再び学校へ

文字数 6,406文字

 照明を落とした薄暗いメインモニタールームでは、たっぷりした金髪を惜しげもなくショートボブにしたM・Wが、油断なく手元のディスプレイを見つめていた。

 オートモードに切り替えられているとはいえ、マンパワーによるチェックは欠かせない。
 ここは敵地なのだ。

 軽い音を立ててモニタールームに前髪を垂らしたカメオが入ってくる。内気そうに立ち止まり、しばらく彼女の後姿を見つめていたが、思い切ったように近づくと声をかけた。

 「マリオン」

 相手が振り向くと、思わず目を伏せたが、勇気を振り絞るようにして顔を上げ、そっと手を差し出した。
 小さな銀色のマイクロチップが乗っている。

 「取っておいてくれ。7歳までの、君の」

 ぐっと唾を飲み込んで、一気に言った。
 「君の記憶だ。それと、ガイからOKが出たから会いにいってやんなよ」

 痩身だが、弱弱しい印象は、ない。関節という関節に、バネのような活気が宿る。溌剌とした輝きが漲る、強い、強い女の子。
 金髪のショートボブ、勝気な天使。
 それがマリオン・ホワイト。

 「ありがとうカメオ」
 にこっと白い歯を見せた。マリオンは、カメオの手の中のチップをちらっと見て、一瞬眉をしかめた。せっかくの好意であったが、この贈り物は嬉しいものではなかった。

 しかしマリオンは、カメオの気持ちをむげにするのは、この場合ひどく残酷なことになると察した。チップをつまんで戴くと、胸から下げたロケットに入れた。

 「こんなことするなんて。ばれたら怒られるよ」
 マリオンは言った。

 「いいんだ」
 カメオは早口で答えた。そして思わせぶりに目を伏せた。
 「いいんだ、俺がしたくてやったことだ」

 「次の見張り当番だよね、頼める」
 マリオンはにこやかに言った。カメオはその調子に飲まれた。ぽかんとして、あ、うん、と頷いている間に、マリオンはモニタールームを飛び出した。

 「あ」
 呼び止めようとして、失敗したカメオ。
 その姿を、もの言いたげな様子で眺めている少女がいた。

 (見張りのモニターは二つあるんだけどな)
 クリスがふっくらした頬を椅子の背もたれにもたせ掛けて、不満そうに腕を組んでいる。見張りの交代待ちはクリスも同じだったのだが。
 (愛するマリオン以外は目に入らないってわけ)

 「あ、クリス」
 やっと気づいたカメオが、一気に顔を赤らめてもがもがと口ごもった。
 「あの、ええと……いたの」

 ガタン、と音を立ててクリスは立ち上がり、大股で歩きモニタールームを横切った。
 「もうじきサラが来るでしょう。サラったら、いつも五分くらい遅れるのよ。それまで見張り当番、カメオ一人になっちゃうけれど、ちょっとの間だから。わたしはもう行くわ」
 つんと、クリスは横を向いた。

 バタン。
 大きな音を立てて扉はしまった。ヒステリーの原因がわからないまま、カメオは立ちすくんだ。

**

 美しく、賢い、黒髪の少年。たったひと夏の思い出を残し、彼は、またすぐにどこかに行ってしまった。

 印象的な深い瞳。
 完璧に整った顔立ち。
 デューカにうり二つの。否。あの姿はデューカそのものである。

 あの秀麗な面影をそのままに、大人になった、王子様。デューカ。

 しかし、本当に?
 そんなことがあるのだろうか。
 娘には分からなかった。ほんの僅か前までは、自分の兄と信じていたその人が、幼い頃に手を差し伸べてくれた王子様だったなんて。

 (大丈夫、僕がなおしてあげる)
 壊れた人形を、王子様の繊細な細い指が、優しく抱き取る。
 (泣かないで。だから……)

 ベッドに座ったまま、ぼんやりと天井の照明を眺めた。
 頭痛はすっかりおさまり、色々なことが戻ってきてはいるのだが……。

 ドアノブが音を立てて、ゆっくりと人が入ってきた。
 目の前に来た女性を見て、娘は息を飲む。最初は不可解な笑みが浮かび、次には疑念、それから怯え、やがて驚愕へと表情がゆっくりと移ろう。

 「はじめまして……と言うべきでしょうね」
 少し照れたように笑いながら女性は言った。

 ショートボブの金髪をかき上げ、アクアマリンの瞳で相手を見つめながら。
 「マリオン・ホワイトよ。あなたの見ていた姿と同じかしら。あなたのことは何と呼べばよいの」

 驚きの表情を崩さないまま娘は言った。
 「どうして」

 くすっとマリオンは笑った。
 鮮やかな表情、仕草、声。いちいち少女は目を見開き、息を飲んだ。

 マリオン・ホワイトがいる。鏡の中の美少女、マリオン・ホワイト。
 だが違う。マリオンであってマリオンではない。この人は。

 (壊れ物のような、お人形のような女の子のはずよ)
 娘の表情に疑いの色が浮かぶのを見て、マリオンは苦笑する。

 「どうやら、『兄』が思い描いているわたしの姿は、現実とは違うようね」

 マリオンは娘から距離を取り、くるっと回って見せた。
 細くしなやかだが力強い腰。健康なお尻。バネの強い膝、真っ白なうなじを惜し気もなく出したショートヘア。

 相手の反応を読むように、マリオンは娘を見つめた。そして、抱えていた着替えを差し出した。
 「着替えて、良かったら。メアリんとこの女の子のお古をもらったの。そのパジャマをいつまでも着たままじゃ、かわいそうかと思って」

 娘は無言で受け取ると、ばさりと広げてみた。
 どう?
 と、聞かれ、恥ずかしそうに、ありがとう、と答える。

 「ショウ・シャン」
 小さく娘は言った。

 「え」
 「ショウ・シャン。それがわたしの本当の名前みたい」

 黒い瞳がじっとマリオンを見上げた。
 娘――ショウ・シャンーーは、ふいに涙ぐんで俯いた。

 オフホワイトのブラウスにコーデュロイのエンジ色のジャンパースカートを着け、黒のタイツにローファーを合わせた。そんな姿で、ショウは恥ずかしそうに歩く。

 ショウは、堂々と歩くマリオンの背中に隠れた。「パイオニア号」の船員たちの好奇のまなざしが、ひたすら怖かったのだ。

 「いわゆるコロニーは船の中央、一番安全なところに作られている。ここよ」
 歩きながらマリオンは足元を指さした。

 ここ、と目を見開くショウに、にいと笑ってみせた。
 「今歩いているところは、わたしたち船員のエリアね。船員兼戦闘員。コロニーの住民を守るのが一番の使命」

 きて、と、マリオンはショウの手を取った。白い廊下の角を曲がり、小さな目立たない扉の前に来る。手袋を取り、手のひらをかざすと、センサーが反応して扉が開いた。細い階段が下に続いている。

 階段を降りてゆくとまた扉があった。開くと眩しい光が差し込んで、ショウは思わず目をすぼめた。

 右手に広々とした田園が広がり、左手には気持ちの良い小道が集落に続いている。いくつかの家や、可愛らしいマンションが立ち並ぶ。のどかな町が遠くに見えていた。明かりがカラフルに輝いているので、賑やかしい商店街もあるのだろう。

 風が吹いてきて、ショウの三つ編みを揺らす。オレンジ色の眩しい太陽や、ゆっくりと動いてゆく純白の雲。田園からは、甘酸っぱいような初夏の香りが漂っている。

 「自然に思えるでしょうけれど、人工物よ」
 当然だけどね、とマリオンが言うと、ショウは息を飲んだ。

 「わたしたちは地球を出て、ここで暮らしているの。どうしてだか分かる」

 見上げるとマリオンのアクアマリンの瞳は人工の太陽に透けて、ほとんど透明に見えた。形の良い唇にはグロスなど塗っていない。マリオンは、毛穴の存在さえ感じない肌を持っている。大理石と区別がつかないほどだ。

 「あの日から」
 陶器のようなマリオンは、遠くを見つめながらゆっくりと言った。

 「エンゼリアが地球を攻撃した、あの日から全ては変わった。住んでいる場所を破壊された地球人で、運の良い人たちだけが船に乗って宇宙に逃げることができたの」

 パイオニア号みたいな。
 そう言って、マリオンはちらりとショウを見た。

 恐れるように目を見開き、顔をこわばらせて、ショウは目の前の風景を見つめている。
 かちかち、と、歯が鳴った。

 「マリオン、わたし」
 ショウは言った。
 「わたしね、覚えてる。家や町が吹き飛んで炎に包まれて、みんないなくなったの。だけど」

 怯えるようにマリオンを見上げながらショウは続ける。
 「あれからどれくらい経ったの」

 そっと少女の頭を撫でてやりながら、マリオンは答える。
 「たったひと月よ」

 ひと月。
 ガラスのように凍り付いた瞳で、ショウは口をつぐむ。

 「どういう理由かは分からない。だけど、兄はあなたを選び、エンゼリアに連れ去ったのね。そして、マリオン・ホワイトの人工記憶を植え付けて、幸せな兄妹としての物語を紡ごうとしたの。だけど、その夢はたった一か月しか続かなかった」

 (あと一日だったんだ。それで君はマリオンになれたのに)
 くらりと足元が揺らいで、ショウはマリオンの腕にもたれた。

 移植された記憶が完全に根付くまで、あと一日だったという。あと一日たっていたら、その人工記憶は「異物」として取り出されることすらできなくなっていたのだろう。

 「パイオニア号は、ついにエンゼリアを発見して、シールドを破ることに成功したの。主砲で打ち抜いたところに船の鼻先を突っ込んでいるのだけど、エンゼリアの修復機能が働いているから、打ち抜かれた穴もどんどんふさがってきているわ」

 時間がないのよ、と、マリオンはショウの肩を軽くゆすった。

 「ここにとどまっていられる時間は僅かなの。エンゼリアについて何か思い出さないかしら。必要ならもう一度エンゼリアに降りてもいいわ。わたしが守ってあげる」

 しばらく口をつぐんだまま揺さぶられていたが、やがてショウは視線をマリオンの目に当てた。思い出したようにショウは言った。
 「歴史のテキストが」

 自信がなさそうにショウは言った。
 「エンゼリアの歴史の教科書なら、あるわ。それで勉強させられていたもの。でもそんなもの、参考になるのかどうか」

 「それはどこにあるの」
 ショウの肩をつかむマリオンの手に力が入った。

**

 叩き起こされたせいで不機嫌なアズ。それをけん制するパイ。じっと目の前の少女を見つめて考え込むガイ。

 三人はベッドの前にパイプ椅子を出してきて、どっしりとお尻を降ろしていた。
 おずおずとベッドの端に座るショウ。彼女を守るようにマリオンが寄り添っている。

 「可愛いわね、その服」
 かちこちに竦んでいるショウに対し、パイが女性らしく思いやり深い言葉をかけた。パイは場を和ませようとしたのである。
 ところが、女の子の気持ちなど露ほど考えたことのないアズが、すべて台無しにした。

 「で、ショウ・シャン。俺は君の脳みそから異物を取り出すことはできたが、君がどんなことを考えているかとか、君の生い立ちとかを把握してるわけじゃないんだ。俺たちは果たして、君のような子を信用できるのか」

 最後の一言はマリオンに向けて放たれている。
 ショウは泣きそうになった。マリオンはショウの肩に手を回しながら、柔らかく答えた。

 「彼女は病み上がりみたいなものよ。だから優しくね。可能性があるならすがりたいわ。歴史の教科書があるなら、エンゼリア人が何を企んでいるのか読み取れると思う」

 そうだな、とガイは頷いた。パイと目を合わせると頷きあっている。

 「時間はないわ。あと6時間しかないの。それまでに必ず船に戻って」
 パイが念押しするように言うと、慌てたようにガイが言った。
 「待てよ、俺が行く」
 「だめよ」
 にべもなくパイは吐き捨てた。

 「船長がフラフラと船を出ないでほしいわ。自信過剰もいいところよ。もう行かせられない」

 沈黙の末、ガイが溜息をついた。
 「マリオン、何も発見できなくても時間までには必ず戻るように。極力戦闘は避ける。もし危険が発生したら、すぐにSOSを出すこと」

 かちゃん、と、軽い音を立てて入室してきた者がいた。クリスである。手に銀色の腕時計を持っていた。
 「マリオン、これあんたのでしょう。置きっぱなしになってたから」

 「ありがとう」
 にこっと受け取るマリオン。
 どこか不自然な無表情でうなづくと、クリスは音もなく部屋を出て行った。

**

 小型船がワープしたのは、エンゼリア学園の屋上だった。

 滑らかな動きで天井が開き、身軽に飛び降りたマリオンが手を差し伸べてショウを助けた。
 風が巻き起こり、髪の毛とスカートをあおられながら、ショウは周囲を見回す。

 (学園の屋上)

 女生徒同士誘いあってお弁当を食べる場所。
 その友達の名前も言える。顔も思い浮かべることができる。
 だが、すべてが、空虚だ。

 (ここでお弁当を食べたことなんか、たぶん、なかったんだ)

 足を踏みしめて歩く。
 上着の内側に銃をひそませたマリオンが、ショウの背後についた。

 教室は、このすぐ下だ。屋上の床の一部が壊れて抜けたままになっていた。
 そこを指さして、ショウは言った。

 「あそこに、いたの。わたし」

 片腕でショウを抱えながら、ワイヤーでするすると降りる。
 荒廃した教室に降り立ち、マリオンはショウをそっと立たせた。

 壊れた机、椅子、割れた黒板。
 テストを受けていた最中のままだ。

 ショウは唾を飲み込むと、ゆっくりと見回す。落ちてきた天井と壊れた机の下から女生徒の制服が見えていたのを思い出し、急いで屈みこむと、やはりそれはあった。

 がらがらと細かい瓦礫を落とす。
 人間の肉体にしては固いものが現われる。固い何かが制服をまとい、潰されている。これは――。

 「マネキン」
 呟いて、ショウは手をひっこめた。
 汚いものでも触ったかのように。

 「早くしてちょうだい」
 マリオンが低い声でせかした。

 ショウは立ち上がり、自分のいた窓際へ走る。
 ちょうど柱のかげになって、潰されずに済んだ机がショウのいた場所だ。
 中に手を入れると、何冊かテキストが出てきた。

 数学と、物理と、歴史。

 「ちょうだい、こちらに」
 早口でマリオンが言った。言われるままにテキストを差し出すと、マリオンはそれを腰に下げているバッグに突っ込む。

 「早く行きましょう、ここにもう用はないわ。さあ」
 マリオンがそう言った時、鐘が鳴った。
 学園の、授業の始まりを告げる鐘。

 「さあ、早く」
 体をこわばらせているショウの背中をたたく。

 ショウはマリオンの腕に捕まった。怯えるように目を見開きながら。
 「来るの。誰か来るわ。足音が」

 え、とマリオンが聞き返すのと同時だった。

 コツン。

 「そんな。誰もいるはずないわ。だってここは」

 そっと手を上着の内側に入れながら、マリオンは呟く。
 ここは、無人のはずだ。学園とは名ばかりの。

 しかし、足音は次第にはっきりと、確実に近づいてくる。

 コツン。コツン。コツン。………コツ。

 マリオンはショウを背中にかばい、銃の安全装置を外した。

 静かに、優雅に教室の扉が開き、そして、人が姿を現した。
 ショウが息を飲み、マリオンは目をすぼめて身構える。

 カラカラ………。

 瓦礫がひとかけら、天井から降ってきて、破壊された教室の上で音を立てた。
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