第1話

文字数 1,326文字

「パパ~、いつまで寝てるの?早く起きて~。」
 一階から妻の声が飛んできた。妻の声は一階からでもよく響く。結婚する前は地味でおとなしい人という印象だったが、長女が生まれたあたりから次第に声が大きくなった。反対に僕の声は小さくなる一方だ。
「はい、はい。起きますよ。」
 そんな小さな声を出しながら、枕元を手で探る。おかしい、このあたりに携帯電話を置いたはずなのにとさらに手を伸ばしたら、はずみで何か落としてしまった。クマのぬいぐるみ。黄色と青の二体あるうちの黄色い方が落ちた。やれやれ、こいつを邪険に扱ったら後で妻に何て言われるかわからない。僕は態勢を変え再び手を伸ばした。
「ママ―、お嫁さんの絵だよ。」
 ぬいぐるみに届きかかった手が、娘の声で動きを止めた。娘の声も妻によく似てよく響く。
「あら、上手ね。ひなちゃんが描いたの?。」
「ううん。この中に入ってたの。」
「あら、結婚式の招待状じゃない。パパへのお手紙だから、今度から勝手に開けちゃだめよ。でも、誰が結婚するのかしら。」
「ひなた!ひなと同じ名前。」
 娘の言葉にはっとして飛び起きた。僕は階段を転げ落ちるようにして下りると、二人の元に駆けつけた。
「あら、パパ、どうしたの?そんな顔して・・・。」
「いや、何でもない。そんなことより、その手紙・・・。。」
 いつになくあわてた僕に驚いた妻から奪うように手紙を受け取ると、急いで差出人の名前を確かめた。
 室井ひなた・・・。
 そうか。やっぱり、ひなたちゃんか・・・。
「誰なの?その室井ひなたって人は・・・。」
「いや、その・・・。上司の娘さんだよ。一度食事に招待されたから、その時仲良くなったんだよ。」
「ふ~ん・・・。でも、その名前どこかで聞いたことがあるような気がするのよね・・・。」
「ま、まさか。何かの勘違いだろ。」
「そうかしら・・・。でも、招待状に花嫁の絵を添えるなんて面白いわね。」
「そうだね。きっと、幼いころから夢見ていたことが、叶ったんだろうね。」
 妻にも見えるようにその絵を広げた。画用紙にクレヨンで描かれた花嫁は、純白のドレスに身を包み幸せそうに笑っている。その隣にはタキシード姿の花婿。花嫁を見守る眼差しは、優しさにあふれている。
「パパ~、水族館、水族館。」
 娘が裾を引っ張った。
「そうだったな、ひな~。今日は水族館の約束だったな~。」
 娘を脇から抱きかかえた。娘の小さな顔が正面に向いた。ピンクのゴムで二つに結ばれた髪は細く、少し癖がかかっている。たぶん妻に似たんだろう。歯並びのいい小さな口は多分僕似だ。それから黒目がちな大きな瞳は誰に似たんだろう。生まれた時は男か女かわからないくらいだったが、娘はもう女だ。僕が仕事ばかりでしばらく見ないうちにもう女になっていた。これからどんな男性と出会い、そしてどんな結婚をするんだろう。
「ほら、そんなにハグしたら、ひげが刺さるでしょ。ひな、嫌がってるわよ。」
「そんなことないよな。ひなはこれが好きなんだもんな。ちょっと待ってて。すぐに用意してくるから。」
 僕は再び階段を上った。左手にはもう一人のひなたが描いた花嫁の絵。僕は娘のひなたのこれからの人生と、もう一人のひなたのこれまでの人生をふと思いやった。
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