第30話 介者剣術
文字数 10,841文字
まるで怪獣に蹴散らかされたかのように瓦礫の山と化していた。
まだ外観は留めているが、崩れ破壊された光景は廃墟同然だ。そんな場所で、3人の剣士が居た。
諱隼人と風花澄香は相対し、二人を
隼人は、周囲に気配を配り、志遠もそれに続いていた。
澄香も、それに続くように、辺りを警戒していた。
見れば、周囲に鬼面を被り着流しを着た男達が、ずらりと並んでいる。
数は40人以上か?
皆、刀を携えていた。
男達は、誰も言葉を発しない。
まるで、人形のように立っているだけだ。
不気味な沈黙が続く。
澄香は、この状況に恐怖を覚えた。
状況が飲み込めない。
目の前に居る、隼人は両親の
だが、ここを取り囲む鬼面の男達に対しては、どうすればいいのか分からなかった。
ただ、また邪魔が入ったとしか思えなかった。
「いつもいつも、肝心なところで……」
澄香は悪態をつきながら、抜刀する。
それは、誰に対して言ったものではない。自然に出たものだった。
周囲の男達の殺気が一気に膨れ上がる。
それは、今まで感じたことの無いほど強烈なものだ。
澄香は息苦しさを覚えて呼吸が荒くなる。
冷や汗が流れ出る。
だが、すぐに落ち着きを取り戻す。隼人と決着をつけるために。
そして、父と母を殺した仇を討つためだけに。
「
また
かよ」隼人は、溜め息混じりに言う。
この鬼面の連中には以前襲撃を受けている。
だが、状況は把握できていない。そもそも何故、自分が狙われるのかすら分からない。
「隼人の知り合いかい?」
志遠は鞘袋から刀と脇差を取り出し、帯刀すると共に、抜刀する。
隼人は、すでに抜刀した後だった。
隼人と志遠は、申し合わせたように人間の死角である背後をカバーしあう。二人は背中合わせになり、周囲を警戒する。
「前に一度な。俺は《なにがし》だぞ。いちいち気にしてねえよ」
「そうだったな」
志遠は苦笑する。
《なにがし》は《なにがし》であるが故に、敵が多い。それだけの価値が隼人にはある。流れの剣士が名前を上げたく、あるいは賞金目当て、力を欲する為など理由は様々だ。
隼人は、奴らを知ってはいたが、面識はない。
この男達は、全員同じ格好をしている。
まるで時代劇に出てくる浪人のような出で立ちだ。
この現代に、このような異様な集団がいることに違和感を覚える。
鬼面を被った男達は、微動だにしない。
まるで人形に囲まれているようだ。
だが、人形ではないことは明白だ。
男達は人間であり、意志を持った生き物なのだ。
それが証拠に、鬼面の奥にある瞳からは明確な敵意を感じることができるからだ。
その目は、獲物を狙う獣の目に似ている。
隼人は、改めて周囲の状況を整理した。
「目的は俺だけなら、志遠と澄香は帰して貰えるかも知れねえぞ」
隼人は言った。
すると、志遠は呆れた口調で言う。
「交渉してみようか?」
その声には余裕がある。
その言葉に、澄香は反論した。
「冗談じゃありません。隼人の首を取るのは私です。どうしてこいつらに譲らないといけないんですか」
澄香は怒りを露わにする。
その様子に、隼人は感心する。これだけの数の集団に囲まれて、意思を貫き通すというのは大したものだと思う。
それは同時に、自分の首を取ることに執着している証でもある。
澄香にとって、隼人は両親を奪った憎い相手という訳だ。
だが、それでいいと思う。
憎しみとは強い感情だ。
澄香が抱いている感情は、純粋で真っ直ぐなものだからだ。
それが自分に向けられているものだとしても、それは強さに繋がっている。
純粋なものは時に、何よりも強靭になる。
それこそ、澄香が持つ最大の武器だろう。
澄香の強さは、ただ剣技や身体能力の高さだけではない。精神力によるものだと隼人は思う。
澄香の心は折れない。
どんな逆境でも、澄香は決して屈服したりはしない。
それは、彼女の心の強さを表している。
だが、それでもこの状況では厳しいだろうと隼人は考える。
澄香も、それは分かっているはずだ。
彼女の言動に、志遠は微笑む。彼も、澄香の強さに感じ入っているのだ。
鬼面の男の一人が進み出る。
方角は、志遠が背にしている方向。隼人と澄香が居る方向。
その気配を、志遠は察する。
鬼面の男は言った。
「
鬼面の男の声色は機械音のように無機質だった。
隼人は自分の名が言われることは驚かなかったが、澄香の名が呼ばれたことに対して驚いた。
それは、澄香自身もだ。
こんな訳の分からない連中に、自分の名を呼ばれるとは思ってもいなかった。
向こうが知っているのに、こちらは知らない。それはとても気持ちの悪いものだ。
澄香は眉根を寄せた。
だが、すぐに気を取り直す。
今は、そんなことはどうでも良かったからだ。
澄香は鬼面の男に向けて言い放つ。
「誰だ貴様ら。私は、お前達のことなど知らない」
鬼面の男は何も答えない。
まるで、澄香の言葉が聞こえていないかのように。
澄香は苛立つ。
「どうやら俺と、お前が目的らしい」
隼人は、鬼面の代わりに答える。
鬼面の男は貝のように口を閉ざす。二人が反応したことで、本人である確認が取れた。もはや問答も交渉も必要ないからだ。
隼人は、刀を握り直した。
刀を右手に下げ、無形の位に入り臨戦態勢になる。
「じゃあ、僕は帰してもらおうか」
と、志遠。
「ということだ。道を開けてくれ」
志遠が困っているので、隼人は鬼面の男達に向かって言う。
だが、男達は微動だにしない。
石像のように。
「ダメだってさ」
と隼人。
「だと思ったよ」
志遠は笑いながら言う。隼人も苦笑する。
やはり、こうなるか。
隼人は溜め息をつく。
鬼面の男達の雰囲気が変わった。
男達は刀を構えた。
殺気が放たれる。
澄香は圧倒的な数から放たれる殺気に、思わず後ずさってしまう。自分の背後に隼人の存在を感じる。
澄香は、状況に混乱していた。隼人と対戦するハズが状況から共闘しなければならなくなった。
澄香は歯噛みをする。
隼人は澄香の存在を察すると、足元を変える。
隼人は志遠とだけ背を合わせていたのを、澄香を交え、三角形を作るように互いに背を合わせる形になった。
今し方、斬ろうとした相手に背中を守られ、背中を守る立場にされる。
澄香は、そのことに驚きを隠せない。
だが、不思議と嫌ではなかった。
澄香は思った。
(――隼人は私を守ってくれるのか? )
澄香は一瞬戸惑う。
だが、その戸惑いを振り払うように頭を振る。
それは違う。これは、ただの状況の変化に過ぎない。
澄香は、そう思い込むことにした。
「澄香。多人数剣の経験は?」
隼人は背後にいる澄香に声をかける。
澄香は、口ごもりながら返事をした。
「……ない」
その声に、隼人は動揺の欠片もない。
この程度は想定内ということだ。
「なら正面だけに集中していろ。倒そうとなどと思うな。斬ったら、仕留めたか仕留めていないかに関わらず退け。何があっても絶対に、その場に居着くな」
澄香は、隼人の言葉を黙って聞いていた。
その言葉には、有無を言わさない迫力があった。
澄香は胸の内で隼人に舌打ちしつつ、素直に聞き入れる。
そして、目の前の男達に視線を向けた。
「こいつらを片付けたら、再戦だ。いいな」
澄香に言われて、すぐに隼人は返事はしなかった。
状況が、マズ過ぎるからだ。
澄香は、おそらく鬼面と渡り合えるだけの実力を持っているだろう。
だが、それでも多勢に無勢だ。
無傷で切り抜けるのは難しいだろう。それでも戦わなければ生き残れない。
しかし、澄香が戦えば、澄香の命も危険に晒されることになる。
それでも隼人は迷わなかった。
守ってやろうなどとは思わない。一人の剣士として背中を預けようと思っているだけだ。
ならば、互いの武運を祈り一緒に戦うしかない。
「約束は守る」
そう隼人は呟く。
隼人は自分の間合い居る澄香の鼓動を感じた。
澄香の体温を気配で感じる。
不思議な感覚だった。数分前まで命を賭した斬り合いをしようとしていた相手に背中を預けるというのは。
隼人は、志遠に目配せする。
「悪いな」
「毒を食らわば皿までだ。仕方がないね」
志遠は、隼人の言葉に肩をすくめた。
隼人は、目の前の敵に集中する。
相手は40人はいる。
「多いな。40として、こっちは3人だから、一人頭、13.3人かな」
志遠は言う。
その言葉に、隼人は苦笑する。
その計算は間違っているからだ。
「いや。10.6人だ」
隼人の言葉が、澄香には分からなかった。
志遠は理解していた。
「すでに病んでいるのか?」
「そういうことだ」
隼人は答えると無防備に歩み出る。
鬼面の男達は、一斉に襲いかかってきた。
だが、隼人は慌てることもなく、平然と言い放つ。
「言ったよな。
二度と俺の前に現れるな
、と。その時は、死ぬってな」隼人は静かに刀を振り上げる。
そして、血振るいをするかのように振り下ろす。
あえて刃唸りをせた。
笛を吹くような甲高い音が響く。
「8人}
それと同時に、鬼面の男達が血を吹く。
腹が裂け、
内股の動脈が裂け、
肝臓から出血し、
額が裂け、
肩が縦に裂け、
胸が横に裂かれ、
左脇腹が裂け、
腸が零れ落ちる。
一瞬にして、8人の男達が同時に倒れ絶命した。
その男達は、以前隼人に古流剣術剣技・
間合いは十間(約18m)以上も離れている。
澄香は言葉を失う。
志遠は目を細める。
その光景は、まるで妖術だ。
剣術は刀を用いて人を斬る術ではあるが、間合いにも入っていない敵を斬ることなどできない。完全に剣術の理を外れている。
澄香には、隼人が何をやったのか全く見えなかった。
いや、見えなかったとか、そう言ったレベルではない。
そもそも、何が起こったのかさえ分からない。
だが、一つだけ分かったことがある。
隼人の剣は、澄香の想像を絶しているということだ。
澄香は以前、隼人と戦った際に化け物と称したが、あれはまだ生ぬるかった。
今となっては、あの時の自分の言葉を取り消したい気持ちになった。
ふと鷹村館・師範の
「今日の天気が晴れていたとして、雨になれば良いと思ったことはありますか?」
それに対し澄香は、《なにがし》は天気を変えることができるのかと訊いて、バカバカしくて笑ってしまった。
重郎は例え話だと口にした。
笑った澄香に対し、《なにがし》について、最早何を語っても信じないでしょうと、重郎は話を締めくくった。
その意味が、やっと分かった気がした。
今、澄香は自分が見た現実を見ても信じられなく、笑うことさえもできなかった。
隼人が刀を、その場で振るっただけで、8人の男の身体が瞬時に裂けて死んだのだ。
しかも、隼人は一歩も動いていない。
まるで、目に見えない刀を持っているかのようだ。
「これで32人。一人頭10.6人斬れば良い計算だ」
隼人は言う。
澄香は震えた。
恐怖だ。目の前にいる男は、本当に人間なのかと疑う。
それは、鬼面の男達も同じだ。
8人の仲間の死亡に、襲いかかる歩みは完全に止まり、全員が後ずさっていた。
圧倒的有利から、突然の絶望。
鬼面の男達は、自分達が優位だと思い込み、隼人に戦いを挑んだ。
だが、それは間違いだった。
「どうした? ビビるなよ。さっきの8人は、以前会った時に闇之太刀を仕込んでおいただけだ。他は俺と初顔合わせの奴だろ?」
隼人の挑発に、鬼面の男達は動かない。
動けなかった。
それは、隼人の殺気によるものかもしれない。
あるいは、圧倒的な実力差による恐れだったのだろうか。
だが、隼人にとってどちらでも良かった。
動く気がないのであれば、こちらから行くだけだからだ。隼人は、一歩前に出る。
それを見た鬼面の男の一人が、慌てて仲間に指示を出す。
「かかれ。囲め!」
その声により、残りの鬼面の男達が一斉に隼人に向かって駆け出す。
指示一つで動きが良くなる。烏合の衆ではなく、訓練された兵達のようだった。
だが、それでも遅い。
隼人は、刀を無形の位に構える。
正面から4人が襲いかかる。
左逆袈裟で一閃で、的確に肝臓のみを小さく斬り上げる。左逆袈裟斬りは、隼人が最も得意としている刀法だ。
1人目。
だが、隼人はそこで止まらない。
さらに踏み込む。
左に行った刀を、隼人は自分から迎えに行く。そこから更に右上への斬り上げで、男の右脇から左鎖骨までを斬る。
連続逆袈裟斬り。
2人目。
隼人は、その勢いのまま刀を振り抜く。
左横薙ぎの一閃が、男の腕もろとも胸を斬り裂いた。
3人目。
そのまま返す刃が男の首筋を襲う。
だが、男は後ろに跳んで避ける。
男は躱せたと思った。なぜなら、痛みがなかったからだ。男は刀を構えて、隼人との間合いを読む。
すると、男の意識が揺らいだ。
なぜなら男の首からは、鮮血が吹き出していたからだ。
男が退く瞬間、隼人は男の首筋に刃を当てていた。
そして、男の退きを利用して、頸動脈を断ち切ったのだ。
4人目。
これで4人を斬った。
志遠も進み出ると、すでに刃を交えていた。
4人の男が、志遠を半円に囲んでいる。
だが、志遠は焦っていない。冷静に相手を見据える。
志遠は、ゆっくりと息を吐きながら、相手の間合いを測る。
そして、間合いに入ったと同時に、一番近い男に間合いを詰めて、一気に懐に入り込んだ。
間合いを詰めた志遠は、袈裟への振り下ろしを放つ。
志遠の振り下ろす刀の速度は速く、しかも振り下ろす角度が鋭かった。
肩から腰にかけて、斜めに刀が
その太刀捌きは、まさに神速と言って良いほどの速さだ。
1人目。
だが、まだ終わらない。
間髪入れずに、隣にいた男を横に払う。
その男の腹が裂ける。
2人目。
志遠は深く踏み込んでいた。
その隙を狙って背後から男が迫ってくる。
志遠は、それを予期していたかのように、正面を向いた状態から、男の腹を突き刺す。
その動作は、まるで背を向けたまま攻撃しているようにも見えた。
いや、実際にそうなのだ。
志遠は、背中越しに男を攻撃したのだ。
男は、何が起こったのか分からなかっただろう。
志遠は、突き入れた刀を引き戻すと、素早く身体を回転させて、横薙ぎの一撃を放つ。
男の鳩尾に線が走った。
その瞬間、ようやく男は自分の身に何が起こったのかを理解した。
だが、もはや手遅れだった。
はみ出る胃袋を抱えようとしたが、両腕が落ちる。
3人目。
志遠は、右から斬りかかって来た男の斬撃を、風にそよぐ絹のように躱す。
振り上げた刀を右
雁金は左と右があり、相手の正面に立った場合、左肩を斬り下げる左雁金が斬りやすい。
だが、志遠はあえて右雁金に斬った。
躱した方向が男の右側という理由もあったが、右雁金は心臓から離れているだけに動脈から遠く、出血が少ないという利点がある。
返り血を浴びれば、体が濡れることになり視界を奪われる他、刀を握れなくなることにもなる。
男は、自分の右側に斬られたことに気がつかずに、斬り下ろされた刀の勢いのまま前に倒れていく。
4人目。
志遠は、次の獲物を求めて視線を走らせる。
澄香は、鬼面の男達と相対しながら、隼人と志遠の刀を扱う術に唖然としながらその光景を見ていた。
呆気に取られる。
あまりにも次元が違う戦いだった。
澄香の目には、剣の動きが捉えられていない。
ただ、凄まじく速いということだけが分かる。
隼人の実力は知っていたが、志遠もそれに劣らぬ剣士だ。雁金を一尺(約30.3cm)を斬り下げていることからも分かる。
(これが、達人の戦いなのか? )
澄香は思う。
今まで自分が見てきたものとは、全く違う。
剣術とは、こんなにも激しいものなのか? 鬼面の男達も、そのことは分かっているはずだ。
だが、男達は怯むことなく、隼人と志遠に襲いかかる。
恐怖を知らぬ者達なのだろうか。
それとも、自分達が負けるとは思っていないからだろうか。
鬼面の男達が斬りかかる度に、隼人は刀を振るう。
その刀が振るわれるたびに、鬼面の男達は死ぬ。
志遠の方はどうかと言えば、こちらも同じだ。刀が振られるたび、男達が倒れる。
隼人の時と同様に、ただ無言で淡々と刀を振るっている。
その様子は、さながら機械のようだ。
男達が、刀で斬りかかろうとすれば、隼人は瞬時に斬り捨てる。
逆に、刀で防ごうとしても、志遠はそっと刀の鎬と鎬を合わせ、そこから押し込んで頸部を斬る。
澄香が、目を奪われていると、その隙を突いて男が一人襲ってくる。
男は刀を振り上げて、そのまま振り下ろす。
澄香は、咄嵯に横に避けて攻撃をかわす。
だが、男はさらに踏み込んで刀を横薙ぎに払ってきた。
澄香は、その一刀を避ける。
そこを突いて澄香は踏み込み、男との間合いを詰めて、男の胴を払った。
だが、その刃は男の脇腹を浅く斬っただけだった。
踏み込みが浅く、斬れなかったのだ。
男が反撃しようと刀を上段から振り下ろす刀を、澄香は身体を捌いて避ける。
そして、その反動を利用して男に刃を返し、袈裟斬りにする。
男の肩口から腰までが斬り裂かれた。
男はそのまま後ろに倒れた。
1人目。
2人の男が襲いかかって来る。それを見た澄香は、すぐにその場を離れた。
すると、先ほどまで澄香がいた場所を二人の刀が通り過ぎて行く。
二人は、お互いに間合いを取るように離れる。
だが、それも束の間だった。
二人同時に、澄香に向かって駆け出す。
そして、二人が左右に分かれて挟み込むような形を取った。
右の男が大きく一歩を踏み出し、澄香を間合いに入れる。
だが、それは誘いだ。
男の狙いは、澄香の左側から回り込んで背後を取ることだった。
澄香の左側にいた男は、一瞬早く気がついたが、それでも間に合わない。
澄香は、左から迫る男の攻撃を避けた。
だが、そこで澄香は異変に気づく。
男の刀の軌道が変わったのだ。
男は、刀を斜め下に構えていた。
その刀は、澄香の身体ではなく、その足元を狙っている。
男は、刀の切先で澄香の足を掬い上げた。
澄香は躱す為に、右脚が浮く。
そこを狙って、右側の男が刺突を放ってきた。
澄香は、その刺突を身体を捻り、辛うじて避けた。
だが、男の刺突が、澄香の右頬を掠める。
そこから血が飛び散る。
右の男は、刀をそのまま振り上げ、澄香の首を狙ってくる。
澄香は、それを仰け反るようにして避けたが、完全には避けられなかった。
襟元を僅かに切られる。
右の男も左の男と同じように、刀を引いて斬りかかって来た。
だが、今度は違った。
右の男の斬撃は、大きく上に跳ね上がって、澄香の頭上を狙う。
だが、これは右の男の罠だった。
男は、刀を戻す動作と同時に、右脚を滑らせる。
そして、左脚を軸にし、回転しながら刀を左下から斬り上げる。
澄香は、その攻撃に虚を衝かれてしまった。
男は、澄香の左太腿を深く斬った。
澄香は、痛みを堪えながら刀を引き戻し、裂帛の気合と共に袈裟斬りにする。男は、左肩から右脇腹にかけて斬り裂かれる。
2人目。
残った1人が、雄叫びを上げながら澄香に向かって来る。
澄香は男を見据える。
今度は、一対一だ。
澄香は、覚悟を決める。
男は、真っ直ぐに突っ込んで来て、刀を横に薙ぐ。
澄香はそれを半身になって避けて、相手の懐に入り込んだ。
相手は、澄香が自分に斬り込んで来ると思っていなかったのか、慌てて刀で防御しようとする。
だが、澄香が狙ったのは斬撃ではなく刺突だ。
澄香は、男の胸に突き立てた。
そのまま押し込んでいくと、男の背から刃が突き出る。
男は声にならない悲鳴を上げる。
そして、刀を放した。
澄香は、刀を抜き取り、そのまま男の喉を斬り裂いた。
3人目。
澄香は3人を斬って、自身の弱さを嘆く。
一対一ならば自身の実力を発揮できるが、一対多となるとどうしても後手になってしまう。
それが悔しかった。
澄香は、隼人と志遠の戦いぶりを見て、その強さに憧れを抱く。
(私にも、あれだけの力があれば……)
澄香は、そう思わずにはいられなかった。
憧れは負けん気になり、隼人が忠告した、一太刀浴びせたら退けということを実践できないでいた。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。すでに澄香には次の敵が迫っていた。
志遠は気づく。
男達の重い動きから、微かな音が聞こえて来たのだ。
「隼人!」
志遠は叫ぶ。
隼人は、その言葉に反応する。
「分かってる。後ろの奴らは、二陣ってことだ。素肌剣術を使うな、介者剣術にしろ」
隼人は澄香にも届くように叫ぶ。
「闇之太刀がある隼人には、関係ないけどね」
志遠の言葉に、隼人は笑って答えた。
隼人は一瞬による左右逆袈裟を放つ。
男は、肝臓から心臓に掛けて斜めに斬り裂かれた。
もう一人の男は、脾臓から心臓を斬り上げた。
隼人は、すぐに振り返り、後ろにいた男の顔面を
これで、3人を倒した。
志遠は、八相の構える。
そして、一気に踏み込み、上段からの振り下ろしを繰り出した。
男は、刀を横にして受けようとするが、それは無駄だった。
刀をかい潜り、男の腕が斬り落とされた。
さらに、返す刃で男の首に突き込む。
上段から斬って来た男に対し、志遠は身を寄せると男の内股を撫できった。大腿動脈を斬られ、小便を漏らしたように血が吹き出す。
次の男に対しては、顔面に刺突を放ち、眼窩から脳に突き入れる。
志遠も、3人を倒す。
澄香は刺突を躱していた。
そこを別の男は大きく横薙ぎに刀を振るう。
澄香は、身体を引いて避けた。
だが、男は刀を振り切った勢いを利用して身体を回転させ、その遠心力で刀を水平に振るってくる。
澄香は、
その瞬間に、澄香は地を這うような低い姿勢のまま、身体を捻るようにして刀を横に振った。
男は胴を払われる。
澄香の刀は、男の肋骨の下辺りから斜め上に斬り上げるハズだった。
だが、刃は食い込まない。
ジャリとした金属を撫でる感触が、刀身を通して澄香に伝わった。澄香が初めて味わう感覚だった。
澄香は、刀を素早く引き戻し刀身を見る。
刃
そこでようやく澄香は理解する。
「間抜け! 介者剣術と言ったろ。
隼人の声が響いてきた。
鎖帷子を着ていた為に、澄香の刀は男の腹筋を浅く傷つけただけだ。
【鎖帷子】
鎧形式の防具の一種。帷子とは肌着として使われる麻製の単衣のことであり鎖製の帷子の意。衣服の下に着用することから着込みとも呼ばれる。
戦国時代には武将など上官職が甲冑の下に着込みとして用いたほか、諜報活動に従事する忍者が薄手の鎖帷子を身に付けることがあった。
また、江戸時代には街中での小規模の抗争や取り締まりなどにも防具として鎖帷子が用いられることがあった。
『忠臣蔵』で知られる赤穂浪士は47人は全員が鎖帷子を着用し、手甲、
赤穂浪士の倍近い人数が詰めていた吉良家だったが、浪士達は満身創痍ながらも一人も欠けることなく生還している。
新撰組なども鎖帷子を着用しており、ところどころを革や金属で補強したパーツと組み合わせて使用していた。
澄香は、敵が鎖帷子を着込んでいることに気がついてもいなければ、隼人と志遠の会話を耳に入れて理解する余裕が無かった。
「そんな……」
澄香は目尻で隼人の戦いを見ていたが、鎖帷子を着た相手に逆袈裟を斬りをしていたのを見ていた。
志遠は、手首、首、内股、顔面を攻撃していたことを思い出す。
そういうことだったと。
【素肌剣術・介者剣術】
剣術は、大きく分けて2つある。
素肌剣術は、甲冑を着ることを想定せず、平服・軽装で打刀を用いて戦う剣術。
江戸時代に入り甲冑を着て戦う戦がなくなるが、それでも武士は平服で常に刀を帯びていて時にはそれを抜いて戦うこともある。
甲冑という大きな制限がないので、介者剣術と比べて俊敏に動けて、刀もより自由自在に操り、介者剣術に比べて間合も広くなり、伸び伸びと遣う剣術が素肌剣術。
介者剣術は、甲冑を身にまとった状態で扱う剣術のことを言う。
甲冑は20㎏から30㎏ほどにもなるので、それを着て戦うとなれば俊敏な動きをするのはかなり難しい。
しかし、甲冑は非常に防御力が高いので、どこを斬りつけてもいいという訳にはいかない。
甲冑に守られているところに斬りつけても全く効果がないとさえ言われており、継ぎ目や甲冑に守られていない空いている所を狙っていくことが求められる。
それは主に、目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった甲冑の隙間となっている。
澄香は、だから志遠は、そう言った箇所を斬っていたのを思い出す。
しかし、なぜ隼人は鎖帷子を無視できるのかと疑問が渦巻く。
気がつく。
《なにがし》の剣は、腰の脇差を無視して左逆袈裟斬りをし、刀をすり抜けさせることに。
だから澄香は、いつも装備していた籠手を外して、隼人との勝負に挑んだのだ。
澄香は相手が鎖帷子を着込んでいたことを見抜けなかった。隼人が叫んだ忠告を理解していなかったことに、自分に苛立つ。
澄香は、隼人が言うように、間抜けだと思った。
志遠は、鎖帷子の存在に気がついていたからこそ、手首、首、内股、顔面を攻撃したのだと分かる。
鎖帷子に斬り付け、刀を刃
攻撃を受けてうろたえる人間は、軍隊の専門用語で、こう言う。
《的》
と。
澄香は、頭を完全に切り替えなければならないと心に――。
そして、澄香は背中に一撃を感じた。
重い感覚。
まるで焼きごてを当てられたような熱さ。
痛み。
背骨が折れたのではないかと思えるほどの衝撃だった。
澄香は、戦わなければと振り向いた瞬間には、目を開いているにも関わらず目の前が真っ暗になる。
膝が崩れる。
澄香は、地面に叩きつけられた。
受け身も取れなかった。
肺の中の空気が全て吐き出され、息ができない。
身体に力が入らない。
「澄香!」
誰かが、自分のことを呼んだ声を聞いた。
霞む視界の中で、澄香は刀を手にした男が近づいてくるのを見た。
(第31話 『剣の鬼』に続く)