第17話 三浦介 その1
文字数 2,040文字
「太郎──」
義盛は首を傾げながら、退室しようとしていた左兵衛尉常盛を呼び止めた。
「……少々話がある」
「はなし……、いかなる話でござりましょう」
左兵衛尉常盛は円座に坐り直し、思案顔の義盛を見た。
「うむ……」
義盛はどう話を切り出そうか迷っている。
「どうもはかりごとは苦手じゃ」
「はあ……」
「こっそりと何かをするのは、慣れておらぬ」
「……? まあ、それは私めもですが」
左兵衛尉常盛は訝しがって首をひねった。父は何を言いたいのだろう。
「我ら一族にも、中原 大膳 や二階堂山城判官のような男がおればよいのだが……」
「……中原大膳殿? ……二階堂山城判官殿?」
「頭の回る男、という意味じゃよ」
「ああ、なるほど──」
義盛が何を言いたいのか、左兵衛尉常盛にも何となく分かってきた。
和田一族は弓箭の家として名を成している。軍事に関しては、自他ともに認める能力を持っているが、知略を要する事項に関しては、流刑になった平太以外はあまり得意とは言えない。特に、隠密に、そして用意周到に、はかりごとを計画し実行する能力は、時政以来大膳大夫 中原 広元 (のちに改姓して大江 広元)や二階堂山城判官行村といった文官には、全く及ぶところではない。
「ならばそのような人物を味方に引き入れればよい──」
という訳にもいかない。
小才のある人物は恐ろしい。こういう類の人間は、体制に強烈な不満を抱いているか、元々昵懇の間柄ならともかく、「知人」程度では先々まで深読みして算盤を弾き、少しでも自分の利益になりそうな方に味方する。下手をすると泉小次郎の陰謀における千葉成胤のように、義時のもとに駆け込み、
──恐れながら申し上げまする、和田一族はこなたさまに対する陰謀を企図しておりまする……。
などと言われかねず、あるいは、味方のふりをして敵に情報を流す「返り忠」をされる可能性もある。
「誰か良い者はおらぬか」
「……平六はいかがですか」
左兵衛尉常盛は一瞬躊躇したのち、一人の男の名を挙げた。
「平六、か」
「はい」
「奴は確かに利口だが。……しかし表裏があり過ぎる」
平六とは三浦党総裁の三浦平六義村のことである。三浦党の嫡流は、代々相模 介 を世襲しており、通称を「三浦 介 」ともいう。義村は義盛より二十一歳年下の従弟で、左兵衛尉常盛とは四歳年上の「従兄違 い」になる。
義村は、三浦一族では異例ともいえる策士で、梶原景時の変、畠山重忠の乱や牧氏の変(北條時政失脚事件)という大事件では、常に主要な役割を果たしている。その生涯は、外野から眺めている人にとっては不可解な行動に彩られていて、この時代を生きた公家の藤原定家は、その策士ぶりに「不可思議な者」という人物評を書き残している。
「信用なりませぬか」
「ならぬ」
「……父上もはっきりと申されますな」
左兵衛尉常盛は苦笑した。彼と義村は分家の倅と本家の当主という関係性だが、それ以前に幼馴染であり、兄弟のように仲が良い。ただ、微妙な不信感は抱いており、信用できるか、と訊かれれば全面的に信用できる、と太鼓判を押す自信はない。
「平太がいなくなったのは大きな痛手じゃ。なんとか連れ戻せないだろうか」
左兵衛尉常盛は首を振った。
「今となっては無理でしょう。平太の被官から気の利く者を一人、世話役として彼の地に送りましたが、監視の目をかいくぐって戻ってくるのは無理です」
「こんなことなら、平太が奥州に連れ去られる時に襲撃して、取り戻しておけばよかった」
義盛は苦々しい口調で呟いた。
だいたい、頼朝が死んでからというもの、義盛には見込み違いが多すぎる。
梶原景時弾劾事件の際は、
──腹立たしく、憎々しい奴。
という感情的理由で後先のことを深く考えずに賛同し、連判状に署名して、さらに弾劾状を手元に留めていた中原広元を激しく詰問し、無理矢理鎌倉殿頼家に提出させるなど、梶原一族没落の主役を演じてしまった。
比企一族が滅ぼされた時は、義盛は主役ではなかったものの、一族を率いて寄せ手に参加し、比企一族滅亡に手を貸してしまった。
畠山重忠の滅亡にも、義時が総大将の討伐軍に参加している。
義盛も多数派の一員に過ぎなかったと言えばそれまでだが、大族三浦党の「長者」として、北條家の暴走に歯止めをかけるように立ち回ることはできたはずである。
「比企や畠山が生きていれば、北條をこれ程までのさばらせることもなかったのだが……。そんなことを言っても後の祭りか」
義盛は溜息をつきながらぼやいた。
「父上、しっかりなさってくだされ」
左兵衛尉常盛は義盛の膝を軽く叩いた。
「うむ……」
「もはや兵を挙げると決めた以上、我らだけで何とかしなければなりますまい」
「……そうだな。無い知恵を絞って何とかしよう」
「取り敢えず私は平六に会ってきます。やはり三浦の兵は必要ですから」
「うむ、そうだな……」
義盛は煮え切らない。
義盛は首を傾げながら、退室しようとしていた左兵衛尉常盛を呼び止めた。
「……少々話がある」
「はなし……、いかなる話でござりましょう」
左兵衛尉常盛は円座に坐り直し、思案顔の義盛を見た。
「うむ……」
義盛はどう話を切り出そうか迷っている。
「どうもはかりごとは苦手じゃ」
「はあ……」
「こっそりと何かをするのは、慣れておらぬ」
「……? まあ、それは私めもですが」
左兵衛尉常盛は訝しがって首をひねった。父は何を言いたいのだろう。
「我ら一族にも、
「……中原大膳殿? ……二階堂山城判官殿?」
「頭の回る男、という意味じゃよ」
「ああ、なるほど──」
義盛が何を言いたいのか、左兵衛尉常盛にも何となく分かってきた。
和田一族は弓箭の家として名を成している。軍事に関しては、自他ともに認める能力を持っているが、知略を要する事項に関しては、流刑になった平太以外はあまり得意とは言えない。特に、隠密に、そして用意周到に、はかりごとを計画し実行する能力は、時政以来
にわかに
謀略の総合商社となった北條一族や、脳ミソの性能だけで世を渡らなければならない公家出身の、「ならばそのような人物を味方に引き入れればよい──」
という訳にもいかない。
小才のある人物は恐ろしい。こういう類の人間は、体制に強烈な不満を抱いているか、元々昵懇の間柄ならともかく、「知人」程度では先々まで深読みして算盤を弾き、少しでも自分の利益になりそうな方に味方する。下手をすると泉小次郎の陰謀における千葉成胤のように、義時のもとに駆け込み、
──恐れながら申し上げまする、和田一族はこなたさまに対する陰謀を企図しておりまする……。
などと言われかねず、あるいは、味方のふりをして敵に情報を流す「返り忠」をされる可能性もある。
「誰か良い者はおらぬか」
「……平六はいかがですか」
左兵衛尉常盛は一瞬躊躇したのち、一人の男の名を挙げた。
「平六、か」
「はい」
「奴は確かに利口だが。……しかし表裏があり過ぎる」
平六とは三浦党総裁の三浦平六義村のことである。三浦党の嫡流は、代々
義村は、三浦一族では異例ともいえる策士で、梶原景時の変、畠山重忠の乱や牧氏の変(北條時政失脚事件)という大事件では、常に主要な役割を果たしている。その生涯は、外野から眺めている人にとっては不可解な行動に彩られていて、この時代を生きた公家の藤原定家は、その策士ぶりに「不可思議な者」という人物評を書き残している。
「信用なりませぬか」
「ならぬ」
「……父上もはっきりと申されますな」
左兵衛尉常盛は苦笑した。彼と義村は分家の倅と本家の当主という関係性だが、それ以前に幼馴染であり、兄弟のように仲が良い。ただ、微妙な不信感は抱いており、信用できるか、と訊かれれば全面的に信用できる、と太鼓判を押す自信はない。
「平太がいなくなったのは大きな痛手じゃ。なんとか連れ戻せないだろうか」
左兵衛尉常盛は首を振った。
「今となっては無理でしょう。平太の被官から気の利く者を一人、世話役として彼の地に送りましたが、監視の目をかいくぐって戻ってくるのは無理です」
「こんなことなら、平太が奥州に連れ去られる時に襲撃して、取り戻しておけばよかった」
義盛は苦々しい口調で呟いた。
だいたい、頼朝が死んでからというもの、義盛には見込み違いが多すぎる。
梶原景時弾劾事件の際は、
──腹立たしく、憎々しい奴。
という感情的理由で後先のことを深く考えずに賛同し、連判状に署名して、さらに弾劾状を手元に留めていた中原広元を激しく詰問し、無理矢理鎌倉殿頼家に提出させるなど、梶原一族没落の主役を演じてしまった。
比企一族が滅ぼされた時は、義盛は主役ではなかったものの、一族を率いて寄せ手に参加し、比企一族滅亡に手を貸してしまった。
畠山重忠の滅亡にも、義時が総大将の討伐軍に参加している。
義盛も多数派の一員に過ぎなかったと言えばそれまでだが、大族三浦党の「長者」として、北條家の暴走に歯止めをかけるように立ち回ることはできたはずである。
「比企や畠山が生きていれば、北條をこれ程までのさばらせることもなかったのだが……。そんなことを言っても後の祭りか」
義盛は溜息をつきながらぼやいた。
「父上、しっかりなさってくだされ」
左兵衛尉常盛は義盛の膝を軽く叩いた。
「うむ……」
「もはや兵を挙げると決めた以上、我らだけで何とかしなければなりますまい」
「……そうだな。無い知恵を絞って何とかしよう」
「取り敢えず私は平六に会ってきます。やはり三浦の兵は必要ですから」
「うむ、そうだな……」
義盛は煮え切らない。