第24話 三郎 その2
文字数 1,980文字
その時、西の門から五郎義重が一人で入ってきた。乗馬を口取りに預け、大股で前庭を横切ってくる。
「どうじゃった?」
義盛は、母屋に入ってきた五郎義重に訊いた。
「父上の仰せられた通り、浄蓮房殿は知らぬ存ぜぬの一点張りでござりましたが……」
「うむ。それで?」
「浄蓮房殿の庵の近くで田植えの準備をしていた民たちに訊きまわったところ、小坊主一人を連れた
「おお、見た者がおったか。で、いつ頃見たか申しておったか」
「夜明け前の、まだ薄暗い頃だったそうでござります。なんでも牛にやる草を刈りに行こうと外に出たところに、ちょうど黒衣の四人組が通り過ぎて行ったとか。坊主が人目を憚るように、足早に去っていったので、不審に思うておったそうでござります」
「夜明け前の薄暗いうちか……」
──よかった。
義盛たちはほっと胸をなでおろした。
──これならまだあまり遠くには行っていないはずだ……。
「して、どちらの方角に向かったか、その民は言っておったか」
「はい、稲村ケ崎を超えて西の方へ行ったようだ、と申しておりました」
「稲村路を西にか……、うーむ。で、六郎はどうした」
「六郎はとりあえず西に向けて走らせておきました。ここに帰ってくる時間がもったいないと思いましたので」
「そうか」
「三郎はいかがなされまするか?」
左兵衛尉常盛が、ふと思いついたかのように言った。
「うむ? 当然連れて帰るが?」
「あ、いや。倅ではなく、弟の三郎義秀のほうです」
「ああ、義秀か。あんな者は放っておいてもよい、どうせそのうちに帰ってくるじゃろう。……そんなことはどうでもよいが」
苦悶の表情を浮かべた義盛は、腕を組んで目を閉じた。
(三郎、そちはどこへ行こうとしておるのか……。走湯山にいくつもりなのか……。いや、そんなはずはない……。もしや比叡山か、それとも京か? まさか
「父上──」
四郎義直は義盛に声を掛けながら、すっと立ち上がった。
「私もそろそろ行きます」
「………」
「父上!」
「ん、何じゃ……」
義盛はゆっくりと薄目を開けて、靄掛かったような眼差しで四郎義直を見た。
「……私も行ってまいります」
「どこへじゃ?」
「え? どこへって……?」
左兵衛尉常盛は義盛の突如の変調にぎょっとして、義盛をじっと見つめた。四郎義直は立ったまま唖然として首を振り、五郎義重は息を詰めて父親を凝視している。三郎朝盛の郎党までもが驚いた表情で義盛を見ている。
──父上は大丈夫なのだろうか。
──分からぬ。が、三郎がいなくなったのが余程応えたのだろう。
──この期に及んで焼きが廻ったのであろうか。
──こんなに急に焼きが回るか?
──いずれにしても父上にはちゃんとしてもらわないと困る。
──全くだ。これからが大事になるのだから。
──このまま父上が呆けてしまったら、どうするか。
──兄上が一族を率いて戦うしかあるまい……。
三人は目を合わせ、暫し無言で会話をしたが、四郎義直は意を決して声を出した。
「父上、しっかりなさってくだされ。三郎を探しに、でござります」
「……うむ? さ……」
「父上! 行方知れずになった三郎でござります!」
「む……」
義盛の体がぐらりと揺れた。
「父上!」
四郎義直は仰天して悲鳴のような声を出し、義盛の体を支えた。
「これはいかん、中風にでも
左兵衛尉常盛は弟たちに言って、別棟にいる義盛の郎党に向かって声を張り上げた。
「おーい、誰かこれへ!」
すぐに十数人の男たちがやってきた。が、彼らは四郎義直に支えられた義盛を見て、息を飲み、足を止めた。
「何をぐずぐずしておる!」
左兵衛尉常盛は怒鳴った。
「父上の様子が変だ、今すぐ臥所にお連れしろ! そちは
虚ろな目をした義盛は郎党たちに担がれて、母屋の奥に消えていった。
「大丈夫でしょうか……」
五郎義重は、人の走り回る音がする奥に目をやりながら呟いた。
「分からぬ。しかし、父上に万が一のことがあったら、挙兵の件は考え直さねばならぬだろう」
「相州の首が繋がる、ということになりますが……」
「それはそれでやむを得ぬが、また後日兵を挙げることもできるだろう。……だが、そんなことは薬師の見立てを聞いてから考えればよいことだ」
「分かりました」
左兵衛尉常盛は四郎義直に向き直った。
「四郎、そちは三郎を探しに行け。見つけたら奴の首に縄を括りつけてでも連れ戻せ。よいな」
「もちろんでございます。父上があのようになったのも、元はと言えば三郎のせいですから」
「そういうことだ」
「それでは行ってまいります」
「ああ、頼んだぞ」
四郎義直は軽く左兵衛尉常盛に会釈をしてから踵を返して庭に降り、中門の外で待っていた彼の郎党と二騎で、西門から稲村路の方角に去っていった。