2夜

文字数 1,598文字

 夢の中では、他に批判的な意識が出てこないために、どんなにおかしなことでも受け入れてしまいます。
 このことからも頭の中に住むのが自分一人ではないと、おわかりいただけるのではないでしょうか。



 未視感(メジャヴ)
 彼は驚きで目を輝かせていました。
「体重がないみたいだった。ワイヤーもないのに」
「ワイヤーを使った演出から爪先立ちが生まれたらしいよ」
「普通逆だよね」
 私は語りかけます。
「個人的にはね、マリインスキー・バレエのジゼルを観てもらいたいの。叶うなら、マリインスキー劇場で」
「ちなみにどこにあるの?」
「ロシア」
「遠いなぁ。……もしかして馬荒(まあら)さんの家族にロシアの人いる?」
「ううん」
「ひょっとしてイタリア人?」
「おばあちゃんがノルウェー人。愛容(あがた)って名前もそこから。日本語的には女の子っぽくない響きだよね」
「そんなことないよ!」
「それよりーー気に入ってくれたみたいで嬉しい。ジゼルは人気の作品だけど、子供っぽいとか、現実逃避とか。……ロマンティックバレエはこの先、バレエが好きではない人間に責められて、決定的に変わってしまうと思うの。だから、一人でも多くの人にバレエを好きになってもらいたいんだ」
 彼は少し考えた後、口を開きました。
「俺は映画にしたらいいと思うんだ。三百六十度使ってさ」
「台詞はあるの?」
 確信に満ちた顔で、彼は笑います。
狂恋夢(ポリフィリ)、観に行かない?」
 今度は私が夢を見せてもらう番です。
 既視感(デジャヴ)
 彼は何度見たのでしょう。驚くべき解像度で、私は映画を感じることができました。
 彼が私の顔色をうかがっています。
「遅くなっちゃったね。怒られない?」
「親には好きにしていいって言われてるの」
「すごいね」
 夢見心地のふわふわした声で私は誘いました。
「もう一本観に行ってもいいと思ってる」
「さすがにまずいよ」
「だって、すっかり考えが変わっちゃったんだもん。映画というステージのためのバレエ。きっと面白いと思う。ねえ、カレラ監督は他にどんな映画を撮っているの?」
「若い頃はホラーを。その後はアクションとかブラックコメディとかシェイクスピア悲劇を撮って、最近はファンタジックなゴシックホラーが多いね」
「怖い映画が好きなの?」
「だと思うけど、やっぱり果てのない闇、というか別の世界まで通じていそうな期待と恐怖を感じる作品に惹かれるね」
 嬉しくて思わず笑みが溢れます。
「私も好き。舞台で夢のような体験をさせてもらっているからかな。ホラーやダークなものにはまだまだ、幻想が残っているから。もっともっとここではない世界を感じたい。ファンタジーに溢れた恋愛作品が特に好き。ーーだからね、今日はとっても楽しかった」
 彼はうずうずしていました。
「よかった。俺はカレラ監督の映像的なアイディアが特に好きなんだ。世界観の構築がもう神がかっててさ。ちなみに監督はハッピーな映画だって撮ってるよ。友人や恋人の影響がはっきり現れる人だから。今作は脚本を描いたトマス・クレイグが『ポリフィリウスの狂恋夢(ポリフィリ)』を勧めたことがきっかけでできたらしいよ。バレエを取り入れたり魔笛のアリアをオマージュしているのは舞台で音響ディレクターをしている恋人の影響なんだって。十二年前の『トリアーメインの花嫁』も観てほしいな。振り切れた多幸感に満ちてて笑えるし、監督の印象も変わると思う」
「他にもおすすめはある?」
「いっぱいあるよ! カレラ監督作品以外もたくさん!」
「観たいな。全部」
 彼の足が止まります。
「ぜ、全部?」
「時間が許す限り全部」
 目を泳がせながら、彼は切り出しました。
「余計なことだけど、馬荒さんはバレエはもう踊ってないの?」
 私はにこやかに応じます。
「うん。練習するより、もっとバレエを鑑賞したいなって思っちゃったから」
 しばし黙って、迷って、彼は早口で告げました。
「おすすめの映画を全部見せるって約束する。だから、俺の映画に出てほしい!」
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