2話:空飛ぶ人魚
文字数 3,796文字
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
叫びたくなるのも道理。濁流のように五人の脳内に、見たことも聞いたこともない知識が、言語が、感情が舞い降りたのだ。
真っ白な閃光を浴びながら、五人の脳にはプログラムをインストールするかのように新しい情報が詰め込まれていく。
ただそれは、別の世界線の知識でこそあるものの、どれを取っても確かに自分のものであった。眼前で移り変わる広がっては消える景色が、先ほどの聡の説明を五人へ裏付ける。
「うわぁあああああああああああああああああッ! わああああああああああッ!」
高度文明、未文明、存在しない動植物、説明の付かない事象、装置、技術、歌、踊り、天候、概念、考え方、哲学、民族、人種、エネルギー、妖怪、魔獣、モンスター、およそ時代遅れと言われるものから大きく現代を飛び越えた技術の恩恵まで、様々な異世界の自分たちが汲み取って来た知識や経験が脳に浸潤する。
長く深い衝撃のなか、卒倒せずその場に立っていられたのは、聡ただ一人だけだった。
「フン」
聡にはやらなくてはならないことがあった。これほど激しい言葉で彼ら五人を駆り立てるだけあり、彼はこれから起きることについて理解していた。この後彼らの生命が危険に晒されることも、彼自身もまた例外ではないことも。
ただ聡は自らの歩みを止めるつもりはなかった。絶対の自信を持って挑んでいる訳ではないが、先に進むことだけが彼にとっての唯一の選択肢なのだ。
「さて……何処まで話が通じるか」
そう言うと、彼の右腕から煙のような邪気が放たれた。
呪いを形容するかのような紫と黒の業火が漏れ出だし、瞬く間に彼の右腕を巨大な銃口へと作り変える。
これが彼の
また、聡がこうして武器を取り出したのは、ある一人の女性の訪れを待ち構える為である。
そう、つまり彼が構えたところに
彼女
の斬撃がぶつかることも、彼のなかでは折り込み済みなのだ。「――」
物凄い音を立てて突如教室が裂けた。超巨大な刃がギロチンのように真上から聡へと降り掛かり、教室ごと切り裂いた。
包丁で練り物でも切るかのような鋭利さと、教室を切り裂くに値するだけの力強さ、思い切りのよさ。聡はこの瞬間はじめて自らを越える脅威と対峙していた。
「フン」
ただこのときの聡は、その脅威が到底越えられないようなものでもなく思えたものだった。
その証拠に、彼は真上に構えた銃身で降りかかった斬撃を受け止める。鉄骨をも切り裂いた刃と、凄まじい衝撃が聡の右腕に降り注いだ。
聡はビクともしない。ましてやそれを受ける前からその程度についても理解している。
この次の瞬間、女性が窓から飛び込んで来ることも。
「……なァッ!!?」
窓ガラスが割れて女性が飛び込んで来たコンマ数秒後、そのガラスのあった壁一面が爆発した。
聡の右腕から放たれたそれは、教室に飛び込んで来た斬撃に遜色ないほどの威力。窓から飛び込んで来た水色のドレスはフワリと翻り、その破壊の直撃を間一髪で免れる。ただ着地するほどの余裕はなく、転げるように教室の床に落ちた。
「……ッ!?」
その上で聡は巨大な銃身で容赦なく殴り掛かる。息もつかせぬ連撃だが、女性はまたもや転げながらその攻撃をあと少しのところで躱した。
どちらが冷酷非情かはさておき、聡は事前に彼女がこのような攻撃を仕掛けて来ることを予想しており、この不意打ちを完全に迎え撃っていた。
「貴様、化物め……ッ」
聡が殴った床は大きく凹み亀裂を作った。恐らく一度喰らってしまえば命はないだろう各攻撃の威力もそうだが、彼女の不意打ちを完全に汲み取り、攻撃のチャンスと転じさせてしまうのは、確かに人魚が呼ぶように化物の度量に相応しい。
「空を泳ぐ人魚か、なるほど。確かに異世界のそれだ」
聡は、彼を化物と呼ぶ人魚と対峙していた。
彼女はやっとの思いで立ち直る。その下半身は美麗な鱗で包まれていた。
「教室を壊すな。人魚が通う学校ではない」
「……貴様が言うな
化物
!」勝気な人魚は隻眼へあからさまに憤慨していたが、彼にはまだ含みがあった。
「知っているぞ。人魚のダフネ、お前の攻撃はいつもそれだ。身体の性質を変換させる能力。窓の外から目標の座標に狙いを定め、建物ごと目標に降りかかる。ご自慢の一撃必殺だが今日は手応えがなかったな」
「俺を目掛けて窓から飛び込んで来たのは、窓の外から位置を補足していたからだ。上から見ている訳ではないから、防がれてしまっては直接殺しに行くしかない。しかし焦ったな、こちらの反撃を予測していなかった。南向きの教室の窓からお前の影がよく見えたぞ」
窓の外から、素早く人魚の影が射していた。
鳥が飛んだとしか思えない瞬き、彼の隻眼はそれを見逃していなかった。
「こんな平凡な異世界に呼んでおいて最悪な出迎えだな。まさか人間風情が
「……フン」
聡は余計な言葉を交わすつもりはなかった。彼はどうすればダフネの虚を突くことができるかを定めていた。
しかし聡には幾らそれを読んだところで、勝つ算段が読めないことがわかっていた。それだけ埋めようのない実力差があったし、言わば彼にとっては勝つ必要もなかった。
一方、人魚は聡を殺すことに一切の躊躇がない。
「まぁいい。無闇に
人魚は尾ヒレで宙に跳ねる。美しい鱗がミラーボールのように輝き、教室の至るところにまだらな日なたを作った。
聡は彼女に銃口を向け、人魚の殺意に立ち向かった。
「
人魚でも捌いてくれれば良いものを
」「殺されたがっている癖によく言うなァ!」
閃光が弾けた。聡の銃身が弾き返したのは、人魚が右手に持つ鮮やかなシアンの光だ。
光が泡となって消えるとその本体が姿を現わす。三又の美しい槍は聡の銃身よりも随分と細く軽い。その割には折れも曲がりもせずに聡の銃身にぶつかった。
「――」
つば競り合いするような武器ではないが、そのような構図を作った。
ただ、聡は槍の重心を即座に読み解くと、その巨大な銃を右腕のなかに戻した。再び黒と紫の炎がダフネの目の前に噴き出ると、彼女は一瞬その視界に聡の影を見失い、彼に促されるまま勢い余ってその槍を教室の床へと突き刺した。
そして彼は人魚の腹部へ、そのまま飛び膝蹴りを喰らわせる。
「ぐッ……!」
人魚は槍を動かそうとするが、聡の左手に捕まってしまっている。
続けて黒い炎、聡が零距離から銃身を思い切り脳天へ喰らわせようと言うところだ。
「小賢しい!」
だが、人魚の尾ひれは聡を蹴り返し、聡を教室の角へ吹き飛ばした。
聡は回転して受け身を取り、勢いを殺すことで
「……貴様、案外やるな。どうして五人を巻き添えにした? 貴様の道連れか?」
「
お前が道連れだ
」聡はすぐに体制を立て直す。右腕に納めた銃身もその形を取り戻した。
彼は自分が人魚に勝てないことはわかっている。戦闘実績や魔術を使った経歴に大きな差があることも。事実天と地ほどの差がある。
しかし彼はそれを諸ともしていない。実際聡の言うように、この勝負は勝ち負けだけで判断できるものではないのだ。
「お前はこいつを殺せないだろ。
だからお前が道連れだ
」聡は、人魚のすぐ傍で横たわる明日葉みるに銃口を向けていた。
「……やめろッ」
聡が引き金を引くと再び教室が爆発した。
教室内に煙が蔓延する。なにも見えない。
人魚は自らの身体を再び組み替えて今度は盾を作っていた。
何層にも及ぶ巨大な盾。彼女のそれは聡の無慈悲な一撃からみるを守った。
「く……っ」
聡には全く躊躇がなかった。どう言う因果か人魚の知るところではなかったが、無意識に人魚の身体はみるを助ける為に動いていた。
「なにが起きた……!?」
そこに聡はいなかった。