3話:押し付けられた人質
文字数 3,503文字
虎太郎が目覚めたときには、既に四人が目を覚ましていた。
教室には巨大な風穴が開いていた。壁一面が破壊され、床には巨大な亀裂。一見して廃墟同然であった。
しかしそれより彼の目を引くのは更なる異常な光景。この世界にいるはずのない幻想の人物が彼の目の前には鎮座していた。
「人魚?」
あまりに美しい人魚がいた。色素のほぼ抜けている髪と、ふわふわなびくドレス、いかにも人間らしい装いをしているが、下半身の鱗が夕暮れの日差しを乱反射させている。
童話の登場人物としてしかその存在を知らなかった虎太郎だが、あまりの美しさに彼は目が離せなかった。
「虎太郎くん見過ぎでしょ」
「……うっせ」
虎太郎に声を掛けたのは生徒会副会長の黒咲コウ。この学校で最も聡と接点のある人物だ。
人呼んで女版日向聡。特段聡と仲睦まじいようには知られていないが、聡が「天才」であることと対照的に、校内では「秀才」として知られている。真っ直ぐのショートカットとキツ目が特徴的。顔は良いが性格は最悪と男子たちには揶揄されている。
「にしても……なんだよこれ。なんで教室ぶっ壊れてんだよ」
「そこの人魚が言うには、あたしたちが寝てる間に会長がやったらしいよ」
「は? どうして? てかアイツ何処行ったんだよ」
「知らないよ、あたしらだって寝てたんだから。つかアンタが起きるまで人魚から話聞くの待ってたんだけど」
虎太郎はキツ目で強気の黒髪から再び人魚へ目を移す。彼はズバズバ鋭い物言いをするコウのことが苦手だった。
「人魚呼ばわりするな、ダフネだ」
「こっちも怖っ。口悪そうだな……」
「……失礼な人間だな」
呑気なもう一人が割って入って来た。
「待って、乃乃佳が当てる。クチバシないけどそいつアマビエでしょ。はい当たり」
「人魚は人魚だ」
乃乃佳は人魚から即座に全否定された。すかさず虎太郎が追い討ちする。
「桐原、お前馬鹿なんだから黙ってろよ……」
「ムキーッ! 乃乃佳は虎太郎くんほど馬鹿じゃなあああああい! 聡くんよりも学年順位二百番も下の癖に! 自分は馬鹿じゃないみたいな言い方して逃げんなこの認められたがりが! 球技大会で補欠代打の聡くんにボコボコ打たれて野球部辞めた癖に! お前なんか去勢されちまえ!」
「なんで俺の学年順位知ってんだよ! ってか自分の点数でマウント取れよ! 去勢しようとするな!」
桐原乃乃佳は頭頂部両サイドの髪飾りからひょっこり伸びた髪をこれでもと振るい、その丸い瞳をこれでもかと開いて主張するが、虎太郎はこれ以上図星を突かれるのが嫌で受け入れなかった。
彼女が家で飼う猫は虚勢しているが、その言葉もまた虎太郎にとってどれほど残酷な表現であるかということは、彼女に想像できるはずもない。
「フッ、仲が良さそうだな」
聡がその場にいないからなのか緊張が緩和していた。
ダフネにはあの日向聡と言う男が、特別この高校のなかでカリスマ的な存在感を放っているように読み取れた。
「そう見えるか……?」
虎太郎からは温度感のある反応だが、次にダフネが放つ言葉はあまりにも冷酷だった。
「
貴様ら
、死ぬぞ
」――人魚は話を盛っている訳ではない。本心でそう話していた。
「……!? 死ぬって……どう言うことだよ……」
「言った通りだ貴様らは死ぬ。あの男に乗せられたんだよ。わざわざ大層な手間を掛けてこんな場を設けたようだが無駄な労力だったな。あぁ、私が邪魔してしまったからか」
抽象的な言い方で挑発するダフネ。虎太郎の困惑をよそに、まともな言葉を返したのはコウだ。
「……なるほどね」
「なんだ」
「死ぬ、ってことはアンタが殺すつもりではないんでしょ。もしそうだったらとっくにそうしているだろうし。つまりアンタは会長にあたしたちの面倒を見るように言われたってことだ」
「察しが良いな」
「
頷きも首を振りもしないダフネだが、コウは核心を突く。
「あたしたちは何もしないと死んでしまう。アンタに助けて貰う必要がある。そしてあたしたちが死ぬのはアンタも困る。アンタは本来、あたしたちみたいな一般市民の為に会長みたいな人を殺さないとならないんでしょ」
ダフネが沈黙すると、教室の外にサイレンの音が聞こえた。それはこの教室の喧騒へ向かうパトカーの音だった。
コウはそれをわかっていたが、構わず話した。
「つまり、アンタにとってあたしたちは会長に託された人質。アンタがあたしたちを殺せないことをわかってて、会長はあたしたちをアンタに託したってことだ」
「フン、わかったようなことを」
「わかったようなこと? アンタは此処に会長から呼び寄せられたんだよ。そしてアンタはそれに気付けなかった。わかってないのはどっちかな」
あまりに勝気だが、これが黒咲コウだ。およそこの学校内外において、聡の感性を最も理解することができるのは彼女のほかにはいない。
そしてこの負けず嫌いで引けを取らない性格。女版日向聡と言う言葉をダフネが直接聞いた訳ではないが、およそそれに近い感覚を覚えていた。
「で、あたしたちの前に現れた理由はわかったとして、これからどうしてくれるの? 私たちはどうして死ぬの? まさか壊れた教室を直しに来てくれた訳じゃないよね」
「死ぬ死ぬ、ってそんな簡単に……俺は死にたくないんだけど」
「虎太郎は黙ってて」
「ご、ごめんなさい……」
虎太郎は、自己主張できる場ではないと察した。
「良いだろう、教えてやる」
ダフネはこの場にいるひとりひとりの顔へ目配せし、話し始めた。
「この世界は
ジグコード
と言う式によって成り立っている」「ジグコード?」
「あぁ。お前たちの存在や生活、人間関係等、すべてはジグコードによって帳尻が合わされている。そして異世界と言うのは、つまりプラットフォーム。各自のプラットフォームはネットワークを介して相互的に繋がっている。各世界で発生した事象は、それぞれの世界観に合わせて自動で補完され、共有される」
「なるほど。
違うハード同士でマルチプレイするゲーム
みたいなものか。ゲームのバージョンが異なるから帳尻を合わせてそれっぽく見せてるってことだ。だから七十七億人を統合したと」コウはダフネの説明を抵抗なく受け入れた。大量の異世界の知識が脳内に浸潤してきたことや、空想の世界にしか存在するはずのない人魚が目の前に現れたことから、コウの頭は既に次の段階へと進んでいた。
「喩えるとそうだ。そして、ジグコードを人間が記述しやすいように簡易化したものを
ザグコード
と呼ぶ。どちらも「アンタはこの教室へ
蓋を開けてみたらジグコードだった
。これがさっき起きていたこと?」「……そうだ」
仕方なく、と言った様子でダフネは答えた。彼女もコウと同じで負けず嫌いのようだ。
「じゃあ、会長がそんなことをした理由は?」
「ジグコードができることが多すぎて、ひとつに絞ることはできない。世界観の法則を書き換えることから、対象の人物を詳しく探ったり……フン、貴様らを見ているとわかるような気がするよ。すこし見ただけだが、報われない葛藤を抱えた連中ばかりだ」
「ふぅん、アンタもジグコードって読めるの?」
「時間を掛ければ可能だが……正直あの男は化物だな。実践経験こそなさそうだが、私が駆け付けたときには私の目的から攻撃方法まで、ジグコードから筒抜けだった。常人離れした解読の早さだったな」
「なるほど、じゃあ本題だけど……」
コウの言葉を遮って、みるが話に入って来た。
「ちょっと待って下さい。ひょっとしてそれって、お姉ちゃんを探せるってこと……?」