第45話 決起 その5

文字数 2,418文字



 小寝殿と母屋を繋ぐ西廊が、茜色に染まっている。

 義盛はふと足を止め、西の空を見上げた。

 鎌倉と外界とを隔てる低い丘陵の、その稜線に掛かる雲の隙間から、赤い太陽が僅かに顔をのぞかせている。

 生涯を戦乱の世に生き続けてきた義盛には、それを見て美しいとか、きれいだとかと、口に出して呟くような感性はない。が、心を揺さぶる何かを感じて、山の中に消えゆく巨大な天体を見つめ、そして奇怪な自分の姿に気が付いて狼狽した。

(おかしなものじゃ。この地に住まうて二十数年、何度となく見てきた風景なのに、なぜか目が潤んできおる。わしにも焼きが回ったのかな)

 義盛は鼻を鳴らして自分を嘲笑し、独りごちた。

 ──このいくさが終わったら、全てを太郎に譲って隠居しよう。

 側付きの郎党が一人、母屋の濡れ縁を回ってくる。義盛は我に返り、歩み寄るその男を見やった。

 男は義盛のすぐ脇で立ち止まり、片膝をついて告げた。

「殿、夕餉の支度が調いましておりまするが……」

「ああ、もはや左様な刻であるか」

 義盛は周りを見渡した。

 母屋や渡り廊下では、使用人たちが遣戸や蔀を閉めて回っている。

 それを見ながら義盛は、にわかに思い出したかのように男に訊いた。

「……そうじゃ、太郎たちはまだおるか?」

「いえ、すでにそれぞれのお屋敷に戻られましてござります」

「さようか……。息子どもに少々話すことがあったのじゃが」

「……? お呼びしましょうか?」

 小首を傾げた男に義盛は男に笑みを向け、

「よい、よい。別に火急というほどではなきゆえ、呼びに行くまでもない。明日この屋敷に来たら話せばよいじゃろう」

「さようでござりまするか」

 男は微かに頷いた。

「……夕餉の御膳は寝所にお持ちしてよろしいでしょうか」

「それでよい」

 男はすぐに女中を宰領して膳を運んできた。その後ろには岩神がいる。

 義盛は畳に腰を下ろすと、膳を見ながら几帳(きちょう)の向こう側に坐った岩神に声を掛けた。

「何かあったか?」

「……今申し上げてもよろしいでしょうか」

「なんじゃ、早く言え」

「はっ。……御所からお使者がお見えでございます」

「御所から? また来たのか?」

 女中から飯を盛った椀を受け取りながら、義盛は露骨に嫌な顔をした。尖った声で岩神に訊く。

「して、使者は誰じゃ」

宮内(みやうち)刑部丞(ぎょうぶのじょう)忠季(ただすえ)さまでございます」

「宮内? もはや宵になろうという刻に何用じゃ」

「さあ……。鎌倉殿の言いつけで参った、と申されるばかりで、用向きは分かりかねます」

 咎めるような口調の義盛に、岩神は自分が叱られているような気がして、恐縮した声を出した。直接には見えない義盛に対して頭も下げる。

「分かった。飯を食い終わったら会うゆえ、侍所で待たせておけ。茶や菓子は出さぬでもよいぞ」

「はっ、かしこまりました」

 去っていく岩神の足音に向かって、義盛は箸を投げつけたい衝動に駆られた。



 すでに夜の(とばり)は下りて、辺りは真っ暗になっている。

 茹でたワラビとタケノコの醤かけ、フキと昆布の煮物、イワシの干物といった夕食を、普段より時間をかけて咀嚼し、胃袋に収めた義盛は、下男が掲げる灯りを頼りに、ゆっくりと東渡殿を歩いて侍所に向かった。

 侍所には数台の灯架が置かれ、その上にある油皿の(ともしび)が揺らいでいる。

 忠季はその薄暗い空間の上座に坐り、険しい表情で対の面に置かれた屏風を睨みつけている。

「お待たせいたした、夕餉を食していたものでな──」

 義盛は屏風の前に坐り、会釈もせずに言った。

「して、かような時刻に何用でござるかな」

 忠季は義盛に目を移した。睨みつけるような表情は崩していない。

「……先ほど、和殿の郎党が太刀を抜き、御所からの使いに斬りかかろうとしたそうではないか。上さまはそれを聞いて、とても驚かれている」

「太刀を抜き? ……誰もさようなことはしておらぬが」

「ほう。では和殿は上さまの上使が嘘をついた、と申すか」

「誰も太刀などを抜いてはおらぬゆえ、その上使とやらが嘘をついているのは明白であろう」

 義盛はそう言いながら、いささか呆れた思いで忠季を見た。

 ──義時は三郎たちが矢を向けたと御家人たちに言ったそうだが、こやつの倅は太刀を抜かれたと鎌倉殿に言ったのか。こいつらはどれだけ話を膨らませれば気が済むのだ?

「兵衛尉は嘘をつくような男ではない!」

 忠季は声を荒らげた。

 その顔色が見る見る赤く変わっていくのが、薄暗い灯火の下でもほのかに分かる。義盛はそれを眺めながら、少し首を竦めるしぐさをした。

「さようでござるか? 三郎たちが鎧直垂などを着て列座し、おぬしの倅殿を見送ったのはまことではあるが、太刀を抜いたり矢を向けたりしたことはない」

「………」

 忠季は、

 ──矢を向けたり……。

 という、義盛がさりげなく口にした言葉に反応して、一瞬視線を外して戸惑ったような表情を顕わにした。が、すぐに視線を義盛の双眸に戻して言った。

「……和殿の御子息が武装して兵衛尉を見送ったというのは、まことだと申されるか」

 義盛は内心、

(確かにあれにはわしも驚いた)

 と思い、両口角を下げて苦笑を浮かべつつ言った。

「甲冑を着こんでいたわけではなきゆえ、武装、というほどのことではなかったが……、まことと言えばまことでござる」

「なぜゆえか?」

「愚息は、倅殿が鎌倉殿のご威光を笠に着て、無礼な振る舞いに終始していたから、と申しておった」

「上さまの上使であるぞ、言葉使いなどが違うのは当然であろう」

「まあそうじゃが。ただ、倅どもは鎌倉殿、というより、相州の影を感じ取って、さような挙に出たのであろう」

「相州殿の影とは、いかなることだ」

「おぬしも良く知っておろうが、鎌倉殿は相州の傀儡(くぐつ)になり果てておる。ということは、鎌倉殿の使いは相州の使いに他ならないであろう」

「いやそれは違う! 上さまは相州殿の傀儡などではないし、倅も相州殿の使いではない!」

 忠季は不快感を顔面一杯に溢れさせ、怒鳴るように言った。


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