第4話 千葉介 その2

文字数 1,791文字



「だがな、わしが旗頭というのは良くないぞ」

 成胤は大身といえども、所詮は一御家人である。日本第一の大身であればともかく、成胤と同規模の身代で、身分も同程度の御家人たちの上に立って彼らを率い、事を起こし、そして成功に導く自信は、成胤にはない。

 義時を成敗するための挙兵なら、総大将はもっと上位で権威のある人物がすべきだと成胤は思う。その人物は、例えば武士の頭領たる鎌倉殿か、あるいは京の帝か……。

 とはいえ、今の鎌倉殿は北條家にべったりであり、相模守を討ち取れ、などとは言いそうにない。帝やその周囲に脈はあるかもしれないが、朝廷工作をするには時間がかかる上に、強欲な公家衆、特に摂関家を買収するための大金が必要になる。


「しからば千寿丸(せんじゅまる)さまを頂く、というのは如何でしょう」

 安念法師は成胤の語意を感じ取って、旗頭となる資格を保持する人物の名前を口にした。

「……千寿丸さまか」

「はい」

「ふーむ、千寿丸さまか……」

 成胤は唸った。

 ──確かに千寿丸さまにはその資格はあるが……。

 千寿丸というのは北條家に殺された源頼家の遺児で、当年まだ十三歳の少年である。千寿丸の母親は頼家の死後、三浦党の総帥、三浦義村の末弟である胤義(たねよし)に再嫁して、千寿丸も胤義の元にいる(*註)。

「おぬし、もしやして、事が成った暁には実朝さまを廃し、千寿丸さまを鎌倉殿に就けようと申しているのか」

「その通りでござります」

「うーむ、なるほど……、な……」

 成胤は思った。この反乱が成功したら、一番手柄は千寿丸を掌中に持つ三浦党になり、鎌倉政府の権力が北條から三浦に移動するだけであろう。そしてその先にあるのは、混乱が混乱を呼ぶ再びの権力闘争か。それでは北條家が鎌倉を牛耳る現状と大して変わらず、下手をすると成胤と千葉一族も巻き込まれて面白くない事態に発展するかもしれない。

 それに──。

 すでに五十九歳の成胤は、もはや老年といっても良い年齢である。冒険を好み、野望をたぎらせる時期はとうの昔に過ぎ去り、今は安穏に余生を過ごしたい、という希望の方が強い。

 ──馬鹿馬鹿しい、こんな謀反などに与するか。断る。

 と言いかけて、成胤はふと思考を振り出しに戻した。

 ──やはりこの坊主は怪しい。とっ捕まえて義時のもとに送り返してやれば、あの者は二度と自分に謀略の網を張ることはなかろう。

 それに、もし安念法師が本当に泉小次郎の使者であったら、反乱を未然に防ぎ、義時に恩を売ることになる。千葉一族や自分自身に対して最良の策ではないか。

 これは名案だ、と成胤は自分の言葉に合点して心の中で柏手を打ち、返事を待っている安念法師に言った。

「これから泉殿に一味する旨の証文を書いてやる。出来るまでおぬしはゆるりとしておれ──」

 安堵の表情を浮かべて平伏した安念法師を横目で見ながら奥に下がると、成胤は粟飯原(あいはら)次郎ら側付きの郎党数人を呼び、命じた。

「安念法師とやらに縄を打ち、相州殿が元へ連れて行け──」




*註釈

 史書によると、千寿丸は父親の死後、尾張(おわり)中務(なかつかさの)(じょう)という者に養育されていたとされる(尾張氏は尾張国熱田神宮の社家か)。
 熱田神宮は祖父の頼朝と関係が深く(頼朝の母親は熱田神宮大宮司藤原季範(すえのり)(むすめ))、そのため尾張氏が養育係に選ばれたのかもしれない。
 尾張氏は地盤が尾張である。彼らの職能からいって、鎌倉に屋敷を構えて千寿丸を養育していたとは考えにくく、恐らく尾張に連れて行って養育していたのであろう。
 もしかしたら尾張氏は、将来的に千寿丸を養子にして宮司職を継がせる予定だったのかもしれないが、将軍の子息に神主を継がせることはかなり違和感がある。なお異母兄である公暁(こうきょう)(読みは「こうぎょう」、または「くぎょう」とも。幼名は善哉(ぜんざい))は 十二歳で出家し、京の園城寺に入るまでは鎌倉で暮らしていた。
 一方、この当時女性が夫と死別しその後再嫁した場合、連れ子はその婚家に養育されることも多かったので、千寿丸も尾張中務丞ではなく、三浦胤義に育てられていた可能性が考えられるのではないだろうか。
 筆者は、鎌倉在住の方が反乱の首謀者に担がれやすいと考え、この物語では後者を採って構成した。
 なお、千寿丸はのちに出家させられ、栄実(えいじつ)と名乗ったが、度々謀反人の旗頭に担がれた挙句、建保二年(一二一四年)十一月十三日または承久元年(一二一九年)十月六日に自害したとされる。


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