第6話 小説新潟湊のよあけ舞台裏2

文字数 421文字

「若狭屋」についてよりくわしく‥‥

若狭屋 屋号 大塩
・おさらい
天保7年。抜荷の罪により、江戸送りとなった後、手鎖で宿預けに処された。
事件後も存続。

安政期の客 隠岐・北陸、江差など、年間30隻

天保年間の絵地図にも名がある。

若狭屋→安宅屋仁右衛門の外屋敷となる。

寛政年間、若狭屋大塩市兵衛、検断格長老となる。

他にも‥‥

天保年間の絵地図には、松浦・江口・北国といった

廻船問屋が上大川前通にある。

松浦(小説とは異なる)は、陶器屋だった可能性が高い。

ふき屋小路(上大川前通)をはさんだ坂内小路の寺の隣に、

同心詰所や奉行所があった。

主な大問屋
塩屋弥之助 弥三郎
若狭屋市平
三国屋茂兵衛
津軽屋次郎左衛門
近江屋利右衛門
櫛屋勘兵衛等

廻船問屋 株仲間より48軒に制限された。

仕事‥‥廻船の荷売買の仲立ちの口銭、荷保管手数料を売りさばく
    船頭の宿泊

越後名物 水あめと寒天でつくる「翁飴」

寛永元年創業 高橋弥左衛門 粟飴・翁飴・笹飴

※新潟の史料に基づいています。
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