完全な人
文字数 4,315文字
長い足を黒いスラックスに包み、その人物は滑るような動きで現われる。
よく整った顔立ちと、調和のとれた痩身はデューカ・ブラウンを思わせた。が、本人ではない。
青い瞳は深く澄み、口元には、ほうれい線が品よく微笑を刻んでいる。優雅に波打つ髪は、美しい白髪だった。
銃を構えたまま、マリオンは言った。
「おとうさま」
え、と、ショウはマリオンを見上げる。
マリオンの白いうなじが小刻みに震えていた。
天井から、細かな瓦礫が落ちてくる。ぱらぱらと屑が、ショウとマリオンの肩に降りかかった。
優しげな笑顔を向け、大きく両手を広げながら、彼は言った。
「マリオン、おいで」
深い、音楽的な声だった。
ぐっと唇をかみしめ、震える足を踏ん張り、マリオンは表情を険しくした。やはり銃は構えたままだ。
もう一度、彼は言った。
「マリオン、さあ」
美しい声は聴く人を酔わす。ショウは、その声をもっと聴きたいと思った。
「………や」
やめろおおおおおおおおおおおお!
不意にマリオンは叫んだ。
そして、銃の引き金を引いた。
ズガン、ズガン、ズガン、ズガン。
「きゃあっ」
ショウがしゃがみこみ、耳をふさいだ。
**
パイオニア号、メインモニター室に続く広場にて。
アズが椅子にもたれ、足をPCデスクに放り上げた姿で仮眠を取っている。
マリオンとショウ・シャンがエンゼリア学園にワープした直後、自室で眠ろうとするアズを捕まえ、パイが言ったのだ。
「今は起きていて。エンゼリアから脱出したら、二日でも三日でも眠ってもらって構わないから」
お願いよ、と、一応は付け加えられたが、口調と声色はまさに脅迫だった。
それで、アズは顔の上に西部劇風の帽子まで乗せ、必死に周囲を寄せ付けまいとして何とか眠っているのである。
「あれじゃあ、寝ているのか起きているのか微妙だわ」
だって、声もかけられないじゃない、と、肩をすくめながらクリスが言った。
いつものベンチに腰掛け、雑誌や菓子類を積んで、モニターの見張り当番が回ってくるまでの時間つぶしをしている。船が停泊している間は、戦闘が起こらない限り、暇なのだ。
その菓子の中から一つ選んで、ぼりぼりと噛みながらメアリが立ち上がった。次の見張り番なのだ。丸い大きな胸が目の前で揺れるのを、クリスはぼんやりと見上げた。
「行くの」
メアリは変な顔をした。
「なによ、どうしたの」
クリスはぼんやりとした顔をしていたが、やがてくしゃっと表情を曇らせた。がばっと体を丸め、膝の間に顔を埋め込んでしまったクリスを見て、メアリは困惑する。
「変な子……」
つかつかと足音が近づいて、ふいにメアリは肩を押された。メアリは驚いて体をずらした。カメオが珍しくきつい目をしたて立っている。メアリの横をすり抜けて、ずいっとクリスの前に出た。
「ちょっと何よ」
目を丸くしているメアリをよそに、カメオはいきなり、きのこ型にカットされたクリスの豊かな赤毛に手を伸ばした。頭を上向けさせ、涙に汚れたクリスと視線を合わせる。いつになく乱暴に、カメオは言った。
「まさかと思ったけど、何かしたんだね。たぶん時計に」
はあ、とメアリは口を半開きにし、クリスは怯えたような目でカメオを見た。
「言うんだ。何をしたんだ、マリオンに」
がし、と肩をつかまれ、クリスは身をよじった。涙の跡が頬に光っている。
「ねー、あたし行くわよ、時間だもん」
チラチラ二人を眺め、メアリはメインモニタールームに歩いてゆく。
メアリの大きな体が扉の向こうに消えると、広間は寝ているアズと、カメオとクリスの三人になった。
「……ごめんなさい」
クリスが言う。
「何をしたんだ、言うんだよ」
カメオがクリスの肩を揺らした。
嗚咽をこらえながらクリスは答えた。
「一時間、遅らせたの」
カメオの表情が凍り付いた。一瞬遅れて、寝ているはずのアズが、蛇が鎌首を持ち上げるように、むっくりと頭を上げた。
ひくっ、とクリスはしゃくりあげる。
「ヨー、痴話げんかかー」
のんきそうに、見張り当番を終えたばかりのチャックが扉を開けて現われた。
だるそうに肩をもみながらアズが起き上がった。震えているカメオの肩を叩いてから、泣きじゃくっているクリスの前に膝をつく。アズは言った。
「マリオンの時計を遅らせた、そう言ったんだな」
ひくっ、とクリスがうなづいた。
「チャーック」
突然、稲妻のような怒鳴り声でアズが呼ぶ。タバコに火をつけようとしていたチャックは飛び上がった。
「な、な、なん」
「ガイを呼んでくれ。パイもだ。その他は広場に誰も入れるんじゃねえ、わかったか」
「おい、一体、な」
「早くしろクソヤロウ!」
あー、こんちくしょう、と怒鳴りながらチャックは広場を飛び出していった。
がくがくと震えているクリスを眺め、アズは溜息をつく。そして、立ち尽くしている相棒を見上げた。
「カメオ、このバカ娘はお前の領分だ。とっとと連れていけ」
「え、あ」
アズが意外に穏やかな口調なので、拍子抜けしたらしい。カメオは戸惑った顔で立ち尽くした。
「この、どん亀小僧が。どうせ意味は分からんだろうが、俺の言うことをきいて、部屋でもコロニー部でもどこでもいいから、連れて行って慰めてやるんだな」
**
銃声が途切れたので、恐る恐るショウは目を開いた。
銃を構えた姿勢のままで、マリオンが立ち尽くしている。
教壇の前に立つ「おとうさま」の姿は変わらない。
困ったような笑顔で肩をすくめ、穏やかな声で言った。
「そうか、奴らはおまえを、そういう娘に育て上げたのだな。可愛そうに、マリオン」
「ホログラムよ」
ちらっとショウを見て、マリオンが冷静な声で言った。
「実体はここにはいないわ。足音までさせて、なんて手が込んでいるの」
彼はゆっくりと手を差し伸べる。まるで本当にそこにいるかのように、彼は二人を見ている。
のろのろとショウは立ち上がった。
「そちらのお嬢さんは、事情を知るまい」
彼は愛想の良い調子で言い、ショウにむかって頷いて見せた。
「この、マリオン・ホワイトと、君も知っているデューカ・ホワイトは、わたしの子供たちだ。わたしはレイ・ホワイト」
レイ・ホワイト、かつて世界で最も優れているといわれた、高名な学者よ。
マリオンが小さな声で補足をつけた。
ショウは食い入るように、レイの姿を見つめた。
似ている、あの人に。あの人、デューカに。
「頭脳も容姿も身体能力も、完璧な人間をつくることがわたしの研究命題であり、それに成功したのが今から20年前だ。デューカが誕生したんだ。妻の腹の中が、デューカの仮の宿だった。わたしは息子を、平凡で哀れな子宮から、救い出してやった。そして」
施したんだ、わたしの持てる技術のすべてをもって、デューカが完全になるよう、施してやったんだ。
少し高くなった声で言うと、レイはわずかに紅潮した頬と輝きを増した青い瞳で二人を見つめた。
「おぞましいから、それ以上言わないでいいわよ」
ぼそりとマリオンは言った。蒼白な顔色である。
しかしレイは続けた。
「すくすくと育ってゆくデューカを見て、実験の成功を確信したわたしは、五年後、ようやく再度宿った生命にも同じことを施した。それが、マリオン、お前だ」
………ン。コーンカーンコーン。カーン……。
授業の終わりを示す鐘が鳴る。
レイ・ホワイトのホログラムは語り続けた。
「ところが妻が」
狂った妻が。
「このわたしと別れたいと、そして娘のマリオンを寄越せと」
あつかましくも、身の程知らずにも、あのブロンド女が。
「だが」
レイの目じりが僅かに上がった。口元が嘲笑の形になる。そんな表情でも、彼の顔の調和は崩れない。
「そんな要求に応じるものか。マリオンの7年分の記憶はわたしの偉大なる研究成果なのだ。その記憶データを引き抜いてやったのだ、わたしは。空白の状態になった娘を見て、あてが外れたか、あの女は狂った」
目をさらのようにして、ショウは視線をマリオンに移す。
冷たい汗を光らせた、ショート・ボブの美しい娘。
「完全に狂ったあの女は、マリオンの抜け殻を抱いて夜逃げした。姿をくらました。だが、わたしにはマリオンのデータがあった。だから」
だから、別に困らなかったんだ。いくらでも代わりを作ることができるから。
かわ、り。
小さくショウが呟いた。語尾が震えていた。
「帰るわよショウ、聞いていることないわ」
マリオンがショウの手を引き、腰ベルトのワイヤーを壊れた天井に投げ上げた。
マリオンにを引かれながら、ショウは振り向いた。
まだ、ホログラムのレイ・ホワイトは立って微笑んでいる。
さあ、とマリオンがショウを引き寄せた時、足音が聞こえた。
コン、カン、コン、カン、コン………。
「まやかしよ、気にしないで」
怯えるショウを片腕に抱き、マリオンは上に登り始める。
マリオンの腰の装置が、微かな音を立てて作動する。二人の体は軽やかに屋上へと進み始めた。
コン、カン、カン、カン、カン………。
足音はやまなかった。次第に近づいてくる。
「間に合いそうだな」
嬉しそうに、楽しそうにレイ・ホワイトのホログラムが言い、唐突に姿を消した。
**
するすると上までのぼりつめると、マリオンは、まず、ショウを屋上へあげた。次に自分がコンクリの床にまでよじ登ると、マリオンは眩しそうに青い空を見上げた。
パイオニア号はシールドを張っている。肉眼では見えないよう姿を消しているのだが、件の空の破れ穴は明らかに小さくなっている。
エンゼリアの修復機能が働いている。時間が、あまり残っていない。
「さあ、ショウ…」
小型船にショウを乗せ、自分も操縦席に飛び乗ろうとした時だった。
マリオンは物音に気付いて振り返った。
ショウも、窓から顔を出して目を凝らした。
風が巻き起こり、二人の髪の毛が大きく乱れる。
ギシ。ギシ。
屋上の壊れた穴から、音は聞こえてくる。
そして、ゆっくりと白い優雅な指が現われ、コンクリに手をついた。
よく整った顔立ちと、調和のとれた痩身はデューカ・ブラウンを思わせた。が、本人ではない。
青い瞳は深く澄み、口元には、ほうれい線が品よく微笑を刻んでいる。優雅に波打つ髪は、美しい白髪だった。
銃を構えたまま、マリオンは言った。
「おとうさま」
え、と、ショウはマリオンを見上げる。
マリオンの白いうなじが小刻みに震えていた。
天井から、細かな瓦礫が落ちてくる。ぱらぱらと屑が、ショウとマリオンの肩に降りかかった。
優しげな笑顔を向け、大きく両手を広げながら、彼は言った。
「マリオン、おいで」
深い、音楽的な声だった。
ぐっと唇をかみしめ、震える足を踏ん張り、マリオンは表情を険しくした。やはり銃は構えたままだ。
もう一度、彼は言った。
「マリオン、さあ」
美しい声は聴く人を酔わす。ショウは、その声をもっと聴きたいと思った。
「………や」
やめろおおおおおおおおおおおお!
不意にマリオンは叫んだ。
そして、銃の引き金を引いた。
ズガン、ズガン、ズガン、ズガン。
「きゃあっ」
ショウがしゃがみこみ、耳をふさいだ。
**
パイオニア号、メインモニター室に続く広場にて。
アズが椅子にもたれ、足をPCデスクに放り上げた姿で仮眠を取っている。
マリオンとショウ・シャンがエンゼリア学園にワープした直後、自室で眠ろうとするアズを捕まえ、パイが言ったのだ。
「今は起きていて。エンゼリアから脱出したら、二日でも三日でも眠ってもらって構わないから」
お願いよ、と、一応は付け加えられたが、口調と声色はまさに脅迫だった。
それで、アズは顔の上に西部劇風の帽子まで乗せ、必死に周囲を寄せ付けまいとして何とか眠っているのである。
「あれじゃあ、寝ているのか起きているのか微妙だわ」
だって、声もかけられないじゃない、と、肩をすくめながらクリスが言った。
いつものベンチに腰掛け、雑誌や菓子類を積んで、モニターの見張り当番が回ってくるまでの時間つぶしをしている。船が停泊している間は、戦闘が起こらない限り、暇なのだ。
その菓子の中から一つ選んで、ぼりぼりと噛みながらメアリが立ち上がった。次の見張り番なのだ。丸い大きな胸が目の前で揺れるのを、クリスはぼんやりと見上げた。
「行くの」
メアリは変な顔をした。
「なによ、どうしたの」
クリスはぼんやりとした顔をしていたが、やがてくしゃっと表情を曇らせた。がばっと体を丸め、膝の間に顔を埋め込んでしまったクリスを見て、メアリは困惑する。
「変な子……」
つかつかと足音が近づいて、ふいにメアリは肩を押された。メアリは驚いて体をずらした。カメオが珍しくきつい目をしたて立っている。メアリの横をすり抜けて、ずいっとクリスの前に出た。
「ちょっと何よ」
目を丸くしているメアリをよそに、カメオはいきなり、きのこ型にカットされたクリスの豊かな赤毛に手を伸ばした。頭を上向けさせ、涙に汚れたクリスと視線を合わせる。いつになく乱暴に、カメオは言った。
「まさかと思ったけど、何かしたんだね。たぶん時計に」
はあ、とメアリは口を半開きにし、クリスは怯えたような目でカメオを見た。
「言うんだ。何をしたんだ、マリオンに」
がし、と肩をつかまれ、クリスは身をよじった。涙の跡が頬に光っている。
「ねー、あたし行くわよ、時間だもん」
チラチラ二人を眺め、メアリはメインモニタールームに歩いてゆく。
メアリの大きな体が扉の向こうに消えると、広間は寝ているアズと、カメオとクリスの三人になった。
「……ごめんなさい」
クリスが言う。
「何をしたんだ、言うんだよ」
カメオがクリスの肩を揺らした。
嗚咽をこらえながらクリスは答えた。
「一時間、遅らせたの」
カメオの表情が凍り付いた。一瞬遅れて、寝ているはずのアズが、蛇が鎌首を持ち上げるように、むっくりと頭を上げた。
ひくっ、とクリスはしゃくりあげる。
「ヨー、痴話げんかかー」
のんきそうに、見張り当番を終えたばかりのチャックが扉を開けて現われた。
だるそうに肩をもみながらアズが起き上がった。震えているカメオの肩を叩いてから、泣きじゃくっているクリスの前に膝をつく。アズは言った。
「マリオンの時計を遅らせた、そう言ったんだな」
ひくっ、とクリスがうなづいた。
「チャーック」
突然、稲妻のような怒鳴り声でアズが呼ぶ。タバコに火をつけようとしていたチャックは飛び上がった。
「な、な、なん」
「ガイを呼んでくれ。パイもだ。その他は広場に誰も入れるんじゃねえ、わかったか」
「おい、一体、な」
「早くしろクソヤロウ!」
あー、こんちくしょう、と怒鳴りながらチャックは広場を飛び出していった。
がくがくと震えているクリスを眺め、アズは溜息をつく。そして、立ち尽くしている相棒を見上げた。
「カメオ、このバカ娘はお前の領分だ。とっとと連れていけ」
「え、あ」
アズが意外に穏やかな口調なので、拍子抜けしたらしい。カメオは戸惑った顔で立ち尽くした。
「この、どん亀小僧が。どうせ意味は分からんだろうが、俺の言うことをきいて、部屋でもコロニー部でもどこでもいいから、連れて行って慰めてやるんだな」
**
銃声が途切れたので、恐る恐るショウは目を開いた。
銃を構えた姿勢のままで、マリオンが立ち尽くしている。
教壇の前に立つ「おとうさま」の姿は変わらない。
困ったような笑顔で肩をすくめ、穏やかな声で言った。
「そうか、奴らはおまえを、そういう娘に育て上げたのだな。可愛そうに、マリオン」
「ホログラムよ」
ちらっとショウを見て、マリオンが冷静な声で言った。
「実体はここにはいないわ。足音までさせて、なんて手が込んでいるの」
彼はゆっくりと手を差し伸べる。まるで本当にそこにいるかのように、彼は二人を見ている。
のろのろとショウは立ち上がった。
「そちらのお嬢さんは、事情を知るまい」
彼は愛想の良い調子で言い、ショウにむかって頷いて見せた。
「この、マリオン・ホワイトと、君も知っているデューカ・ホワイトは、わたしの子供たちだ。わたしはレイ・ホワイト」
レイ・ホワイト、かつて世界で最も優れているといわれた、高名な学者よ。
マリオンが小さな声で補足をつけた。
ショウは食い入るように、レイの姿を見つめた。
似ている、あの人に。あの人、デューカに。
「頭脳も容姿も身体能力も、完璧な人間をつくることがわたしの研究命題であり、それに成功したのが今から20年前だ。デューカが誕生したんだ。妻の腹の中が、デューカの仮の宿だった。わたしは息子を、平凡で哀れな子宮から、救い出してやった。そして」
施したんだ、わたしの持てる技術のすべてをもって、デューカが完全になるよう、施してやったんだ。
少し高くなった声で言うと、レイはわずかに紅潮した頬と輝きを増した青い瞳で二人を見つめた。
「おぞましいから、それ以上言わないでいいわよ」
ぼそりとマリオンは言った。蒼白な顔色である。
しかしレイは続けた。
「すくすくと育ってゆくデューカを見て、実験の成功を確信したわたしは、五年後、ようやく再度宿った生命にも同じことを施した。それが、マリオン、お前だ」
………ン。コーンカーンコーン。カーン……。
授業の終わりを示す鐘が鳴る。
レイ・ホワイトのホログラムは語り続けた。
「ところが妻が」
狂った妻が。
「このわたしと別れたいと、そして娘のマリオンを寄越せと」
あつかましくも、身の程知らずにも、あのブロンド女が。
「だが」
レイの目じりが僅かに上がった。口元が嘲笑の形になる。そんな表情でも、彼の顔の調和は崩れない。
「そんな要求に応じるものか。マリオンの7年分の記憶はわたしの偉大なる研究成果なのだ。その記憶データを引き抜いてやったのだ、わたしは。空白の状態になった娘を見て、あてが外れたか、あの女は狂った」
目をさらのようにして、ショウは視線をマリオンに移す。
冷たい汗を光らせた、ショート・ボブの美しい娘。
「完全に狂ったあの女は、マリオンの抜け殻を抱いて夜逃げした。姿をくらました。だが、わたしにはマリオンのデータがあった。だから」
だから、別に困らなかったんだ。いくらでも代わりを作ることができるから。
かわ、り。
小さくショウが呟いた。語尾が震えていた。
「帰るわよショウ、聞いていることないわ」
マリオンがショウの手を引き、腰ベルトのワイヤーを壊れた天井に投げ上げた。
マリオンにを引かれながら、ショウは振り向いた。
まだ、ホログラムのレイ・ホワイトは立って微笑んでいる。
さあ、とマリオンがショウを引き寄せた時、足音が聞こえた。
コン、カン、コン、カン、コン………。
「まやかしよ、気にしないで」
怯えるショウを片腕に抱き、マリオンは上に登り始める。
マリオンの腰の装置が、微かな音を立てて作動する。二人の体は軽やかに屋上へと進み始めた。
コン、カン、カン、カン、カン………。
足音はやまなかった。次第に近づいてくる。
「間に合いそうだな」
嬉しそうに、楽しそうにレイ・ホワイトのホログラムが言い、唐突に姿を消した。
**
するすると上までのぼりつめると、マリオンは、まず、ショウを屋上へあげた。次に自分がコンクリの床にまでよじ登ると、マリオンは眩しそうに青い空を見上げた。
パイオニア号はシールドを張っている。肉眼では見えないよう姿を消しているのだが、件の空の破れ穴は明らかに小さくなっている。
エンゼリアの修復機能が働いている。時間が、あまり残っていない。
「さあ、ショウ…」
小型船にショウを乗せ、自分も操縦席に飛び乗ろうとした時だった。
マリオンは物音に気付いて振り返った。
ショウも、窓から顔を出して目を凝らした。
風が巻き起こり、二人の髪の毛が大きく乱れる。
ギシ。ギシ。
屋上の壊れた穴から、音は聞こえてくる。
そして、ゆっくりと白い優雅な指が現われ、コンクリに手をついた。