第3話 明治のかぶき

文字数 1,006文字

「明治のこぼれ話」

明治の半ば。

市川団十郎が河原埼権十郎といった時分、

大先輩の坂東亀蔵に連れられてにいがたに来た際、

最初、往生院の境内に興行して、

そのあと、白山祭礼になったことから、

白山に移り、引き続き興行した。

白山礼とは、この芝居をある種類の人間が必ず、

見物するというもので、個人的には、年中行事であったそうだ。

それは、見栄を張るために、

盛飾を凝らして、古町通を練って歩く。

この見物人を普通人が見物するので、にぎやかであった。

明治のころ、歌舞伎の興行が

にいがたに来ると、歌舞伎通の上流社会の人たちが、

着飾って見物にくりだす姿を

たまたま、古町を訪れた人たちが、

ものめずらし気に眺めるといった

非日常的な光景が目に浮かびます。

当時のにいがたでは、音楽や演劇を鑑賞できる施設は

屋内ではなく、神社の境内といった

屋外に幕を張る特設会場というのが

あたりまえの時代でした。

歌舞伎役者というのは、

雲の上の存在であって、当時の人たちの間では、

知る人ぞ知るといったような

身近な存在ではありませんでした。

いまでも、関心がないと、なかなか、劇場まで足を運びません。

ですが‥‥

ひとたび、話題にのぼると、自然と目に止まるものです。

当時は、TVはないですから、おそらく、口コミや新聞で

来県を知ったのではないかと思われます。

継続は力なりと言いますが、

毎年、同じ月のころに、

同じ場所へ興行に訪れれば、そういえば、あったなと思い出す。

野外の特設会場ですから、近くを通りかかると、

たとえ、幕で中が見えなかったとしても、

なんだかの音が聞こえるわけで、見えないだけに、

よけいに、想像力をかきたてられます。

いつか、この目で見てみたい。

いったい、どんな役者なんだろう?

そんなとき、偶然、新聞記事を目にする。

市川団十郎が来ていたのかあ。

誰と? いつ、どこで? どんな演目? 様子は?

新聞には、その時の様子がわかりやすく、書いてあったりします。

ラジオで、耳にした人も中にはいたでしょう。

実際に、見物した人から聞いた人もいたでしょう。

当時の記録が、本に残っていたからこそ、

いまのわたしたちにも、その時の様子を垣間見ることができたわけです。

いままで、わたしも、何度か、ひいきの歌舞伎役者の興行が、

にいがたに来た際、観賞しに行きました。

生で、真近で、ひいきの歌舞伎役者を見れるって

早々ありませんから、

昔も今も、ときめくきもちは変わりません。

かしこ

「郷土新潟第48号」参考





















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