第2話

文字数 1,116文字

 私にキグルミを持たせた受付嬢は何を言うこともなくデスクに戻っていくと、引き出しから青々とした草を取り出し私の目を見ながらムシャムシャと食べ始めた。


逃げなければ!

私はぼんやりとその様子を見ていたが、急に私の声が降ってきた。
その声がウサギ小屋に響き渡ると、私も逃げなくてはならない気持ちになって
その勢いのまま振り向く。
するとまた、私は動けなくなった。
 後ろの光景が溶けていたのだ。すべての色の油絵の具を視界いっぱいに広げて混ぜたようになっている。
うさぎ小屋の入り口も、私の車もいつもの道路すらもドロドロに混ざってしまっていた。
しかもだんだんそれは近づいている。
叫びが声にならない。
多分、音ももう溶けていた。


 反射的に周りを見回す。溶けた風景から薄暗いうさぎ小屋、デスクの受付嬢。すがるように私は受付嬢を見る。
 例の受付嬢は無表情で自分のキグルミの毛を引っこ抜いてはデスクの上に積み上げていた。それでも、顔は私をまっすぐ見たまま

 いつしか引き抜いた毛はデスクの上で山になり受付嬢と私の視界を隔てていたが、そんなのは関係ない。
ウサギの彼女はもう半分溶けているのだから。
溶けかけた、世界の中で着ぐるみの毛が舞う。
ふわふわふわふわ
とうとう彼女は右目だけの存在になった。

まだ、彼女は、私を、見ている…

私は自分の着ぐるみを握りしめている。
そして、私は、気がついた、

手渡されたキグルミが温かい事に。
このキグルミも顔の部分がちぎり取られていたが、あるはずのない顔でこちらをじっと見ている。

ないけど、ある

見えないけど、見える

見られている


 そうこうしているうちに、ふわふわに混じって溶けた風景がやってきた。
このままでは死んでしまう。逃げたい。
でも、逃げるところも溶けてしまった。その溶けた風景が右手の指先にドロドロと触れる。
やっと追いついた、私の声が聞こえる。
風景が手を伝って全身にまわっていく。
それは暖かく気持ちがいい。
ちょうど、ウサギを抱いているような……

 ドロドロはもう私の視界を塞ごうとしている。全身飲み込まれるのも時間の問題だ。
私は目を閉じようとしたが、もう瞼がなかった。
溶けた風景がうさぎの毛のあいだに絡みついている。私もうさぎの毛もうさぎ小屋さえもドロドロと溶けてゆく。

私が最後に見たものは、私に手渡されたはずの空っぽのキグルミが立ち上がって、自分の毛をむしりだしたところだった。

私を見ながら、

無表情で、

楽しそうに

そして、私の顔の出ている部分に毛の塊をそっと載せた。


白いふわふわの毛はシャンプーの匂いがした。


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