第47話 魔物

文字数 12,245文字

 山門の正面。
 赤々とした篝火に照らされて、一人の少年が浮かび上がる。
 学生服の上に黒い打裂羽織をまとい、腰のベルトに差した無鍔刀は、まさに剣士そのものといった風情だ。
 年齢は15,6歳くらい。
 鋭い眼光を放つ瞳からは、年不相応な威圧感があった。
 澄香は疲労と焼けるような刀傷で視界が霞む中、その人物が誰かすぐに分からなかった。
 だが、その凛々しい面差しを見間違えるはずもなかった。
「隼人……」
 思わず少年の名が、澄香の声によって呼ばれる。
 澄香は、敵の真っ只中を威風堂々と歩く少年を見た。
 隼人は、澄香を一顧だにせず、真っ直ぐに源郎斎を見つめていた。
 歩んで行く隼人の前に、刀を抜いた4人の男が立ちふさがった。
「どけ」
 隼人は邪魔者に告げる。
 だが、男達はそれに逆らい、刀を振り上げて襲いかかってくる。
 隼人は手貫緒に親指を掛けると絡ませながら柄を迎えに行き、無鍔刀を抜いた。
 右脚を大きく踏み出し、左手を柄に添える。
 そのまま、流れるような動作で、男の胴を右に薙いだ。
 さらに、横から迫るもう一人の男の攻撃を掻い潜って、懐に入り込む。
 そのまま、相手の胸を突いた。
 刀が、肋骨の間をすり抜け心臓を貫く。
 その刃を引き抜きながら、一歩下がる。
 後ろから斬りかかってきた別の男の斬撃が振り下ろされる前に、その両腕を胴ごと薙ぎ払う。
 その薙ぐ勢いを利用して、背後の男の喉を斬り裂く。
 その間、僅か2秒足らずの出来事だった。
 瞬く間に4人の男が斬られていたが、誰一人血を流していなかった。
 男達が状況を理解できていない側を、隼人は通り過ぎた。
「一つ言っておく。一歩も動くな、動いたら、あの世に行くぞ」
 隼人は、4人の男達に告げる。
 それは、警告であり、脅しでもあった。
「な、なんでえ」
「全然斬られてねえじゃねえか」
「この下手クソが!」
「冷や冷やさせやがって」
 男達人が、隼人の剣を、せせら笑った。
 それから4人は背中を見せる隼人に一斉に襲いかかろうと、一歩を踏み込む。
 澄香は何が起こるか分かっていた。
「バカめ……」
 澄香は目を閉じて、惨劇に備える。
 次の瞬間、男達は胴が裂け、心臓から血を吹き、両腕が落ち、喉から血を吐き出しながら倒れた。
 その光景を見て、門弟のみならず、隆元も息を呑んだ。
 隼人は、脇差を拾って澄香の前まで来ると立ち止まる。
 そして、脇差を鞘に納めた。
 隼人は澄香を見つめる。
 その顔には表情がなく、まるで人形のようだった。
 澄香には、そんな彼の姿がとても恐ろしく見えた。
 だが、それでも澄香は口を開く。
 言わなければいけない言葉があるからだ。
 澄香は、震える声で告げる。
「ごめん。私、隼人と霧生さんが話しているのを聞いて……。お父さんの首があるって知って、どうしても取り戻したくって……」
 澄香は、頭を下げる。
 ぶたれることも、殴られることも覚悟した。隼人、志遠、七海。全員が隆元の陰謀に動いていたにも関わらず、澄香だけが私欲で動いてしまった。
 あまつさえ、自分自身で危機的状況を招いたのだ。弁解の余地は無い。
 すると、突然、頭に手が置かれる。
 頭を撫でられた。
 それは澄香が熱でうなされていた時にあった、あの手の感触だった。
 「よしよし」する撫で方は、よく親が子にする撫で方。愛おしく思う気持ちが込められているのを感じた。
 澄香は驚いて、顔を上げる。
 そこには、いつも通りの笑顔を浮かべる隼人がいた。
「いいよ」
 隼人は、一言だけ告げる。その声は優しくて、温かかった。
 その短い言葉で、澄香は救われる思いだった。
 そして、隼人は言う。
「澄香の気持ちは、俺も分かる。仮に俺は自分の母親の首が(さら)しものになっていたと知ったら同じようにしたと思う。俺こそ知っていながら、取り返してやれなくて済まなかった」
 隼人は謝る。
 澄香は、涙を流した。
 だが、それは悲しみのものではない。
 澄香の頬を伝い落ちるのは、喜びの涙だった。
 源郎斎は言う。
「《なにがし》の隼人か。邪魔をしよって、俺はこの戦いにおいて、誰も手出ししてはならんと言ってある。勝負を汚すな」
 隼人は答える。
 その口調は冷淡であった。
「そうかい。だがな源郎斎、俺も言っておいたよな。澄香に手を出すということは俺にケンカを売るのと同義語だと思えと。
 俺の首は澄香に預けてあるのと同様に、アイツの命は俺のものでもあるってな」
 源郎斎は、不敵に笑う。
 それは、強者の余裕だった。
「強気じゃのう小僧」
 隼人は声のする方向を見た。
 道場の入り口。
 車椅子に座る隆元であった。
「アンタが人でなしのジジイか。よくもまあ、赤子から骨髄を搾り取ろうなんて、ろくでなしなことを考えたものだ」
 隼人は、隆元の方に向き直りながら言った。
「ほほう。お前のような小僧にバレていたとはな。これは一本取られたわい」
 隆元は、豪快に笑い飛ばす。
 だが、その目は笑ってはいなかった。
「じゃが。ここに来た以上、これで生きて帰れる状況ではなくなったぞ。覚悟はできているのか? ここにおる鬼哭館の剣士が何人いるか知っておるか?」
 隆元は目を細めながら告げる。
 だが、隼人は臆することなく言い返す。
「さて。何人かな。それより知ってるか俺が指打ちしたら、確実に2人の奴が死ぬんだぜ」
 隼人は、周囲を囲む男達を回し見る。
 口元を薄く開き笑う。
「そうだよ。俺と澄香が、街中で襲撃を受けたときに逃げやがった2人。そこのお前と、お前だよ。顔を覚えているぜ」
 隼人は、2人の男を指差した。
「ほう。先程の妙な技を、仕込んでおいたのか。じゃが、たかが2人じゃぞ。それにワシらは全員刀を抜いている。貴様が勝てる見込みなど万に一つもないわ」
 隆元は高笑う。
 隼人は、そんな様子を鼻で笑った。
「さて。本当に2人で済むのかな?」
 含みをもたせる隼人に、澄香は理解ができなかった。隼人が、何かを企んでいることは分かったが、それが何なのかまでは分からなかった。
 隼人は、門弟達を見る。
 一周をグルリと見る。
 その視線には、怒りも憎しみもなかった。
 ただ、見ているだけだった。
 そして、隼人は告げる。
 それは、まるで死刑宣告のように冷酷に聞こえた。
「今、俺と視線が合った奴。体調はどうだ?」
 門弟達がざわめく。
 皆が、自分の体を確かめるように触っていた。
 だが、どこも異常はなかった。
 その答えに、隼人は満足げに微笑む。
 そして、隼人は告げる。
「胸は、心臓は苦しくないか? グッと心臓が鷲掴れてよ。段々と、苦しくなるんだ。ズキ、ズキってよ。
 お、どうした。顔色が悪いぞ、額から脂汗が出てるじゃねえか? そんなギトギトの脂顔じゃ女にモテねえぞ。
 いや、そんなこと気にしている場合じゃないな。だって、息苦しくなってきたんだからよ」
 その言葉を聞いて、門弟達の顔色が青ざめる。
 そして、1人の男が胸に手を当てた。
 すると、その男は急に苦しみ出した。
 口から泡を吹き始め、白目を向く。
 それを見て、他の者達も一斉に苦しみ出す。
 中には、胸を押さえ、喉を掻きむしる者もいた。
 その数は、時間と共に増えて行き、一体何人が苦しみ始めたのか分からなかった。
 その症状を見て、源郎斎は目を見開く。
 それは、彼が初めて見せる動揺であった。
 源郎斎は、慌てて叫ぶ。
「《なにがし》。貴様、何をしている!」
 その声は悲鳴に近かった。
 澄香も何が起こっているのか理解の範疇をこえていた。
 しかし、この場でただ一人だけ例外がいた。
 隼人である。
 その顔には狂気じみた笑顔が浮かぶ。
 そして、その声は楽しげだった。
 まるで、新しい玩具を与えられた子供みたいだった
 その光景は、狂気そのものでしかなかった。
 やがて、その笑い声は大きくなる。
 それは地獄からの呼び声にも似ていた。
 境内に響き渡る笑い声だった。
 澄香はその姿を見て思った。
 ―――狂っていると。
 澄香は、思わず耳を塞いだ。
 それでも、笑い声は澄香の耳に入ってくる。
 まるで、地獄の底から響いてくるようだった。
 そして、突然の指打ちが鳴る。

 パチン!

 一瞬にして、世界に無音が訪れた。
 澄香は、恐る恐る手を下ろす。
 そこには、いつも通りの隼人の姿があった。
 そして、周囲を見た時、澄香はあまりの光景に吐きそうになった。
 そこあったのは、倒れた男達の姿であった。
 だが、その表情は恐怖に引き攣り、苦悶の叫びを上げて硬直していた。
 首から上がない者、両腕のない者、腹から内臓が飛び出している者、全身の血が全て流れ出てしまったかのように真っ赤に染まった男達の死体が、辺り一面に転がっていたのだ。
 その死体は、どれもこれもが異様な死に方をしていた。
 生きている者も居たが、数えるほどしか居ない。そんな凄惨な光景の中で平然と立っている隼人が異質であった。
 澄香には理解できない世界が広がっていた。
「……こ、小僧。貴様……、何をした……。これは何だ!」
 隆元は震える声で尋ねる。
 震えているのは声だけでない。隆元の車椅子を押す若い男もまた、ガタガタと体を震わせていた。
 その顔は血の気が引き、唇は紫色になっていた。
 突然誕生した地獄絵図に、隆元でさえ混乱するばかりだった。
 だが、隼人は答える。
 まるで、今日の天気を話すような口調で。
 それは、日常会話のような気軽さで語られる。
 隼人は言う。
「《闇之太刀》」
 その瞳に宿るのは、殺意と憎悪だけだった。
「これも《闇之太刀》だと」
 源郎斎は驚愕のあまり絶句した。
 隼人は、静かに語り始める。
「《闇之太刀》というのは、単に合図や条件だけを元に発動する斬撃のことじゃねえ。
 斬られた者、それを見た者、それを聞いた者、それを口にした者の全ての記憶や心に《闇》という刃を残すことにある。
 俺が鬼哭館の集団連中と戦うのは5度目だ。《なにがし》という名を知り、その《闇之太刀》を鬼哭館の連中は知った。
 見えない存在は不安になり、疑心に繋がり、やがてそれが恐怖になり、死への恐怖が連鎖反応を起こす――。
 今の言葉で言うところの、一種の集団ヒステリーを引き起こした」
 その言葉を聞き、源郎斎はようやく事態を飲み込むことができた。

 【集団ヒステリー】
 集団の成員の1人の感情や思考が他の成員に伝染し、身体症状や精神的興奮や恍惚状態などの精神症状が生ずることをいう。
 もともとは中世のヨーロッパ、とくにドイツやフランスで、多くの人々が一団となって熱狂的なダンスに陶酔し、身体的にけいれんをおこし幻覚をも伴った没我状態に陥った集団行動のことをいった。
 こうした行動は悪魔に取り憑かれたものと一般にはみなされ、スペインやイタリアでは毒グモ・タランチュラにかまれて狂乱したものとみなされた。
 このような没我的な集団的ダンス(舞踏病)は、中世のヨーロッパに限られたことでなく、時代と所を問わず至る所でみられる。
 日本では慶応三年(1867年)8月から翌年4月にかけて伊勢神宮ほかの神符等が降ったということを契機に,畿内・東海地区を中心に起こった狂乱的民衆運動・「ええじゃないか」は、ある種の集団ヒステリーだとされる。
 すなわち、痙攣(けいれん)、失神、歩行障害、呼吸困難などの身体症状、または興奮、恍惚状態などの精神症状が伝播する。
 通常は感情、関心、利害の共通である学友、寮仲間、小集落の住民、宗教団体などの親密な関係をもつ小集団内で、発端者がなんらかの症状を呈し、それが間もなく他の構成員につぎつぎと伝播する。
 続発者から、その集団以外の人に伝播することもある。

 源郎斎は驚愕し目を見開いた。
 彼は《なにがし》を噂には聞いていた。
 しかし、最初は所詮はただの噂話に過ぎないと思っていた。
 源郎斎は、今まで多くの人間を見てきた。
 その中には、裏の世界で生きながらえる強者もいる。彼らは、決して表舞台に出ることはない。
 彼ら知っていた《なにがし》を。
 そして、皆、口を揃えて言う。
 ――奴らは化物だと。
 ――あれは人ではない。人の皮を被った魔物なのだと。
 ――その力は、神さえも殺すことが出来ると。
 その話を聞いた時、源郎斎は鼻で笑った。
 だが、目の前の光景を見て思う。
(確かに、こいつは、化物の類だ)
 その光景を見た時、源郎斎はそう思った。
 隼人が使ったのは忍術で言う恐車の術、不安や恐怖をあおり集団ヒステリーを意図的に起こしたということになるが、実際に身が裂けて死ぬのは異常だ。
 それができるのは、やはりそれが《なにがし》であるからだろう。
「改めて分かったよ。なぜ(なにがし)を恐れ、勝負を挑み、命を落とすのかをな」
 そう言って、源郎斎は隼人を睨みつけた。
「だが、疑問がある。なぜその技を俺や御老公に使わない。いや、使えなかったというべきか?」
 隼人は答える。
「正解。俺が今使った《闇之太刀》は、親密な関係をもつ集団にしかできない技だ。だからお前やジジイには効かなかった。そういう訳だ」
 その答えを聞き、源郎斎は納得した。
 そして、源郎斎の中で次第に喜びが湧き上がってくる。
 《なにがし》とは、これほどの剣なのだと。最古の剣という歴史を持ちながらも、その力を誇示することなく、むしろ隠すように振るってきた。
 いや、その恐ろしさ故に誰もが口を閉ざし、《なにがし》のことを墓まで持っていくことを選んだのだ。
 だから、ありとあらゆる書物にその存在すら載っていない。そのことが逆に、《なにがし》の力の大きさを物語っていた。
 剣という武術に収まりきらない、伝染し広がることで民族や国すらも滅ぼしかねない力を持っている。
 まるで生物兵器ではないか。
 そんなものを、この少年が持っていた。
 だからこそ、この《なにがし》は恐れられ、忌み嫌われる。
 だが、そんな《なにがし》が自分と戦おうとしている。
 それは、なんという幸運か。
 その事実に、源郎斎は歓喜した。
 魔物より伝授された伝説の剣が目の前にある。
 剣士として、これ程の幸運が他にあるだろうか?
 源郎斎の口元に笑みが浮かぶ。
「何だい、その笑みは?」
 隼人はその笑みの理由を問うた。
 源郎斎は答える。
 それは、至極当然の問いであった。
 なぜなら、これから自分は最強の敵と戦うことができるからだ。
 そして、それは自分の生涯最高の好敵手となるであろうことを確信していた。
 ならば、その相手には、笑顔で迎えてもらいたいと思うのは自然の流れだった。
 だからこそ、源郎斎は答える。
 それは、剣士としての純粋な想い。
「《なにがし》の諱隼人。俺と戦ってもらうぞ」
 隼人は呆れたような表情をする。
 しかし、すぐに元の無愛想な顔に戻る。
 一言だけ告げる。
「――断る」
 隼人の答えは、源郎斎の期待を大きく外れるものだった。
「何故だ!」
 源郎斎は怒りの声を上げる。
「前にも言ったが、俺は澄香以外の奴とは勝負をしない」
「なるほど。そうだったな。ならば、俺がその娘を斬ると言ったらどうする?」
 源郎斎の言葉を聞いた瞬間、隼人は源郎斎を見る。
「言ったハズだ。それはそのまま、俺に対する言葉と受け取るぞ」
 隼人の眼は、殺気を帯びている。
 その眼を見て、源郎斎はゾクッとした。
 武者震いのような感覚を覚える。
「ならば受けてもらおうか、その挑戦を!」
 源郎斎は八相に構える。
 隼人は無形の位に構えた。
 二人は対峙したまま、動かない。
 まるで、時が止まったかのように。
 二人の闘気がぶつかり合い、空間が歪む。
 澄香は二人を見つめることしかできなかった。緊張感から首が締め上げられるような感覚に陥る。
 傍観者である自分でさえ、それ程までに感じ取れる。
 隼人と源郎斎は、互いの隙を探り合っている。
 先に動いた方が負けると分かっていた。
 将棋には『負けて当然、勝って偶然』という言葉がある。
 将棋で最も守りに強い布陣は始めに並べた形であり、そこから勝つために駒を動かしていけばいくほど、駒がばらけて隙間が生まれる。
 だから『負けて当然』なのだ。
 動けば、そこに隙が生じる。
 源郎斎は、自分が動けないのを悟っていた。
 だが、それでも動かずにはいられなかった。
 この少年に勝ちたかった。
 いや、勝てると思った。
 《なにがし》の剣技は知らないが、目の前の少年からは剣聖の風格を感じ取ることができなかった。
 嫌、剣聖などではない。
 魔物の剣を使う者、剣魔だ。
 それでも源郎斎は、剣の腕では自分に分があることは間違いなかった。
 目の前の少年はせいぜい15,6歳。
 対する源郎斎は、53歳。
 単純に3.5倍以上の人生経験と剣の修行を重ねて得た力の差があった。
 経験だけなら源郎斎が上だ。
 だが、隼人の(まと)う雰囲気は異質だった。
 その身の気配だけで、人を圧倒できる。
 まさに、達人と呼ぶに相応しい存在だった。
 そんな相手が目の前にいる。
 剣士として、これ以上の喜びはない。源郎斎は心の中で叫ぶ。
(さあ来い!)
 源郎斎は心の内で叫びながら、隼人の一挙一動を観察する。
 そして、隼人が動く。
 隼人が最も得意とする左逆袈裟斬り。
 狙いは、間合いが遠い胴ではなく、間合いが近い刀を握る拳であった。
 源郎斎は、刀を握る手を引いて躱そうとした。
 だが、隼人は途中で踏み込みを行い、狙いを拳から小手へと切り替える。
 目標が変わったが、隼人は動いたことで隙が生じる。
 その隙を見逃さず、源郎斎は隼人の手首目掛けて横薙ぎを放つ。
 その一撃は、隼人が想定していた通りの動きであった。
 隼人はその動きに合わせて、体を沈めて懐に入る。
 そして、右肩を源郎斎の体に身の当りを入れる。
 身の当りとは、体当たりのこと。
 宮本武蔵の著書『五輪書』には、身のあたりと云事にて、少し顔を横に向けて、自分の左の肩を出して、敵の胸に当たる。自分の身体を出来るだけ強くして当たること、状態によっては、跳び込むように入ること。
 と、要諦を書き記されており、古流剣術にはこうした技法も存在する。
 源郎斎の身体に衝撃が突き抜ける。
 一瞬、息が出来なくなる。
 それは、源郎斎が生まれて初めて感じる痛みだった。
 鈍痛に耐え、源郎斎は歯を食いしばる。
 そして、八相に構えたていた刀の柄の柄頭を、懐に居る隼人の頭目掛けて振り下ろした。
 隼人は咄嵯に体を捻って避けるが、完全ではなかった。
 額に切り傷ができる。
 血が流れ出る。
 目の上ではなく、こめかみに流れる位置だったのが幸いだ。
 隼人は一旦距離を取るため後ろに下がる。
 その顔は苦痛に満ち溢れている。
 一方、源郎斎も苦悶の表情を浮かべる。
 今の身の当たりで、肋骨の一部に亀裂が入った感覚がある。
 それは致命的ではない。
 しかし、呼吸をする度に鈍い痛みを感じる。
 それは問題ない。
 それよりも、今の戦いに意識が持っていかれる。
 隼人が血を流している。
 それだけで、興奮した。
 もっと見たい。
 そう思った。
 源郎斎の口元が緩む。
 それは、始めて《なにがし》と戦った時の興奮であり好敵手を見つけた時の笑みだった。誰であろうとも、この戦い《なにがし》の隼人との対戦を譲れないと確信する。
 隼人は額の血を拭き取る。
 血は、もう止まっていた。
 再び無形の位に構える。
 源郎斎は八相に構える。
 そして、同時に地を蹴った。
 二人は互いの剣が届く範囲まで近づくと、互いの剣を振り出す。
 源郎斎の方が速い。
 源郎斎は一気に間合いを詰め、袈裟斬りに刀を振り下ろす。
 しかし、隼人は身体を半身にし、それを避けた。
 そのまま、源郎斎の左横を通り過ぎる。
 そして、振り返ると同時に逆袈裟を放っ――。
 源郎斎は隼人の繰り出す斬撃に対し、振り下ろしていた刀を合わせ押し返す。
(野郎。闇之太刀に意識を入れる前に間隙を狙って来やがった)
 間隙を狙われたことで、刀のすり抜けができない。
 その結果、隼人の剣の軌道が逸れる。
 源郎斎の切先に強いネバリがあった。
 剣にネバリがあると強打されても、バネのように元に戻る。
 ネバリがあると、正眼で構えていても、ネバリの強い方が、対手の切先を身体の外側へそらせて、対手の胸・首を突き、ネバリ勝つ。
(さすが斎の名を持つ男。伊達じゃない)
 隼人は称賛しながらも、隼人は即座に次の行動に移っていた。
 逆袈裟の勢いを利用し半歩退く。
 そのまま、源郎斎の首筋に向けて刺突を放つ。
 片手突きにして鎖骨の長さを加えることで、切先が五寸(約15.2cm)伸ばすことができる。
 源郎斎は、隼人の剣に合わせる。
 隼人の剣速が速く、源郎斎は完全には合わせられなかったか、隼人の刀の刃の下を源郎斎の刀の鎬が当たるか当たらないかの、ギリギリのところを(はし)る。
 源郎斎の狙いは、隼人の刀を払うことではなく、刀を握る右手の指だ。鍔があれば、その刀刃を防げただろうが、隼人の刀には鍔がないために、それはできない。
 隼人は自ら源郎斎の刀を押さえざるを得なくなった。
 源郎斎の目には、してやったりの色がある。
 隼人は源郎斎の刀を上から一瞬、押さえて軌道を変えさせるが、引くこと無く刺突を繰り出す。
 源郎斎も刺突を繰り出す。
 刺突と刺突の応報。
 源郎斎の刺突は、隼人の左肩を突きながら斬り裂く。
 隼人の刺突は源郎斎の左肩に突き刺さる。
 源郎斎の喉からクグモッた声が鳴る。
 だが、隼人の踏み込みが、浅い。
 もう半歩踏み込めば深手になると分かっていたが、隼人は構わず刀を引き戻す。
 居着いていては、反撃を食らうからだ。
 そして、その勘は正しい。
 刀を引き戻す隼人に対し、源郎斎は刀を左へと払う。
 切先両刃の刃が隼人の左脇の下を切り裂く。
 思ったよりも深く入って抜ける。
 隼人は、激痛に耐える。
 常人なら、ここで間合いを取ってインターバルを必要としただろうが、隼人はまだ攻撃を止めない。
 後ろに飛び退きながら、右手だけで持った刀で、源郎斎の顔面目掛けて刺突を放つ。
 その動きを見た源郎斎は、一歩下がって間合いを外す。
 届かない。
 源郎斎は隼人の間合いの外で刀を振り上げると、踏み込みながら、そのまま真直に斬り下げ、隼人の右胸前を斬り下げた。
 それでも、隼人は引かない。
 刀を両手で握ると同時、それよりも早くか、刀を横に寝かせると左へと薙ぎ、源郎斎の左上腕を斬り裂いた。
 源郎斎の口から苦痛の声が漏れる。
 二人の距離が離れた。
 攻防が止まる。
 二人とも肩で息をしていた。
 源郎斎の左腕からは、鮮血が滴り落ちている。
 隼人の右腕からも、血が流れていた。
 しかし、致命傷には至っていない。
 隼人は痛みに耐えながらも、刀を構え直す。
「前回とほぼ同じ所を斬りやがって。偶然か、それとも狙いやがったか?」
 隼人の問に源郎斎は答える。
 その顔には、笑みを浮かべていた。
 それは、戦いを楽しむ者の顔だった。
「無論。狙った」
 源郎斎は笑みを浮かべる。
 そして、右脇構えにした。
 澄香は攻防の凄まじさに言葉を失っていた。
 自分が同じことをできるとは思えなかった。
 そもそも、あんな超人的な速さで動けない。
 しかし、そんなことはどうでも良かった。
 目の前の光景に意識を奪われていた。
 隼人が一方的に攻めているように見えるが、実際は違う。
 隼人が攻めて、源郎斎が更に攻めている。
 それが事実だ。
 だが、隼人の攻撃はどれもが致命的になりうる一撃ばかりだ。刀が二尺(約60.6cm)と寸尺が短いが故に踏み込みを深くしなければならない。
 それに対し、源郎斎は二尺五寸(約75.8cm)という長尺の為に、間合いが広く余裕があるが故に安全圏から攻めているのだ。
 しかも、全てにおいて源郎斎の方が速い。
 それだけではない。
 源郎斎は、隼人の剣戟に合わせてカウンターを放っている。
 それは、確実に隼人にダメージを与えている。
 一方、隼人も源郎斎に反撃をしている。
 だが、それも決定打にはならない。お互いに決め手に欠ける状態になっている。
(これは……。本当に決着がつくの?)
 澄香はそう思った。
 しかし、それは甘い考えだった。
 それは、すぐに最悪の形で証明される。
 隼人と源郎斎が睨み合う。
 互いに次の一手と間合いを探り、相手の出方を伺う。
 隼人が半歩踏み出した。
 その瞬間であった。
 突然の銃声と共に、隼人の胸に血が吹き飛ぶ。
 その場に居た全員が驚く。
 源郎斎、修司、澄香。それだけでなく、隆元すらも何が起きたのか分からなかった。
 分かるのは、隼人の胸から血が流れ出ているということだけだった。
 源郎斎の目が大きく見開かれる。
 隼人は、その場に居着いている所に、更に銃撃が襲う。
 銃声が鳴る度に隼人の身体に血が爆ぜた。
 銃弾が当たる度、隼人の身体は大きく跳ね上がる。
 それでも、隼人は倒れない。
 必死に踏ん張っている。
 しかし、もう限界に近かった。
 その証拠に、膝が震えている。
 立っているのがやっとの状態になっていた。
「誰だ! この勝負。誰も手出ししてはならんと言ったハズだぞ!!」 
 源郎斎の怒号が響き渡る。
 だが、それに答えたのは、源郎斎の予想とは違う人物だった。
 源郎斎が振り返る。
 そこには、一人の男が立っていた。
 40代後半の無精髭を生やした大柄な男・志良堂(しらどう)将冴(しょうご)であった。
 将冴は、コルスターゲットリボルバーを両手で構えており、銃口からは硝煙が立ち上っていた。
 口径は38スペシャル、357マグナムの二種類を選べる銃だが、将冴は38スペシャルのFMJ(フルメタルジャケット)を装填していた。
 38スペシャルは一部「豆鉄砲」と呼ばれることもあるが、言われるほど非力ではない。対人としては、致命傷となる部位に命中すれば、死に至る確率の高い殺傷力を持ち合わせており、9mmよりリコイル(反動)が小さいため照準がブレにくい。
 いかに威力が高い弾丸でも、当たらなければ意味はない。
 2011年9月13日、アメリカのワイオミング州にて、2人のハンターが熊(グリズリー)と遭遇。
 38スペシャルのリボルバーを3発撃ち、熊(グリズリー)を仕留めている事例がある。
 またFMJ(フルメタルジャケット)銃弾の先端から銅合金でジャケットされているので非常に硬く貫通力に優れる。
 貫通力のテストではコンクリートの板を軽々貫いて長さ30cmの人体ゼリーすらも貫通するなど凄まじい威力を出している。
 貫通力の高いフルメタルジャケットだが、人体などに大しての効果は高いとは言えない。
 だが防弾ベストは弾丸の進入を防いで致命傷になるのを防ぐ効果を持っている。近年の防弾ベストは高性能になっている為、貫通力が高い弾丸でないと貫通することができないのも事実だ。
「将冴! 貴様!」
 男は、源郎斎の言葉に耳を傾けることなく、隼人に向かって早足で歩み寄ると至近距離で銃口を向ける。
 澄香は、悲鳴にも似た叫びを上げる。
「止めて!」
 澄香の願いを裏切るように、将冴は隼人の額を撃ち抜いた。
 後頭部から血と脳漿が飛び散り、隼人は力なく倒れた。
 信じられない光景だった。
 澄香は呆然と座り尽くすことしかできなかった。
「隼人……。そんな……」
 しかし、源郎斎は違った。
 源郎斎は、将冴に詰め寄ろうとする。
「将冴! なぜ手を出した。俺は俺の剣で《なにがし》を倒し、その名誉を手に入れようとしていたのだぞ。貴様は、自分が何をしたのか分かっているのか!!」
 しかし、将冴は源郎斎を見向きもしない。
 そのまま、隼人の死体に視線を落とすと、小さくため息を吐いた。
 そして、兄・源郎斎に向けて語りかける。
 それは、まるで独り言のようでもあった。
「兄貴は、甘いんだよ。言っただろ、これからは銃の時代だって。チンタラやってたら、いつ勝負が着くのか分かったものじゃねえ。手早く終わらせるために、加勢してやったんだよ」
 源郎斎は歯ぎしりをする。
 効率を求めれば、確かにそうだ。
 だが、これは剣士と剣士が互いの技量を競い合う決闘なのだ。
 それを、ただの道具である拳銃を使うなど、卑怯極まりないことである。
 源郎斎は、そう思っていた。
 しかし、将冴の言うことも理解できる。
 理解できてしまう。
 それが、源郎斎には悔しくて仕方がなかった。
「銃は剣よりも強し。これがこの世の真理であり真実だ。刀なんて時代遅れの武器は捨てちまえよ」
 将冴が、銃口を澄香に向ける。
 澄香はビクッとして、その場から動けなくなった。
「御老公の命令だ。邪魔者は消せってな」
 将冴が引き金(トリガー)に指を掛ける。
 その瞬間であった。
 将冴の胸に衝撃が走る。
 彼は自分の胸を見ると、切先が生えていた。
 刀だ。
「クソ。兄貴、な……」
 自分を刺した張本人を見ようと視線を走らせると、その先に源郎斎が元の位置で立ったままであった。
 その手には刀がある。脇差もあった。
 それにも関わらず、将冴の胸には刀の切先が生えていた。
 タケノコの先端のように。
 将冴は兄・源郎斎が怒りに任せて自分を殺しに来たと思っていたが、そうではなかった。
 それが引き抜かれ、将冴は膝をつく。
 そして、自分の胸に手を当てた。
 手には血がべっとりとついていた。
 将冴は、自分の身に何が起きたのかを理解すると、ゆっくりと顔を上げた。
 そこには、一人の少年が立っていた。
 黒い打裂羽織を着た少年。
 隼人が、死神のように立っていた。
 その場に居た全員。
 源郎斎、澄香、隆元らは、再び驚く。
 身体を何発も撃たれ、額を撃ち抜かれた隼人が平然と立っている。
 それも、致命傷になりうる一撃を受けたはずなのに……。
 確実な止めを将冴は刺していただけに、隼人が立っていることが信じられなかった。身体は防弾ベストを着ていたとしたら納得できる。
 だが、頭を撃ったのだ。効かないハズがない。
「どうして。貴様。俺は、頭を打ち抜いた……」
 隼人は、右手に持っていた刀を振り下ろすと、将冴の頭を叩き割った。
 将冴は地面に転げ倒れた。
 その死体を冷めた目で見下ろしながら、隼人は笑っていた。
 澄香は、その姿に恐怖を覚える。
(嘘……でしょ。どうして生きてるの…………)
 澄香は、目の前の光景を信じられなかった。
 さっきまで死んでいたはずの人間が生きている。
 しかも、額まで撃ち抜かれているのだ。
「あれだけの銃撃を受けて……。隼人、お前は一体……」
 澄香は、魔物でも見るような目をしていた。

(第48話 『決着』に続く)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

 諱隼人《いみな はやと》

:現代においても刀を持ち続ける高校生。剣士として生き人を斬ることを生業とする。

 《なにがし》と呼ばれる剣の使い手で、《闇之太刀》という剣技がある。

 鍔の無い刀・無鍔刀を使う。

 風花澄香《かざはな すみか》

:戸田流の剣士。高校生。

 依頼を受けて麻薬の売人をしていた鷹村館・世戸大輔を斬る。

 《なにがし》の情報を求め、隼人を討つために動く。

 月宮七海《つきみや ななみ》

:黒いチュールワンピースに、黒のブラウスを羽織った妖艶な女。

 金次第で何でも請け負う、社会の裏に潜む仕事の斡旋人。

 隼人に、麻薬の売人であった杉浦正明の殺しを斡旋する。

 霧生志遠《きりゅう しおん》

:最古の剣術流派・念流の剣士。

 道場では師範代を務める、美しい男性。

 澄香に隼人を斬る助太刀を依頼される。

 紅羽瑠奈《くれはるな》

 居合道を志す少女。

 中学生時代に隼人と知り合う。

 |漆原《うるしばら》|夏菜子《かなこ》

 風華澄香のビジネスパートナーを務める。

 志良堂源郎斎《しらどう げんろうさい》

:鬼哭館の館長。鬼面の剣士を抱える。

 御老公とという老人に従い、隼人の始末に刺客を放つ。

 木場修司《きば しゅうじ》

:鬼哭館・師範代。源郎斎の右腕的存在。

 御老公

:氏名は現在不明。源郎斎を従える。

 杉浦正明に人身売買による女の供給をさせていた。

 高遠早紀《たかとう さき》

:隼人のクラスメイト。遅刻の常習者故に、生徒会副会長・小野崇から叱責を受ける。離婚で父親がおらず、母親、弟、妹と暮らす。

 友人に相川優、小森結衣が居る。

 黒井源一郎《くろい げんいちろう》

:質屋の主人。隼人に刀を売るアウトロー。

 隼人とは、お得意様の間柄。

 黒井沙耶《くろい さな》

:源一郎の娘。小学生。

 隼人とは顔見知り。

 

 世戸大輔《せと だいすけ》

:鷹村館の師範代。

 剣士でありながら女をターゲットに麻薬の売人を行う。

 《なにがし》の情報を得る為に、澄香によって斬殺される。

 杉浦正明《すぎうら まさあき》

:人身売買を行い、御老公に女の供給を行っていた男。

 隼人に始末される。

 《鎧》

:三人組の流れの剣士。志良堂源郎斎より、隼人の刺客として向けられる。

 「数胴」「袖崎」「兜」という名前。

 世戸重郎《せと しげろう》

:50代の剣術道場・鷹村館の師範。

 世戸大輔の父親でもあるが、道場の名誉を守る為に、澄香に大輔の殺害を依頼する。

 澄香の諱隼人のこと、《なにがし》が《闇之太刀》という秘太刀を使うことを伝える。

 小野崇《おの たかし》

:隼人が通学する高校の生徒会副会長。

 剣道を行うが、責任が強すぎる一面がある。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み