた涙をこらえきれず、上を向いて目を閉じた。熱い涙が頬をつたい、デューカの髪に落ちる。

 壊れた人形でも、大丈夫――。

 「生きてゆけるわ、一緒に」
 ショウは呟くと、いっそう強くデューカの頭を抱きしめた。

**

 エンゼリアを脱出したパイオニア号護衛部は、コロニー部と再び合体を果たした。

 ハムスターを胸ポケットに詰め込んだパイが、もの言いたげな顔をして護衛部の廊下を歩いている。
 くちゃくちゃとガムを噛んで廊下をぶらついていたチャックをつかまえると、
 「アズはどこ」
 と、詰問した。

 チャックは肩を竦めた。
 「部屋ですよ。寝てると思います」
 「まあ――」
 「二、三日は起こしてくれるなと言ってました。ほっといたほうがいいですぜ」

 パイはなんとも言えない表情で立ち止まり、胸ポケットのネズミを見つめた。
 黒くあどけない目で、ペットはこちらを見上げている。

 (可愛いから、いいんだけどね)
 パイは溜息をついた。

 アズはいびきをかいている。
 ひどく大きないびきだ。

 部屋の前まできたパイは、思わず息を飲んだ。

 防音の壁を通して聞こえてくるほどの、酷いいびきだった。
 これでは、確かに二、三日は起きないかもしれない。

 「ハムスター、わたしになついちゃうわよ」
 知らないわよ、もう。

**

 「マリオン、マリオンはどこか知ってる」

 ばたばたと廊下を走っていたカメオは、クリスにぶちあたった。
 クリスはあきれ切った顔でカメオを見た。腕を組み、眉を八の字にして相手を眺めている。

 「なんだよ」
 カメオがムッとすると、クリスは深く溜息をついた。

 「船長のとこよ」
 「ハア」
 「邪魔しないであげてよね」

 言い捨てるとクリスはカメオの横を素通りし、歩いて行った。
 カメオは眉をひそめて、その背中を見送っている。

**

 ベッドに寝かされたガイは、ゆっくりと目を開いた。

 マリオンが側で座っているのが見える。
 起き上がろうとして痛みを感じ、うめいた。

 「動かないほうが良いですよ」
 マリオンが静かに言った。

 ガイはゆっくりと座りなおすと、マリオンの白く整った顔を見た。マリオンは微笑んでいる。

 「マリオン」

 しかし、マリオンのアクアマリンの瞳が潤んでいるのに気づき、ガイは口をへの字にして閉じた。

 (7つの時に家族と記憶を失ったんです)

 はじめて対面した時、マリオンは屈託なく笑って自己紹介した。
 その時からガイは、亡くなった妹と彼女を重ねていたのかもしれない。

 そっと手を伸ばしてマリオンの頭を撫でてやった。
 マリオンは素直な笑顔を見せ、ぽろぽろと涙をこぼした。

 「ひとつ、お願いがあるんです」

 なんだ、とガイが尋ねると、マリオンは胸に下げているロケットを開いた。
 中から小さなチップが出てくる。あの、ショウ・シャンの記憶から異物を除去した手術の際、マリオンの7歳までの記憶を記録したチップである。

 「これは」

 「わたしの7歳までの記憶です」
 静かにマリオンは言った。
 「アズ副船長が目覚めたら、この記憶をわたしに戻していただきたいんです。いいですよね」
 「ああ」

 マリオンはチップをロケットに戻す際、ロケットにはめられている小さな写真を、ほんの一瞬、見つめた。

 賢そうな黒い瞳の、美しい少年が微笑んでいる。
 美しい、自分と瓜二つの。

 マリオンはふっと微笑むと、チップをロケットに戻すと、パチンと音をたててロケットを閉じた。
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