1-15. 歓喜の超音速

文字数 2,520文字

 さらに十カ月、ヴィクトルは地下九十八階で手あたり次第に魔物を狩っていた。
 HPやMPは二十万を超え、ステータスもレベル千相当以上の強さに達するヴィクトルはもはやダンジョンでは敵なしである。それでも使える魔法のバリエーションを広げる意味で、レベルは上げておきたい。
 ヴィクトルはダンジョン内の広大な森の上を飛びながら魔物を物色し、見つけ次第魔法の雨を降らせて瞬殺していく。
 その様はまさに地獄からの使徒、魔物たちは逃げる間もなく断末魔の悲鳴を上げながら燃え盛る魔炎の中、魔石を残し、消えていった。 

 そしてついにその時がやってくる……。

 ピロローン!
 レベル二百を告げる効果音がヴィクトルの頭に響く。
 その瞬間、地獄の修行は終わりを告げたのだった。

「や、やった……」
 ヴィクトルはそうつぶやくとしばらく目をつぶり、疲れ果てた体のままただぼんやりと宙に浮かぶ。その体にはもうマトモな服も残っていない。上半身は素っ裸で(すす)だらけ、ボロボロの短パンだけが唯一人間らしい文化の名残を残していた。

 ヴィクトルは最後に倒したキメラの魔石を拾いに地面に降りる。そして、黄色に輝く魔石に解毒の魔法をかけ、透明にすると一気に吸った。ほろ苦い芳醇な味わいが一気に口の中に広がり、爽やかなハーブの香りが鼻に抜けていく……。まるでエールのようだった。
「カンパーイ!」
 ヴィクトルは空になった魔石を空へと掲げた。それは一年にわたる死闘の終結を祝う、至高の一杯だった。

 ステータス画面を開くと、レベル二百で解放された偉大な魔法の数々が並んでいる。ヴィクトルは前世アマンドゥス時代をはるかにしのぐ力を手に入れたのだった。
 これなら妲己にも勝てるだろう。あの美人の姉ちゃんをコテンパンにしてやる。
 ヴィクトルは興奮しながらこぶしをぎゅっと握った。

            ◇

 ヴィクトルは十一か月ぶりに地上に戻ってきた。
 洞窟を出ると、赤紫に輝く朝の雲が目の前に広がっている。思わず見とれ……そして、幸せいっぱいに目をつぶると大きく深呼吸をした。
 朝の風が森の爽やかな香りを運び、ヴィクトルの伸びきった髪をゆらす。ヴィクトルは無事地獄の修行を終え、地上に戻ることができた。何度も何度も、それこそ何万回も殺され、それでも妖魔から人々を守るために歯を食いしばり、ピンチを脱出してきた。
 ヴィクトルはつい涙をポロリとこぼす。
 もう止めようと思ったことも、絶望の中で心が折れそうになったことも数えきれないほどある。それでも大賢者としての矜持(きょうじ)がそれを許さなかった。
「やったぞ! チクショー!」
 ヴィクトルはそう叫びながら右手を突き上げると、真紅に輝く魔法陣を瞬時に描き、覚えたばかりの最強の火魔法絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)を朝焼けの空へ向けて放つ。絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)は空高く大爆発を起こし、激しい閃光を放つと森一帯に衝撃波を放った。
 ズン!
 衝撃波で大きく揺れる木々。それは地獄の修行に成功した祝砲だった。
 ヴィクトルは初めて使った究極の火魔法絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)の性能に満足し、ニヤッと笑うと飛行魔法で飛び上がる。

「ヒャッハ――――!」
 レベル千を超えるステータスは異常だった。ヴィクトルが加速するとどこまでも上限なしに速度は上がっていく。
 グングンと高度を上げていくと、いきなりまぶしい光に照らされた。真っ赤な朝日が東の空、茜色の雲の向こうに昇ってきている。
 一年ぶりの本物の太陽。ヴィクトルはうれしくなって太陽に向かって飛んだ。
「帰ってきたぞ――――!」
 ヴィクトルはクルクルとキリモミ飛行をしながらグングンと速度をあげた。
 どんどんと小さくなっていく暗黒の森。あんなに恐ろしかった死の森も今やヴィクトルにとってはただの楽しい狩場である。
「クックック……」
 ヴィクトルは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。もはや世界最強。誰も自分を止められる者などいない。そして前世と違って何のしがらみもない。自由だ! 早く妲己の姉ちゃんをギャフンと言わせて念願のスローライフを満喫するのだ!
 どこに住もうかな? 王都? 無人島? 森の奥で畑を耕すのもいいかも……?
 ヴィクトルは妄想を膨らませながら、朝の爽やかな空気の中さらに速度をあげた。

 上空の空気は冷たい、上半身裸のヴィクトルは徐々に寒くなってくる。
「そうだ! 服を買いに行こう! 髪の毛も切らなきゃね」
 ヴィクトルは長い髪の毛を手でつかみ、野生児のような身なりをちょっと気にし、そして、自分の周りにシールドを張り、風防とした。

「これ、どこまで速度上げられるんだろう?」
 ヴィクトルは好奇心で魔力を思いっきりかけてみる。
 グングンと上がっていく速度。シールドはビリビリと振動してくる。
 眼下の景色は森も山も川もまるで飛んでいくように後ろへと消えていった。
 ヴィクトルはグッとこぶしを握り、さらに魔力をつぎ込んだ。

 するとまるで浮き輪をしたように、ドーナツ状の雲が自分を囲むように湧いてきた。
「これ……なんだろう?」
 いぶかしく思いながらさらに加速した時だった。

 ドーン!

 激しい衝撃音がシールドをゆらした。
「え?」
 見るとシールドが赤く光っている。
 そう、音速を超えたのだ。ヴィクトルはこの星で初めて音速を超えた人になった。
「す、すごいぞ!」
 理屈では知っていたものの、まさか音速を超えられるとは思わなかったヴィクトルは、思わずガッツポーズをした。

 森が山がどんどんと音速で後ろへと飛んでいく。ヴィクトルはその不思議な光景に思わずにんまりとしてしまう。大賢者として未知の現象は珠玉の甘露(かんろ)だった。

 やがて向こうの方に大きな山が見えてきた。綺麗な円錐(えんすい)形をして、山頂には雪も見えている。
 さらに近づいて行くとその山は火山で、上の方が吹き飛んだような形をしていることが分かった。横から見ると台形で、崖の稜線が連なって見える。
 ヴィクトルはその美しい自然の造形に魅せられて、速度を落とし、その山の上空をぐるりと回る。
「おぉ、綺麗だなぁ……」
 思わずウットリとするヴィクトル。
 こういう所に住むのもいいかもしれない。でもそれじゃまるで仙人みたいだな……。ヴィクトルはボーっとそんな事を考えていた。
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