26.残り香

文字数 2,631文字

「あー、ひっさびさに頭きた!」

校門を出ると、いきなり友美は思いっきり伸びをして、それがあまりにも自然な動作だったから、わたしのほうが一瞬、今起きたことがまるで何かのフィクションだったかのような気がしたくらいだった。

「・・・ごめんね」

今でも、そうとしか言えなかったことを覚えている。いや、それ以外に何を言えたかどうか、今のわたしでもわからない。
そういう意味で、わたしのどこかは、あの頃をどこかで受け継いでいる。

「何で? のぼりんが謝ることなんてないじゃん? むしろあたしのほうが、好き放題言えてすっきりしたよ。まさか兄貴相手に鍛えた口が、ここで役立つなんてね!」

いつもの、屈託のない笑みで、友美が言った。
わたしが知っている、ちょっといたずらっ気のある、大好きな笑み。
だからわたしも、ようやく少しだけ、いつもの笑みを返すことができた。
スタバへの道すがらを行くうちに、いつのまにか、雲間から太陽の光が漏れ出していた。道路わきの草木に、水気がさして反射していた。

「でもね、のぼりん」

ふと足を止めて、また歩きながら友美が言った。

「のぼりんの言葉、いつかあたしにも聞かせてね。それ、信じていいし、あたしだって、信じるからさ」

その目は、とてもやさしい目をしていた。たぶん、それまでで一番。

だからわたしは、「さて、いっちょ狩りに行きますか!」と先を行く友美の背中を、足早に追いかけた。目の奥に感じる体温に、まばたきで蓋をしながら。
そしてどこかで、わたしにそんなことができるのだろうかと、空に残った雲のような、かたちにならない感情を抱きながら。

2年生になった、次の年の4月。
わたしは文系に、友美は理系のクラスに分かれた。

当然ながら、あの日のことで、わたしたちの間に行き違いや、軋轢のようなものが生まれることはなかった。ついでに言えば、立花さんたちも別のクラスになり、新しい友達からたまに聞く小さな悪評くらいでしか、その後のことは知らない。

2年生になってからは、同じく文系に進み、1年生のころから友美と一緒に友達だった中村美沙ちゃんが、「自分の復習にもなるから」と、昼休みにちょこちょこ勉強に付き合ってくれるようになった。相変わらず予備校生活は大変らしいけれど、少しは手を抜くところは抜くというか、そういうコツを身に着けたというのは、本人の談だ。かくいうわたしも、相変わらず数学はお世辞にも得意とは言えないまでも、ケアレスミスは格段に減り、相変わらず優秀とは言えないけれど、問題を前にまずひるむ、という段階はようやく卒業できていた(ように思う)。

そして、その美沙ちゃんがじつは読書好きで、彼女から試しに借りて読んだ本がおもしろくて、予備校帰りの美沙ちゃんからのLINEで、長くはないけど、よく本の話をした。ほどなくそこに友美も加わり、3人だけのグループLINEは、あのころ、わたしの小さな宝物だった。

一方、友美はと言えば、2年生になってからは予想していたより忙しいし、もともと小説はあまり読まないということで、本の話自体に深く参加する、ということはほとんどなかった。けれど、「2人のやりとりを見てるだけで楽しいよ。ていうか、たまには記号以外のもの見ないとやってらんない! 華のJK生活に(いろどり)のかけらもない! きみたち文学少女の青春がまぶしい!」と、久々に対面した廊下で、どこかのおじさんのようなことを言いながら頬を膨らませていた(というより本人がその気になれば、それこそ、その手のお誘いは引く手あまただったのだろうけど)。

ちなみに高校生活の定番、恋愛に関しては、どういうわけか、3人、いや、わたし以外の2人とも無縁といっていいほどだった。前にも言った通り、友美は愛らしい感じでありながら相変わらずの文武両道、他方の中村美沙ちゃんもロングヘアを後ろで束ねた、二重切れ長の目が格好いい、クール系美少女だっただけど。
それぞれ、遠巻きに見ている男子たちはいたけれど、やりたいことに向かって一直線に進む彼女たちの姿は、その容姿も相まって、「高嶺の花」だったのだと思う。

ちなみにわたしはと言えば、恋愛に無縁だったのもまあそうだよねというような、どこにでもいる、強いて言えば切れ長かもしれない、けれど一重の、文字通り短いだけのショートカットの、冴えない女子だった。
ちなみに今までわざわざ自分から言うのを避けてきたけど、これは今もほとんど変わっていない。大学時代に一度自分で茶髪に染めたことがあったけど、無難と思ったそれすらどこかなにかがずれているような気がしてはいた。
そのうえ女友達はともかく、当時少し距離の近かった男の子にも「ああね・・・」という、とても微妙なリアクションをされたので、次の日にはブリーチ材を買いに走る有様だった。
・・・・・・まあ、そんなことを考えると、変な迷子になるからやめるけど。

10代が過ぎるなんてあっという間だと大人は言うけれど、実際のところ、本当にあっという間だった。平日があって土日があって、勉強して遊んで。その繰り返しが、長いはずの365日をあっという間に消化していった。

あのころのわたしは、たしかに楽しかったし、もちろん何もなかったわけじゃないけど、なんだかんだで幸せだった。今のわたしの中に鉢植えがあるなら、間違いなくあのころの花が咲き続けているはずだ。
友美のいう、「かっこいい」登理になれなくても、もうどうでもいいかなんて、思えるほど。だってわたしは、わたしに向かって笑ってくれる友達がいるから。

ノートが重なり、テキストは入れ替わり、LINEのやりとりは綱らり、読み終わった小説が重なっていく。

高校2年生の秋、わたしはお年玉貯金で、木製の小さな本棚を買った。
初めて収納した本は、めずらしく3人ともが読んで、特にわたしが気に入った、ジャン=ポールディディエローランの、「6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む」だったと思う。通学電車の中で、少しずつ読んでいたのを覚えている。

つたない語彙で読み終わった直後の思いを熱弁するわたしの話を、いつもどおり二人は笑って聞いてくれていた。
「のぼりんの感想って、なーんか染みるよね」なんて、友美が言ってくれたことも。

楽しい時間というのは、あっという間に過ぎる。
そうして今、わたしはそれを、飴玉のような懐かしさと、少しほろ苦い気持ちで思い出している。

高校3年生の夏。
気づけばわたしたちの手元には、「進路希望調査」の紙があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み