5夜

文字数 2,176文字

 人ではないものと対等な関係は築けません。
 たとえ恋をしても。


 火曜日も映画鑑賞です。
『スネグーラチカ』
 二十世紀初頭の雪深いロシア。
 恋をしたら死んでしまう呪いをかけられた娘、ポーリャ。
 両親が選んだのは、娘が恋に落ちることのない人生でした。
 人々を脅かすことで他人を遠ざけ、邪悪なものを好むように教育し、夫婦は徹底して不気味な生活を心がけています。
 夕飯には蹴り殺した鶏が並び、生きたまま胆汁を搾り取られる狐から薬を作り、部屋を飾るのは昆虫の死骸です。
 異性を遠ざけるため、母親は自らの顔を焼いて見せると、娘の頬を爛れさせました。
 娘は異常なくらい純真でした。傷跡をたたえる娘が自身の唇を切り裂いた時には、母親の顔がぎゅっと歪みます。けれどもすぐに笑顔を作り、賛美するのです。
 一家は森の奥深くに居を構え、母親の作った薬や生産した種を父親が行商することで生計を立てていました。農作物が育たなくなると、どこからともなく姿を現し、よく実る種を売ります。流行病のあるところ、人々は競ってよく効くその薬を買いました。魔法でわざと不作にして、薬を売りつけるのだと母親は嘲笑います。
 そこへ巡回サーカスの団員だった青年が加わります。事故によって大怪我を負った青年を、サーカス団は置き去りにしました。必死に後を追い、森を彷徨った末に彼らの家に辿り着き、ポーリャに襲われたのです。
 放っておいたら死ぬのか、すぐに殺すべきか。慎重に見定めていた両親は、青年サーシャをポーリャの従者にすることに決めました。
 幼少より父親の苛烈な暴力のもとで育ち、右足が不自由で顔は歪み、お腹には直径二センチほどの穴が背中まで通じていました。サーカスでは服で見えない穴を剣で貫くことによって不死身の人間を演じていたのです。
 サーシャは余興として腕や足を刺していたので、痛みには慣れていまし、演技もできます。事故のため右腕に力が入らなくなり、顔には醜い傷跡がのこりました。
 両親はポーリャが美しい人間や逞しい肉体の持ち主に一目惚れするような事態を危惧していましたが、サーシャなら問題がないと考えたのです。
 他に行くあてもなく、恐ろしい顔と不具の身体では、誰かに雇ってもらえる保証はありません。働く意欲があり、大変な目に遭っていながら性根も悪くなさそうです。
 こうして子供を作る能力と引き換えに、サーシャは一家の一員となりました。ゆくゆくは父親の仕事を引き継がせるのです。
 両親の深い愛情を受けるポーリャに、サーシャは嫉妬を覚えました。しかし、素直に両親の言葉を信じ、狂おしいほど純粋な加虐者に育ったポーリャの姿にサーシャは魅了されていきます。人は運命に抗える強さを持っていると感じ始めた矢先、世の中では長く続く飢饉が始まりました。
 苦しみの末、人々は飢饉の原因は森に住む魔女であると口々に叫ぶようになります。
 訪れた村で噂を耳にした父親とサーシャは急いで家へと引き返しました。
 母親だけであったなら、うまくやり過ごせたかもしれません。
 ポーリャは喜んで飢饉は私の力だと口にするでしょう。
 父親たちが家に到着すると、すでに討伐隊に取り囲まれていました。家は万が一に備え、要塞のような造りになっています。火をかける討伐隊のそばには撃ち殺された村人が転がっていました。
 父親が戦いに加わり、道を開き注意を惹きつけている隙に、サーシャは隠し扉から家へと戻ります。
 母親は高笑いし、勇ましい言葉を吐きながら、村人を牽制していました。
 駆けつけたサーシャに、母親は小声で指示を出します。
 サーシャははしゃぐポーリャの手を引き、抜け道へと引き返しました。立ち塞がる村人に、ポーリャは躊躇いなくナタを振るっています。
 父親の援護を受けながら馬車に乗り込み、サーシャは手綱を背中に回し、左手で馬を鞭打って走らせました。鞭を口に咥えなおし、左手で懸命に手綱を握り、左足で踏ん張ります。
 背後ではまるで勝っているかのような母親の台詞が響きわたっていました。
 ポーリャは荷台から身を乗り出して一層大きな歓声を上げています。
 母親の右肩が引き裂かれても、火薬に火がつけられ、瀕死の父親と村人ともども我が家が吹きとばされても、楽しんでいるのです。
 まるで死が存在しないかのように、破壊と殺しで遊ぶポーリャ。
 いつものようにポーリャに神への呪詛を求められて、サーシャは笑顔を見せます。その目には、堪えきれなかった涙が滲んでいました。
 神をライバルとみなすポーリャと、運命に打ちのめされたサーシャをのせて、馬車は暗闇へと消えていきます。 
 夜を抜け、朝靄の中を進むエンドロール。そこに彼らの姿はありません。
 私は涙を溢れさせます。
「不幸な境遇なんだけど、哀れんじゃいけないような気もするし、でもやっぱり悲しいし」
 彼は満面の笑みで、私を見ています。
「恋をしたら死ぬ呪いをかけられた春の精と霜爺の娘の童話劇が原案なんだけど、独特の脚本でさ。微細な表情の変化を捉えられるこれぞ映画っていう、役者たちの演技がとにかくすごすぎる名作。ポーリャ役のトルスタヤはしばらく天真爛漫なシリアルキラー役ばっかりだったんだよ。鮮烈すぎて。ーーアマチュア作品も含めてとにかくリメイクされまくった作品なんだ。解けない呪いなんて言われるくらいに」
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