第9話

文字数 5,402文字

 夕方になってようやく室井美咲も落ち着き、台所に行って家事を始めた。「休んでいればいい。」と僕は言ったが、「その方が落ち着くから。」と彼女は言った。
 やがて、テーブルにはうどんが運ばれた。「こんなものしかできなくてごめんね。」と室井美咲は言った。僕は「どうも済みません。」と言って湯気が出るうどんをすすり始めた。
「それにしてもありがとうね。来てくれて助かったわ。・・・ごめんね、『帰って』なんて言っちゃって・・・。」
「いえ、とんでもありません。とりあえず、二人とも無事でよかったです。・・・あ、無事じゃ・・・。」
「ううん、ひなたなら大丈夫よ。児童相談所は危ないところじゃないもの。あそこにいる限り、安心よ。」
「そうですか・・・。でも、その後は・・・。」
「大丈夫よ。私のところには戻ってこないわ。」
「いえ、そういう意味で言ったわけでは・・・。」
「いいのよ。仕方のないことだもの。たぶん、ひなたは父親のところへ行くわ。これで彼との離婚の話もスムーズに進むわ。親権は彼のもの。私とはもう会えない。それだけ。」
「でも・・・。」
「でも、何なの?。」
「それでいいんですか?室井さんの話を聞く限り、旦那さんに子育ての能力はない。それに、ひなたちゃんだって室井さんの方が・・・。」
「やめて。もう済んだことなのよ。私にはどうすることもできないことだわ。だから、もう忘れましょ。」
 そう言うと、室井美咲は勢いよくうどんを食べた。僕も残りのうどんをすすり、もうこれ以上その話をするのをやめた。
 食事が終わると、僕はそのままテーブルに伏せて寝てしまった。精神的にも肉体的にもよほど疲れていたんだろう。実に奇妙な夢だった。
 僕と川原恵子が夫婦になっていて、小さな子どもを連れていた。ひなたちゃんにそっくりなとてもかわいい女の子だった。「ひなた。」僕が女の子に呼びかけると、その子は不思議そうな顔をしてこう言った。「何言っているの?パパ、私の名前は美咲だよ。」
 ドアの開くガチャリという音で目が覚めた。部屋は薄暗く、付けっ放しのパソコンのディスプレイだけが光っていた。
「室井さん!?。」
 外に出かかっていた彼女は、僕の姿を見ると手に持っていた紙切れを後ろに隠した。
「どこへ行くんです・・・?。」
「ちょっと、コンビニに・・・。ほら、ちょっとのどがかわいちゃって・・・。」
「じゃあ、僕が行ってきますよ。このあたりにはコンビニがない。急な坂道を登り下りするのは大変でしょう。」
「いいの。山本君は寝てて。」
 そう言うと、室井美咲はバタンとドアを閉めた。不穏なものを感じた僕は急いでその後を追った。
「待って下さい、室井さん。もしかして・・・。」
 僕は彼女ともみ合いになりながら、彼女が手に持っていた紙切れを奪った。それはプリントアウトした天白区児童相談所の地図だった。
「室井さん・・・。」
「いいから、返して!。」
「だめですよ、室井さん。」
 僕は取り返そうとする彼女から地図を離した。
「冷静になってくださいよ。こんなところ行ってどうする気ですか?。」
「そんなの私の勝手でしょ。」
「ひなたちゃんを奪い返そうと言うのですか?無茶ですよ。相手は公的機関なんですよ。下手をすれば警察沙汰にもなりかねない。そうしたら、本当に永遠にひなたちゃんに会えなくなりますよ。」
「だって、だって・・・。」
 室井美咲はその場に泣き崩れた。
「ひなたともう会えないなんて嫌。ひなたは私の子どもなのよ。私、ひなたがいなきゃ生きていけない・・・。」
「わかってます。でも、そのためにも今は冷静にならなければだめだと思います。大丈夫、冷静にさえしていれば、すぐにまた会えますから・・・。」
「だって、だって・・・。」
 枯れていた涙が、またとめどなく流れだした。僕は再び背中をさすりながら、彼女の話をずっと聞いていた。

 部屋に戻ってからも、僕はずっと彼女に寄り添っていた。最初はベッドに腰掛けて泣いていた彼女も、やがて泣き疲れるとそのまま横になって眠りに着いた。僕も隣に添い寝した。さっき取り乱していたのが嘘のように静かに眠る彼女は、天使そのものだった。定期的に出される寝息が、冷房で冷たくなった僕の首筋を伝わった。僕は彼女が起きないようにそっと二の腕をなでた。
 完全に夜になった。部屋はほぼ暗闇で、かすかに彼女のシルエットが確認できる程度だ。時間の感覚がわからない。まだ夜が浅いのか、それとも明け方に近いのか。彼女はずっと同じリズムで寝息を立てている。それを聞いていると、このまま永遠に起きないんじゃないかと思ってしまうほどだ。たとえ彼女が起きなくても、僕はここで彼女を見守っていようと思った。どれだけ彼女が冷静に見えても、いつまた別人のようになってしまうかわからない。現状において、彼女を守ることができるのは僕しかいないのだから。
 その時携帯のバイブレーションが鳴りだした。僕はそっとポケットから携帯を取り出した。

 差出人:川原恵子
 件名:遅くなってごめんなさい
 本文:明日の特別な日をできるだけ二人でゆっくり過ごしたいと思ったので、いつもより長く勉強していました。連絡が遅くなってごめんなさい。でも、今から帰るので、よかったら遊びに来てください。もし、もうご飯を食べていたらごめんなさい。

 室井美咲が僕の携帯がパタリと閉じた。
「お願い、一人にしないで。」
 彼女はキスをしてきた。僕が今までしてきたキスより何倍も甘く、何倍も深いキスだった。床に落とした携帯がガシャンと音を立てた。バッテリーが外れた音だった。
「だめですよ、室井さん。あっ。」
 左耳をなめられた。僕はまるで抵抗ができなかった。全身にしびれるような快感が走り、指一本動かせない。そのくせ、あそこはこれ以上ないほど膨張し、ぐいぐいとジーパンを押し上げている。その圧力はからだをぴったり密着させている室井美咲にも伝わっているはずだ。
 そのまま仰向けになった僕に覆いかぶさるように彼女は耳を攻め続け、首筋から鎖骨に来たあたりで僕もようやく腕を彼女の身体にまわした。だが、乳首をなめられると力が制御できなくなった。僕はぐしゃぐしゃと彼女を髪の毛をかき乱した。
 やがて、ジーンズの上から僕のあそこを何度かなでると、ベルトをはずしジッパーを下ろした。僕はなされるままにズボンを脱ぎパンツも脱ぐと、こらえきれなくなったあそこが勢いよく飛び出した。
 室井美咲はやはり無言のまま、僕のあそこをさすり続けた。付け根の部分から先端まで何度も、ゆっくりと。そのたびにこれ以上大きくなれないと思ったものが、さらに大きくなった。
「だめです、室井さん。」
 手を押さえようとしたが遅かった。僕のあそこは勢いよく射精した。多量の精子がむやみにそこら中に散らばった。
「ご、ごめんなさい、僕・・・。」
 反射的に謝ったが、彼女は「いいのよ。」と言って再び精子にまみれたあそこをなで始めた。今度は手だけじゃない。口に含んでいるようだ。僕のあそこは果てたばかりなのに、またどんどんと膨張し始めた。
 十分に大きくなったのを確認すると、彼女はシャツを脱ぎ下着をはずした。僕の左手を取ると、そっと左胸にあてた。三十代後半の乳房は、川原恵子のものより肉が落ち張りがないにもかかわらず、それでいてとてもエロティックだった。僕は右手も上げて何度もその胸をさすった。
 やがて、そのまま室井美咲はまた僕に抱きついてキスをした。彼女の裸の上半身と、僕の全裸がぴったりとくっついた。裸でだいてみると、彼女の身体はこんなにもきゃしゃだったんだと気づいた。鎖骨やろっ骨はもちろん、背中にまで骨ばったものを感じる。だが、それが異様にエロティックだった。僕のあそこはさらに勢いを増した。それを何度か彼女の股間に押し付けてみた。彼女から「あっ。」という吐息が漏れた。僕はその声が聞きたくて、さらに何度も押しつけた。
「あのね、雄介君、あっ・・・。あたし、もう我慢できないの。」
 耳元で小さくささやいた。僕も、「わかったよ、美咲さん・・・。」と答えた。
 下半身も裸になった室井美咲が、今僕の上にまたがっている。彼女は僕のいちもつをつかむと、ゆっくりと腰をおろしていった。今度は暗がりにもはっきりわかる。男性のあそこと女性のあそこが結合し始めていることを。それはとても不思議な感覚だった。僕のあそこが、僕の意思とは関係なくもぞもぞ動いている。
「だめ、美咲さん!。」
 この日二度目の射精をした。でも、室井美咲は動揺することなく、
「いいのよ。」
 と言って、腰を最後まで下ろした。僕のあそこは萎えるどころか、さらにさらに大きくなった。
 それからずっと、僕たちは一つであり続けた。激しく腰を動かすことはない。ただ、身体を抱いて感じ続けるだけでよかった。それだけで全身が反応した。僕は暗がりの中、何度も何度も室井美咲を感じ続けた。

 朝になった。
 目が覚めると室井美咲は隣にはおらず、台所で家事をしていた。リビングまで歩いて行くと、「おはよう!もうすぐできるから、座って待ってて。」という声が飛んできた。そのさわやかな声は、昨日の昼取り乱していた室井美咲とも、また昨日の晩抱きあった室井美咲ともまた別人のように感じられた。
「済みません。ごちそうになってばかりで・・・。」
 目の前にはトーストとスクランブルエッグ、そしていれたてのブラックコーヒーが並んだ。
「全然気にしないで。むしろ、お世話になっているのはこっちだから。昨日は一緒にいてくれてありがとう。とっても心強かったわ。」
 彼女はそう言って笑った。「一緒にいる。」とはどういう意味だろう。彼女は昨日の晩のことを覚えているのだろうか。僕は本当にこの人とセックスしたのだろうか。
「ところで、美咲さん・・・。いや、その・・・、室井さん・・・。」
「美咲さんでいいわ。私も山本君じゃなくて、雄介君って呼ぶから。」
「で、では・・・、美咲さん。今日は学校は何限目からあるんですか?。」
 そう聞くと、室井美咲は大声を上げて笑った。僕はなぜ彼女が笑っているのかわからず、苦笑いをしてごまかした。
「嫌だ、雄介君。しばらく、プータローしているから曜日感覚がなくなっているのね。今日は日曜日よ。」
「そっか・・・。どうりで・・・。じゃ、今日は一日中ここでゆっくりとしているんですか?。」
「ううん。そういうわけにもいかないわ。このマンションの契約は今日までだから、昼過ぎまでには荷物をまとめて出て行かなくちゃいけないの。」
「そうですか・・・。じゃあ、駅まで送りますよ。駅までは遠いし坂道も多いから、荷物を持っていくのは大変でしょう。」
「いいわ。私は大丈夫だから、雄介君は先に帰って。」
「でも・・・。僕は今日は特に予定はありませんし・・・。」
「予定がないことないでしょ。今日は特別な日でしょ。」
「え!?。」
「そんなとぼけた顔しないで。また吹きだしちゃいそうだから。今日は大事な川原さんの誕生日でしょ。ほったらかしたらかわいそうよ。」
「・・・どうしてそれを?。」
「どうしても何も、あの子学校でみんなに言ってたわよ。雄介君とラッキーベアを交換するんだって。あんなふうに言いふらすなんて、よっぽど彼女から愛されているのね。うらやましいわ。」
「そうだったんですか・・・。てっきり僕は美咲さんは何も知らないんだとばかり・・・。」
「女は男より嘘をつくのがうまいのよ。だから、ご飯食べたら早く行ってあげて。昨日は私が雄介君を取っちゃったから、今日は我慢するわ。」
「昨日は・・・?。」
「昨日も会う予定だったんでしょ。ごめん。夜、携帯落としたでしょ。バッテリーをはめる時、うっかりメール読んじゃった。」
「そうですか・・・。」
 僕は差し出された携帯を受け取った。川原恵子からの新着メールはあれ以降来ていなかった。僕は促されるままに朝食を食べた。
「今まで本当にありがとう。雄介君のような人に出会えたんだから、私の男運もまんざらではないみたい。」
 玄関先まで見送りに来た室井美咲が言った。
「美咲さん・・・。」
「何、雄介君?。」
「・・・・・・。」
「どうしたの?そんな、黙ったまま見つめられちゃ、恥ずかしいわ。」
 室井美咲はふざけるように僕の目を手で覆った。それでも僕はその手を取り、彼女の顔を見続けた。昨日の晩、暗くてはっきり見ることのできなかった大人の女性の美しい顔がそこにある。
「だめよ・・・。あなたは川原さんのところに行ってあげて。それがあなたのためでもあるのよ。私はあなたとは一緒になれないんだから。」
 室井美咲はそっと手を離した。
「じゃあ、これをひなたちゃんに渡して下さい。」
 僕は黄色いラッキーベアを差し出した。
「だめよ。それは雄介君が渡して。ひなたはお兄ちゃんからもらいたいって。」
 彼女はラッキーベアを押し返すと、そのまま僕を自転車に乗せた。
「では、行きます。美咲さんは幸せになれる人です。絶対に幸せになってください。」
「ありがとう。雄介君も川原さんを絶対に幸せにするのよ。あの子はいい子だからきっとうまく行くわ。」
 思いっきりブレーキを握り、ゆっくりと坂道を下っていった。時々後ろを振り返ると、彼女はいつまでも僕に手を振っていた。強烈な朝日を浴びた室井美咲の姿は、蜃気楼のように揺らめいていた。
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