1夜

文字数 855文字

 お母様の言葉を借りるならば、あなたの心の回廊にも魔性の者(m a r e)が走り回っているのです。 
 


 股関節がどうかしている爪先は(アン・)九十(ドゥ)度外()向き(ール)
 外股で校内を歩いていれば、話すウサギも同じ。
 階段の踊り場、すれ違いざまに私の腕をつかんだ時、彼ははじめて自分という他者に気付いたのです。
 自分でも驚きだという顔をしている彼は、私に謝りました。けれど、名乗る間もその手を離そうとはしないのです。
 バレエを観に行きたいという彼の願いに、私はしばし言葉を失ったふりをしました。
 迷惑だったかなと諦めようとする彼が、ハッとして手を離します。私は胸の前で両手をふりました。
「違うの。バレエに興味を持ってくれてすごく嬉しい。ただ、バレエは全編マイムだから、初心者がストーリーを楽しむにはあらすじを知っていた方がいいの。抽象的な作品もたくさんあるけど、物語性があった方が最初はいいかなって。ーー特に演劇性が高いのはロミオとジュリエットかな。観たいヴァーー見せ場や作品はある? 有名な白鳥の湖のグランフェッテとか、眠れる森の美女のローズアダージョとか。気になっているダンサーがいたりする?」
「あ、いや。バレエのことは全然知らなくて。……映画で、バレエダンサーの学校に通っていた俳優が出てたんだけどすごかったんだ。それで……」
「へえ、どんなストーリー?」
狂恋夢(ポリフィリ)っていう映画で。主人公は運命の人に出会うんだ。でも、ヒロインが行方不明になって、夢の中で謎を解いていくんだ。それでヒロインは世界を征服しようとする夜の女王の娘だって知るんだ。母親に抗って人間を助けたってことがわかって。俺の説明だと普通のお伽話だけど、夢の中はすごくファンタジックで、ダークで、とにかく革新的なまでに映像が最高なんだ。CGとバレエの技が融合して、ほんと信じられないくらい幻想的なんだよ」
 まるでロマンティックバレエ。
 私は彼の手を握ります。
「だったら絶対ジゼルがいい! 古い作品だけど、きっと楽しんでもらえると思う。第二幕で、主人公は死後も精霊となって踊り続けるの!」
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