第23話 三郎 その1

文字数 2,356文字



「今すぐにでも三郎を探し出して、連れ戻さねばならぬが……」

 義盛は思案顔で腕を組み、右手の親指を顎に当てた。

「三郎はもはや相模にはいまい。いや、武蔵や伊豆、そして恐らくは我らの領地がある上総や安房にもおらぬじゃろう」

「父上は、なぜそう思われまする? 浄蓮房殿は走湯山の密厳院を預かっておられます。あるいは安房には浄遍殿にゆかりのある清澄寺(せいちょうじ)がござります。三郎はそのいずれかに向かったのではありませぬか?」

 左兵衛尉常盛は義盛に訊いた。

「いや、違う。走湯山は目と鼻の先で、いかにも近すぎるし、清澄寺の辺りは我が領地であるゆえ、三郎は行くまい。三郎が書面の通り、心の安穏を求めて出奔したのなら、どこか我らの手の届かぬ遠国を目指しているのではないか」

「なるほど……」

「三郎は馬に乗っていったのだろうか」

 義盛は独り言を呟くように言い、濡れ縁に坐っている三郎朝盛の郎党を見やった。

 男は自分が話しかけられたのだと確信できず、義盛とその息子たちをチラチラと伺いながら、おずおずと尋ねた。

「……御所にでござりまするか」

「さようじゃ」

 義盛は男の様子に苦笑しながら頷き、先を促した。

「はて、どうだったか……」

 男はしばらく上を向いて記憶を辿っていたが、やがて三郎朝盛が御所へ向かった時の光景を思い出したらしく、晴れがましい表情になって言った。

「それがしが見た限りでは、三郎さまは歩いて御所に向かわれたと思いまする」

「歩いてか。一緒に行った者どもはどうじゃ。馬は曳いておらなんだか」

「他の者も(かち)でござりました。馬も曳いておりませんでした」

「さようか。すると、まださほど遠くには行っておらぬはずじゃな」

 義盛は、そちはどう思う? といった顔つきで、四郎義直に目を向けた。

「童もおるゆえ、五、六里といったところでござりましょうか」

「うむ、そのくらいじゃろう」

 義盛は自分と同じ見解の四郎義直に頷いたが、左兵衛尉常盛は右に左に首を傾げた。

「父上、いつ鎌倉を出立したか、にもよるのではありませぬか。御所にはちょっと顔を出しただけで、すぐに出立したのかもしれませぬ」

「ああ、なるほど。思いのほかに遠くへ行ってしまっていると考えられないこともないか……」

 義盛は左兵衛尉常盛に向けて首を数回軽く縦に振った。

「さようでござります。()(こく)(午後九時頃から十一時頃)辺りに出立したのなら、もはや半日以上経っておるゆえ、小童を連れていたとしてもすでに十里(*註)も先まで行っているやもしれませぬ」

「ならば、御所に行って、三郎がいつ帰ったか訊いてきましょうか」

 四郎義直は目玉だけを動かし、御所がある北方を見た。

「それは止めた方がよいじゃろう。三郎が姿をくらませたことが知れると、またぞろ騒ぎになるやも知れぬし、変な噂が立たぬとも限らぬ」

「分かりま──」

「遅い!」

 突然、三郎義秀が苛つきを顕わにした声を張り上げて、四郎義直を遮った。右手に持った扇子を閉じたまま、忙しなく左手の掌に打ちつけている。

「なんじゃ、いきなり。年寄りを驚かすでないぞ」

「すでに半刻はとうに過ぎておるのに、五郎も六郎もまだ帰ってこぬ。何をやっておるのだ、あの二人は!」

「三郎、さように苛つくでない。浄蓮房殿の庵は鎌倉の外れのさらに先じゃ。行って帰ってくるだけでも半刻近くはかかるのじゃぞ」

「しかし……」

 三郎義秀は右足を小刻みに揺すり始めた。

「まあ落ち着け。多分二人は野良仕事をしている民にでも、三郎のことを訊きまわっておるのじゃろう」

「……しかし、今、この瞬間にも、三郎めはどんどん先に行ってしまうではありませぬか。こうしてはいられませぬ、ちょっと探しに行ってきます」

「おい、こら。待て……」

 義盛の制止も耳に入らぬかのように、三郎義秀は立ち上がるや否や足早に廊下を渡っていき、中門の際に坐っていた彼の従者に一言二言何かを言ってから馬に飛び乗り、東の若宮(わかみや)大路(おおじ)に面する門から単騎走り去っていった。

「……行ってしもうたわい。三郎がどこに行ったかも分からぬのに、無闇やたらとすっ飛んで行っても仕様がないのじゃが……。あの者は武者働きさせれば天下一品じゃが、気忙しいのが玉に瑕じゃ」

 義盛は、やれやれと溜息をつき、左兵衛尉常盛と四郎義直を交互に見て言った。

「五郎と六郎が帰ってきたら、三郎どもがどこに向かったかおおよそ分かるじゃろう」

 二人はじっと義盛の口元を見て、そこから出るであろう指示を待った。

「四郎、そちは三郎を捕まえに行け。……いいか、奴を見つけたら縄を打ってでも連れて帰れ。三郎は恐らく坊主の姿になっておる。すでに出家して世を捨てておるからいくさ稼ぎなどはできぬ、などと言いだすやもしれぬが、そんな言い草には構うな」

「はい、三郎が何を言おうと、必ず連れて帰ります」

「うむ。奴には鎌倉殿を説得する仕事もあるが……、それよりも三郎は弓の名人じゃ。あれがいないと兵を十人失ったも同然じゃ……」


*註釈 

 十里 ── 距離(長さ)の単位「里」は時代によってその値が違い、平安時代の頃は一里≒五三三メートルだった。中世は六町(一町はおよそ一〇九・一メートル)を一里とした六町里(小道(こみち)などと呼ぶ、約六五四・五五メートル)と三十六町を一里とした三十六町里(大道(おおみち)、約三九二七・二七メートル)が主に使われていたという。現在に残る「九十九里浜」(千葉県)や「七里ヶ浜」(神奈川県)、「六十里越え」(福島県/新潟県)などの地名や路線名は、「小道」で計測した距離の名残りである。
 江戸時代に入る頃まで、東国では主に「小道」が使われていたというが、物語では「大道」での表記に統一している。
 なお、一里は国によっても違い、現代中国では一里=五〇〇メートル、朝鮮半島では一里≒四〇〇メートルとなっている。


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