第59話 小糠雨 その2

文字数 2,739文字



「捨て置け──」

 義盛が後ろから声を掛けた。

「敵が掛かってきても取り合うな、と言ったであろう」

「はあ、しかし……」

 三郎義秀は、いたずらが露見して叱られている犬のような表情をしながら振り向いた。

「そちはいつもその調子じゃ。……行くぞ」

 義盛は苦々しげに言って三郎義秀の横ををすり抜け、鶴岡八幡宮の鳥居の前を左に曲がって若宮大路に入っていった。三郎義秀は下人が曳いてきた馬に乗り、弓を受け取って、その後を追う。

 大路の両側に並ぶ御家人屋敷は、全てその門を閉じている。敷地内で篝火を焚いている屋敷が多く、それらは塀の中が薄明るく見える。

 低く垂れこめた雲は、篝火や御所の火災を反射して、ぼうっとした赤みを帯びた、不気味な光を放っている。

 義盛が兵を挙げてから、すでに二刻ほどが経過している。

 個々の局地戦では連戦連勝だが、和田一族の男たちは勝ちに沸くことはなく、浮かれることもない。彼らはむしろ、徒労感に苛まれている。

 義時には逃げられ、実朝も姿を消してしまった。

 とどのつまり、挙兵は失敗だったのではないか──。

 段葛(だんかずら)(*註)の東側を行軍している男たちの胸中には、否応なくそのような思いが芽生え始め、それが彼らの足取りを重くしている。

 一方の義時とって、計画はほぼ順調に進んでいる。すでに相当数の侍が討死しているが、それに対して義時は何ら痛痒を感じず、いかなる感傷もなく、当然悔恨の念などはない。ただ単に、彼らの死はこれから訪れるべき勝利への布石だと思っている。

 義盛らが由比ガ浜を目指して退き始めた、という諜報を聞いた義時は、小躍りしたくなる気持ちを抑え、ことさらに厳しい表情を作った。その上で、御所での戦闘に敗退し、撤退してきたばかりの泰時を呼びよせる。

「味方の諸将を率いて敵を追え」

「はっ、分かりました」

「味方を三手に分け、一つは小町大路、もう一つは今大路に迂回させよ。残りの一つは敵の後ろに付くように若宮大路を進め──」

 片膝付いて命を聞く息子に、義時は細やかな策を授けた。

「……小町大路と今大路の部隊には(しも)下馬(げば)の辺りで横矢を散々に射かけて敵を混乱させ、一部の兵を割いて討ち入らせよ。敵が小さな集団に分裂したら、若宮大路の一手と合わせ、包み込むようにして討ち果たせ」

 義時の側に参じている御家人は北條一族の他、三浦党、足利一族、佐々木氏、甲斐武田氏、小山氏や八田一族、武蔵七党の一部などで、その人数はすでに義盛側の数倍になっている。それらで四方から義盛の軍を包囲して攻め掛かれば、いかに和田一党の侍が一騎当千のつわものでも、容易に殲滅できるであろう。

 指示に頷き、法華堂を出ようとした泰時の後姿に、義時は声を掛けた。

「敵に逃げ道はない。前浜に逃げたらそのまま海に追い落としてしまえ」

 義時の後ろで床几に坐っている実朝は俯き、苦虫を噛みつぶしたような表情をしている。



 気が付くと、細かい雨が降り出している。

 義盛の軍勢は三郎義秀を先頭に、敵襲に備えて四周を警戒しつつ馬を進めている。時折周辺の塀の上から矢が飛来し、その度に小規模な矢いくさが発生するが、大きな戦闘には発展しない。

 二の鳥居を過ぎ、一の鳥居に近づくと、連なっていた御家人屋敷の築地塀は終わりを告げる。その先は砂丘の微高地になっていて、町人(まちびと)の住居が増えてくる。

 庶民の住居はほとんどが半地下の竪穴式住居で、一見すると地面に直接茅葺屋根を被せているように見える。高さは七尺ほどである。集落を過ぎると、その先には由比の前浜が広がっている。

 一の鳥居手前にある、大町大路との辻、いわゆる下の下馬に差し掛かるところで、三郎義秀は立ち止まった。

「かようなところには、往々にして敵が潜んでいるものだ……」

 と呟き、周りを見渡す。

 低い雲に反射した火災や篝火の影響でほのかな明るさがあり、全くの闇ではない。目の前にある民家はいくつか確認できるが、降りしきる小糠雨が煙のように舞い、視界を遮っているので、たった五間の距離でも容易には見通せない。

 耳を澄まし、敵の気配を探ってみるが、聞こえるのは水滴が甲冑から流れ落ちて地面に滴る音と、数町離れた由比ガ浜に打ちつける潮騒だけである。

「ふーむ」

 三郎義秀は首を傾げ、振り返って、すぐ後ろに続いている古郡保忠を見た。

「ここは一気に駆け抜けるべきだと思うが、五郎殿はどう思う?」

「三郎殿が申される通りであろう。全員一丸となって走れば、敵がいても気付かれる前に大方の者はここを抜けられる」

 三郎義秀は頷いた。

「ではその旨、父上に申し上げてくる」

 百五十騎、総勢三百人に近い隊列は短くない。

 鶴岡八幡宮から由比ガ浜まで一直線に伸びている若宮大路は、全幅が三の鳥居付近で十一丈、およそ三十三メートルもある大通りで、路側には幅一丈、深さ五尺の溝が穿たれている。全幅は南に行くほど広くなり、一の鳥居の近辺では二十丈近くあったのではないかとする説もある。その中心を通る段葛によって左右に分かれていて、それぞれの幅は義盛の屋敷付近では四丈ほどある。

 その道を二騎から四騎の騎馬武者が並ぶように隊列を組んで行軍しているが、先頭から中ほどにいる義盛までは一町ほどの距離がある。最後尾までは、さらに一町近く行列が続いている。

 三郎義秀は、兵卒や騎馬に接触しないようにそろりと馬を進め、義盛の元まで戻った。

「父上、この先の下の下馬ですが」

「うむ? 敵がいそうか?」

「気配はありませんが、何となく潜んでいるような気がいたします」

「さようか。で、そちはどうするつもりじゃ?」

「隊列を縮めて一気に走り抜けるべきか、と」

「うむ、それがよい」

 義盛は頷き、伝令役の郎党を集め、味方の諸将に伝える指示を与えるべく、口を開いた。

「皆に伝えよ──」

 と、その時、突如前方から怒号と共に叫び声が聞こえてきた。

「敵襲──!」



*註釈

 段葛 ── 若宮大路の中央を通っている、道路面より高くなっている鶴岡八幡宮の参道。現在は三の鳥居前から二の鳥居までだが、かつては一の鳥居まで続いていたという。三の鳥居前ではその高さは一尺五寸、幅は五間で、一の鳥居に向かって徐々に幅が広くなっている。両側は崩れないように石積をしてある。
 現存するものは平成二十八年(二〇一六年)三月に完了した改修工事による姿である。この工事で路面は舗装され、桜並木も植え替えられた。
 段葛という名称は「葛石」を積んだ「段(檀)」が由来だが、鎌倉の平地部は元々低湿地で水が溜まりやすく、若宮大路は少しの雨でもぬかるみになったので、歩きやすくするために檀状の道を作ったのだという。
 なお、段葛は室町時代以降の名称で、鎌倉時代には「作道(つくりみち)」、「置路(おきみち)」などと呼ばれていた。


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