第5話 小説新潟湊のよあけの舞台裏1

文字数 899文字

「もうひとつの唐物抜荷騒動」

天保6年1月
唐物抜荷事件の逮捕者の中に、富山町の貞三郎の手代、

清五郎と加賀藩領新川郡高月村の高田清次郎弟の清三郎がいた。

清次郎は、売薬商人の中で名が知れていた。

清次郎は、大量の唐薬種の必要を迫られて、弟に買い付けを命じた。

不正を知らなかったとはいえ、お触れは度々、出されている。

それにも関わらず、新潟で唐物を売った所持金並び売上金没収。

罰金5貫文を命じる沙汰が下された。

越後俵物請負人について

和泉屋弥兵衛は、売買の場所に、新潟の他、

出雲崎尼瀬町、石地駅(幕領)富川駅(井伊右京高領)

椎谷駅(堀近江守領)を書き上げている。

新潟抜荷関係者中心人物

廻船問屋 高橋(津軽屋)次郎左衛門

当銀座善蔵

田中屋源左衛門 若狭屋市兵衛

北国屋敬次郎 

佐藤屋嘉左衛門(附船宿)から買った商人は、薬種問屋加賀屋専助が多数

越後の小荒川村・中条村、下興野新田、

五泉の商人他善光寺、松本、高田、富山、越中、高月、上州、

一ノ宮村、商職人、売薬商。

加賀屋は、会津で、薬種を買い集める。

新潟古洲崎町庄之助へ朱16本売却している。

この朱は、会津以外にも、加賀・能登・信州へも売却された。

天保元年~7年 竹島事件

天保7年6月
第一の新潟唐物事件と結びつく別の唐物事件

石州浜田の廻船問屋浜田藩御用商人の

会津屋八右衛門が、藩財政立て直しのため抜荷を提案した。

また、朝鮮と密貿易を行った。

幕府間宮林蔵が、大阪町奉行や勘定奉行に、

注文をうながしたことにより発覚。

橋本三兵衛(藩勘定方)と共に、捕らえられて斬首(死刑)に処された。

天保9年
浜田藩も、浜田藩の廻船問屋の子、会津屋八右衛門を利用して、

竹島で抜荷取引を行い処罰された。

石州浜田藩主松平周防守、老中解任。

薩摩藩が入津する輪島には、薬種や朱が売買される。

輪島に入る薬種は、富山の茶木屋清兵衛ともろ屋久兵衛がすべて扱い、

他の唐物も、富山商人が売買する。ただし、加賀からも、

買いに来るため独占できない。

薬種も、輪島の薬種問屋の久保屋喜兵衛家を介した可能性が高い。

輪島での唐物類は、米屋喜兵衛、二杉屋久兵衛、黒瀬屋六右衛門、

尾島屋喜兵衛が売買した。茶木屋は町年寄でもあった。



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