黒のプリンス

文字数 5,425文字

 ……ギシ。
 ギシギシ。

 ワイヤーが軋む音が聞こえた。
 その繊細な指は優雅に現われた。白い手が伸び出てきて屋上のコンクリに着く。

 華奢な見た目とは裏腹に、その手は関節に力を籠め、まるで強烈な吸盤のようにコンクリに貼りついている。そして、もう片方の手が、形の良い黒髪の頭と同時に穴から抜け出てきた。

 マリオンは、ゆっくりと銃を構えた。

 「動かないで」
 髪を風にあおられながら、よくとおる声で威嚇する。

 ふわり、と、黒髪が風に舞った。その人は優雅に苦笑した。威嚇されたにも関らず、滑るような動きで腕に力を籠め、上半身を現わす。そして長い脚が片方、コンクリを踏みしめた。

 ズガン。
 マリオンの放った弾丸は、相手の額に向け真っすぐに飛んだ。
 船の中のショウは悲鳴をあげた。

 しかし、男は相変わらず優雅な微笑を口元に刻んでいる。
 弾丸の進路は当たる寸前で奇妙に曲がりくねり、あらぬ方向に飛んで消えた。

 「ここでは、僕は守られている」
 デューカ・ホワイトは屋上に両足を踏みしめ、マリオンと対峙した。 

 「君は、マリオン」
 一文字一文字、かみしめるようにデューカは言う。
 瞳に相手を映しこみながら。

 「……僕の、マリオン」

 「わたしは誰のものでもないわ」

 マリオンは叫び、飛びのくように後ろに下がって小型船に飛び乗ろうとした。
 瞬間、デューカの姿が消えた。

 んっ、と押し殺した声でマリオンは苦痛をこらえる。成り行きを見守っていたショウは口に手を当てた。

 魔法のように移動したデューカは、マリオンの後ろに回り、腕をひねりあげていた。
 「行かせない」
 そっと耳元で囁く。

 その時だった。
 プププ、プププ。
 マリオンの腰のバッグの中で、何かが鳴った。

 プププ、プププ、プププ………。

 ショウ・シャンが、青ざめながらも必死で、小型船の天井を手動で開いている。デューカもマリオンも、船の中のショウ・シャンの動きなど、気に留めていなかったのだ。

 プププ、プププ、プププ………。

**

 ヘッドホンを耳に当て、トランシーバーを口元に近寄せながら、ガイはじっと待った。まるで獲物を狙う猛獣のように動かない。
 重苦しい沈黙が広間に落ちていた。

 アズとパイは、辛抱強くガイの様子を見守っている。
 「出ないのね」
 パイがそっと言うが、ガイは動かず、じっとヘッドホンを当て続けている。

 アズは溜息をつき、腕時計をちらりと見た。旧時代風のアナログ型だ。いちいち時刻を調整する必要があって手間だが、どうしても手放せないものである。

 「あと、二時間」
 アズは言った。死刑宣告のように、その声は広間に響き渡る。

 やがてガイの表情が変わり、目を見開いてヘッドホンを外した。ゆっくりと顔をあげ、アズとパイを交互に見る。

 「呼び出しが、途切れた」

 「貸してくれ」

 アズが猫のように、にゅっと体を伸ばしてガイの手元からヘッドホンを取り上げ、トランシーバーを手元に寄せた。せわしない動きでダイヤルする。
 すぐにアズはヘッドホンを外した。厳しい表情である。
 「繋がらない」

 パイが目を伏せた。
 ゆっくりとガイが、腰の銃を取り上げ、充填を確認する。

 「1時間半たっても戻らない場合は、無条件でパイオニア号を脱出させる。いいな、パイ」

 パイは息を飲んだ。大股で広間を出ていくガイの背中を見送る。
 アズは肩をすくめて溜息をつき、パイは拳を握りしめた。

 「あの男、誰にも止められねえよ」
 諦めたようにアズが言う。

**

 コンクリに叩きつけられて砕かれた通信用マイクを見て、マリオンは歯を食いしばった。
 デューカはマリオンの腰から奪い取ったバッグから、不快な音源を突き止め、すみやかに破壊したのである。

 腰のバッグには貴重な資料が入っている。奪われるわけにはいかない。
 マリオンはデューカの背中に素早く組み付き、柔術の要領で、すんなりと投げ飛ばした。

 投げ飛ばされたデューカは、しなやかな動きで片膝を立てて着地すると、銃を取り出して構えた。

 バッグを取り返したマリオンは船に飛び乗ると、ワープ起動させる。
 何発が弾丸が機体をかすめるが、すんでの差で上空に舞い上がり、まさにワープに入ろうとする。

 「……ショウ・シャン」

 後部から冷たい風が舞い込んでいることに気づき、マリオンはぎょっとして背後を振り向いた。そして愕然とする。

 ショウ・シャンの姿が座席から消えていた。

 消えたショウ・シャンを思い、一瞬、動きをとめた。その僅かな隙が仇となった。

 下方から狙い撃ちしてくる弾丸の一つが、小型船の動力部をかすめ、僅かに破損させたのだ。ワープに入る寸前だった船は唐突に動きを止め、ゆるゆると下降を始めた。

 「ちい」
 マリオンは額に汗を浮かべながら懸命に船を操作する。

 どうしても上昇しない。
 どうしても――。

 操縦を放棄し、マリオンはハッチを開く。勢いよく風が舞い込み、金髪が強く乱れた。
 煙を舞いあげながら下降を続ける船。マリオンは席から立ち上がった。

**

 小型船は煙を吹きながら商店街の中に突っ込んだ。爆音が鳴り響く。
 黒い煙と炎が立ち上るが、その勢いは徐々に失われてゆき、十分もしないうちに、灰色の濃い煙が立ち上るだけになった。

 (エンゼリアの、自動修復機能だわ)

 消防や救急が働いている気配は全くない。
 それどころか、人どおりすらなかった。

 パラシュートで通りに着地したマリオンは、銃を手にしながらゆっくりと歩き出す。
 服飾店、なにかのビル、書店、飲食店――。

 (繁華街……なのよね、ここは)

 「営業中」のランプが光る書店の前を行き過ぎる。店の内部ではにぎやかな音楽が流れているらしい。外にまで微かに聞こえていた。

 やがてマリオンは、こじゃれた喫茶店の前にさしかかる。
 なんとなく気になって、そっと茶色の扉を開いてみた。落ち着いた照明の店内からは、聞き覚えのある音楽が流れてきた。

 ……ロン。ロンロンロン。

 純喫茶風の音を立てながら扉は開き、そして静かに閉じた。
 一歩、二歩と入り込みながらマリオンは無人の店内を見回す。

 コポコポ。
 カウンタの奥ではドリップコーヒーが入る音がする。

 思わず銃を持つ手に力を込めながら、用心深く進んだ。

 客席には誰もいない。
 しかし、食べかけのケーキや、温かな目玉焼きなどがテーブルには乗っている。

 (喫茶店をしている、つもり)

 店の中を見回りながら、マリオンはカウンタの内側に入り、厨房を覗く。
 無人の厨房が、動き続けている。

 カツカツカツカツ。カツカツカツカツ。
 きざみキャベツができてゆく音。
 人はいない。機械仕掛けの包丁が動いている。

 キチキチキチキチ。キチキチキチキチキチ。
 いたるところでゼンマイが動く音がする。ガス台も、流しも、調理台も(キチキチキチキチ)どこもかしこも精密な機械が(キチキチキチ)回り続けている。

 カツカツカツ……。

 (ビートルズだわ、これ)

 なんとなく耳に残る曲を聴きながら、マリオンはカウンタから出る。

 ロン、ロンロンロンロン。
 純喫茶風の音が鳴り響く。思わず銃を構えて振り向く。
 ゆっくりと扉が開き、そして閉じる。入ってくる者は誰もいない。

 (お客がきた、つもり)

 カウンタにもたれながら、マリオンは成り行きを見守る。
 やがて厨房では、何かを焼き始める音が聞こえだし、甘く香ばしい香りが漂い始めた。

 (ホットケーキの注文を受けた、つもり)

 「人の姿が見えるようになるまで、もう少しかかる」
 ふいに耳元で声がして、マリオンは飛びのいで銃を構えた。

 カウンタの内側で、優雅な笑みをたたえたレイ・ホワイトが店のマスターよろしく腕組みをして立っている。

 ズガンズガンズガン。
 マリオンは、無表情のまま、立て続けに打ち放した。

 全く変わらぬ姿を保ちながら、レイは肩をすくめて苦笑した。
 「同じことを繰り返すとは、わが娘ながら、ふがいない」

 (ホログラムだわ)
 蒼白の顔色で、額に汗しながらマリオンは立ちつくした。

 厨房から、白いのっぺりとしたものがウェイトレス風の衣装を纏って、滑るように出てきた。品よく肩まであげた盆には湯気のたつホットケーキとココアが乗っている。マネキン風のロボット、いや、アンドロイドか。ほとんど音も立てずに客席まで食事を運んでゆくと、また音もなく戻ってきてカウンタの中に入り、「スタッフオンリー」の扉の向こうへ消える。

 「水はセルフサービスなんだ」
 愉快そうにレイが言った。

 「9時05分に男女二人連れが来店する。一人はベーコンエッグ、もう一人はコーヒーだけを頼んで、ちょっと口をつけただけで出て行ってしまう。非常に急いでいるらしい」

 微笑みをたたえながらレイは続ける。

 「9時21分に来店したのは銀行員風の男だ。タバコを吸うために来たんだろう。コーヒーを頼んで、一服して、そして客のところに行くつもりらしい」

 「それが、この店のシナリオというわけ」
 鋭い声でマリオンが口をはさんだ。
 構わずに、レイは指を整った形の唇に当て、嬉しそうに言う。
 「そろそろ修復が完了しようとしている。もうあとわずかなんだ。見なさい」

 一瞬、足元が揺らぐような感覚を覚えた。マリオンは銃を持っていない側の腕で、泳ぐように空気をかいた。プリンか何かを高いところから落とし、皿で受けたような不安定な感じ(ぷるる、ん)がして、身体のバランスが一瞬失われたのだ。

 そしてマリオンは目を見開いた。

 野球帽をかぶった少年がホットドックを食べながら、母親に綺麗に食べるよう注意を受けている。
 化粧の濃い女性と、恰幅の良い男性のカップルがけだるそうに朝食をとっている。
 灰皿に置いた煙草を取ろうとする銀行員風の男。

 賑やかで楽し気な喫茶店の風景が広がっていた。

 が、数秒も経つと、また奇妙に不安定な(ぷるる……ん)揺らぎが襲ってきて、また店の中は元の空虚な無人状態に戻っていたのだった。

 「いつもの平穏なエンゼリアに戻ろうとしている。見たろう。これがエンゼリアだ」
 楽しそうにレイが言った。

 マリオンはぐっと唇をかみしめる。眉を厳しく寄せて、青い顔で父親の姿を振り向いた。
 「まやかしじゃないの。バカバカしいわ。あなたたちは何がしたくて――」

 また、純喫茶風の扉の音が鳴り響いた。

 おどけたようにレイが片方の眉を上げる。
 「おやおや、招かれざる客のようだ」
 そしてレイの姿は唐突に消えた。

 マリオンはゆっくりと振り向き、そして大きく目を見開く。
 肩で息をしながら飛び込んできたのは、ガイであった。

 「船長」
 駆け寄ろうとするマリオンを見て、ガイは安堵の溜息をつく。そして、笑顔になった。いつもの屈託のない笑顔。

 「船長」
 しかしマリオンは大きく息を飲み、高い声で再度、叫んだ。

 いけない、背後に!

 笑顔のガイの後ろに、鋭く光る黒い瞳があった。そして、銃口が不気味な光を放つのを、マリオンは見た。

 しかし、銃声はなかった。

 飛びのいて身を低くしたガイと、銃を構えたマリオンは、息を飲んでそれを見た。

 デューカは銃を持っている。その手にしがみついて、動きを封じている少女があった。
 ショウ、とマリオンが悲鳴に似た叫びをあげる。

 ふいにガイがマリオンの腕をつかむと、猛烈な勢いで喫茶店の出口に突入した。少女に組み付かれたまま目を見開いているデューカの体を突き飛ばす。

 「きゃあっ」
 一緒に突き飛ばされた少女が悲鳴を上げた。

 振り向いている余裕はない。背後からデューカが銃を放ってきたからである。

**

 ショウ・シャンは、茫然とアスファルトに座り込み、目の前でデューカが銃を構え、機械的に引き金を引いている姿を見上げる。

 黒い瞳と黒い髪を持つ、貴公子のような彼。
 ふいに、ショウは鮮烈に思い出す。

 (泣かないで)
 細い、優雅な指と綺麗な横顔の少年。まるで王子様のような。
 (なおしてあげるから、だから…)
 わたしの、お人形。

 ショウは大きく息をついた。そして立ち上がる。
 「だめ」
 走り出す。
 「だめだよ、そんなことしちゃだめっ」

 悲鳴のように叫びながら、銃を使い続けるその人に向かい、ショウは飛び込む。
 「そんなこと、しないでえっ」

 王子様は。
 王子様の綺麗な手は。
 そんなことに使われるべきじゃない。

**

 マリオンは一瞬立ち止まった。そして、それを見たのだ。
 ショウがデューカ・ホワイトに飛びつき、アスファルトの上に転がるのを。

 しかし、次の瞬間、マリオンはガイに手を引かれ、振り返る余裕もなく走らねばならなかった。

 この後、ショウ・シャンがどうなったのか、マリオンもガイも、知りようがなかった。
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