第32話 笑われた話。

文字数 2,342文字

 月曜日。
 土曜日から悶々と過ごし、結局は景子に押し切られるかたちで、天ヶ谷さんのところにお世話になると決めたのは、日曜の夜になってからだった。
 両親も景子と同じ職場ということで、安心はしてくれたようだ。
 考えることばかりでなかなか寝付けず、月曜の朝から寝坊をしたオレは、時間ギリギリで出社した。

 今日も安本さんは楠瀬さんに教えながらの作業で、話しかける隙もない。
 オレはいつものように設計書を作り、図面を描いた。
 ときどき視線を向けても、今日も魔王は不在だ。
 フロア内の色は少し変わってきて、活気のある明るい色をしている。
 金森事業部長が、流れを良くするって言っていたけれど、その成果が出はじめているんだろうか。
 辞めていくオレには関係のない話なんだろうけれど、それまでのあいだ、少しでも居心地がいいのはありがたい。
 来たばかりのころは、こんなふうに辞めていくとは思ってもいなかったけれど……。

「お疲れさまです」

 勤務終了後、駅まで向かう途中で安本さんに声をかけられた。

「あ……お疲れさまです」

 しまった――。
 土曜日に買った退職のプレゼント、今朝は寝坊して持ってきていない。
 せっかく二人になったのに……。

「あれから体調はどうですか? 気にはなっていたんですけど、なかなか話す機会もなくて」
「大丈夫です。心配していただいてありがとうございます」
「大丈夫なら良かったです」

 そういって隣を歩く安本さんをみた。淡いラベンダー色をしている。いつもどおり、クリアな色だ。

(相変わらず、奇麗な色だな……)

 今週で、もうこの色も視納めか……。
 キュッと胸が締めつけられる。やっぱり好きだなぁ、と思う。

「私、気になっていたことがあって……」
「はい?」
「木村さんって……もしかして、なにかみえてます?」

 安本さんはそういってオレを見あげてきた。
 ドキリとして手に汗がにじむ。

「どうしてですか?」
「なんかいつも、視線が上を向きますよね。っていうか、今の答えが答えになっていますよ」

 安本さんがクスクスと笑う。今の答えがなんで答えになる?

「映画でも、疑問に疑問で返すときって、だいたい当たりだったりするじゃあないですか」
「えっ! そうでしたっけ? しまったな……」
「ホラ、今も。バレたってセリフみたいですよ。で、なにがみえているんですか?」

 カマをかけられているんだか、本気で言っているんだか、よくわからない。
 ただ、色に変化がないのは、少なくとも気味が悪いとは思っていないってことだよな?
 いや。変化がなくてもうまく隠しているだけかもしれない。

「幽霊……だったりします?」
「それは視えたことはないですけど……」
「けど?」

 あと少ししかいられないかもしれないのに、嘘はつきたくないし、ごまかすのも違う気がする。
 言っていいのか……やめたほうがいいのか……。
 迷いながら、オレは話してみることにしたよ。変わるか変わらないか、賭けだ。

「オレ……実は人の感情が色で視えるんです」
「……色?」

 怪訝そうな表情で安本さんはオレをみる。そういえば、ここ最近で何度か同じ表情をみた。

「それで……ときどき、悪意の色……っていうんですかね。変な色が視えると具合が悪くなったりして……」
「もしかして、このあいだ倒れたのはそのせいですか?」
「……情けないんですけど、そうです」

 地下鉄への階段を下りながら、安本さんはなにかを考えている。
 やっぱり話してしまったのは間違いだっただろうか?

「あの……ちなみに私のもみえているんですか?」
「はい……一応……」
「一応?」
「えっと……なんでか安本さんのは、ときどき色が形になっていることがあって」
「えー……? それってどんな形なんですか?」
「あ……えっと……なんていうか……魔王が……こう、RPGゲームのキャラみたいな、真っ黒で角と羽があって……目が吊り上がってる……」

 安本さんは地下道の途中で足を止めた。
 オレも立ち止まって安本さんを振り返る。

(ヤバい……気を悪くさせちゃったかも……)

 んふっ……と安本さんはむせるように息をはいて肩を震わせた。

「魔王、ですか……ぷふっ……」

 堪えきれなかったのか、突然あははと大声で笑い始めて、オレは呆気にとられた。
 また歩き出し、オレもあわててそのあとを追う。
 笑い続けて改札の前まで来ると、ようやく大きく息をはいて笑うのをやめた。

「いや~、黒いオーラが出ているとは良く言われますけど、魔王は初めてですよ」
「あ……なんか、すみません……」

 笑いすぎて涙がでたのか、目もとを拭いながら改札をくぐった。

「魔王か~。そうですか……魔王……ふふっ」
「あの……安本さん? 大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。それより、凄いじゃあないですか。とんでもない能力をもっていたのは、木村さんのほうでしたね。そうしたら、私は戦ったら強いのかも」

 階段をおりると、ちょうど上りと下りの電車が入ってきた。
 二人で急いで駆けおりる。
 
「それじゃあ、お疲れさまでした。また明日」
「はい、お疲れさまでした」

 安本さんが乗り込むと、ドアが閉まった。こちらに向かって手を振る。
 オレも急いで電車へ乗り込んだ。
 トンネルだから外は真っ暗で、ドアのガラスに映る自分をみた。
 変わらないどころか、笑われてしまった。気を遣って笑っていたようにはみえなかったよ。
 ガチで笑っていた。気味悪いと思われてもおかしくないのに。しかも魔王とか失礼なことを言って。
 以前、一緒に映画にいった帰りに話したことを言われたな。あんな話しを覚えていてくれたんだ。

(ヤバい……なんかすごく嬉しいかも……)

 このまま、本当にこのまま今週で会うことがなくなってしまうんだろうか。
 地味に胸がキュウっと痛んだんだ。
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