1.夜

文字数 1,976文字

エンドロールが流れるなら、わたしのそれはいつ始まるのだろう。

そんなわたしは今、電灯なしの暗闇の中、便座に座って煙草をふかしている。四月の月。ぼんやりと灯りをともすそれは、それなりに綺麗だ。

わたしは、鈴原登理(すずはらのぼり)

「登理」と書いて、「のぼり」と読ませる。理解とか知識とか、そういうのが好きな親だから、そういうのを「登」ってほしかったらしい。はっきり言って、わたしからすると微妙すぎる。例えば、「鈴原みどり」とかのほうが、断然いい。

そしてそういう由来の名前を持つわたしは、理解のかわりに理性を失い、登るどころか下山のときをチクタク時計みたいに思っている。自由?そうかもしれないね。

実家時代は夜更かしするなと言われていたけど、そもそもわたしは眠りが浅いし、それで日中の活動に支障が出たこともない。だいたい夜は一時くらいには寝て、六時過ぎに布団から出る。わりと、ショートスリーパーなのだ。

夜の真っ暗に、煙草の煙で白を吐き出す。
黒と白の、コントラスト。

窓の外を、誰かがゆっくり通り過ぎた。男の人が、二人。
聞こうとしたわけではないけど、1人がやたら声が大きいので、よく響く。
仕事の話をしようとしていたら、いつの間にか上司の愚痴に変わってたみたいな、そんな感じがした。

愚痴を吐くって、効果はどこまであるんだろうね。

さすがのわたしも、それなりに気が楽になることもあるとはわかるけど、あんまり得意じゃない。

理由をそれこそ考えまくった時期もあるけど、言えないものは言えない。「言って何か解決する見込みがあるなら言うけれど」みたいな、何かの雑誌で読んだタイプ分析に書いてあった。わたしはそういうタイプだ。

そういうわたしは実際のところ、吐けなかったのか、吐かなかったのか。今になっても笑い話どころか昔話にすらならないけど、わたしが吐いたのは愚痴じゃなくて、エナジードリンクだらけの胃の中身だった。

何回かそういうことがあって、気に入っていた紺色のハンカチは、いくら洗ってもけっきょくなんか汚い気がするようになってしまって、いつのまにかただのゴミになっていた。

大卒後、運よく就職したものの、二度退職した。

わたしの現在いまの仕事は、出版社での派遣社員だ。売上のデータ入力が主な仕事だ。就業時間は、九時から十八時。もともとは週四日勤務の予定だった。

半年ほどして、業務にある程度慣れてくると、先方から、就業時間を増やせないかと要望があった。もともと「残業あり」の規則だったし、空いてしまう一日を埋める機会ができたので、むしろちょうどよかった。そういうわけで、だいたい月の半分は週五日勤務という、変則の勤務をしている。

手取りの収入は多いとはいえないけど、派遣元に断って、差し支えない程度に細々と副業もしている。余裕があるとはいえないけど、生活費で赤字が出たことはほとんどない。

貯金もまだ、当面ひっ迫するような減り方はしていない。一番大きな出費といえば、台風で停電を繰り返したあと、冷蔵庫が壊れて買い替えたくらいだ。それ以外は、そもそも煙草以外そんなに物欲がないから、今のところ差し迫った心配はない。

ただ、もっと先。三十代、四十代と考えると、具体的な未来が見えない。
理屈では、派遣ではなく、正規雇用の職に就かないといけないとわかるのだけれど。

資格でも取ればいいのではと思ったけれど、自分でどんな道に進みたいのかが、いまいちわかっていない。

仕事上のやり取りをのぞけば、人付き合いも、あまりない。というか、人付き合い自体に、いい思い出が、あんまりない。キャリアアップや結婚、出産、子育てで、何人かいた大学時代の友人とも、疎遠になっている。

わたしは娯楽に疎く、騒がしいところが苦手だ。
そのうえアルコールにも壊滅的に弱いので、飲みに誘われることもない。
そんなわたしの一日は、おおまかにいえば、家と仕事先の行き来で終わる。

たまに、副業の関係で少しばかり美味しいものを食べに行くこともあるけど、それもものすごく楽しみにしている、というわけでもない。というより、それも副業のひとつでもあるからだ。

「若いんだから、もっと楽しまないと」と、四歳上の姉の冴香さえかからは言われることがあるけど、わたしの「楽しみ」は、今のところこの夜のひとときだけで十分だ。周りからみたら、そうは思えないかもしれないけど。

吐き出した煙は、黒い背景に浮かぶ、白文字のエンドロールみたいだ。

とはいえ。

わたしは漠然と、だれの名前が載るわけでもないエンドロールが、スクリーンに映るのを待っている。終わりが来てほしいわけじゃない。ただ、どんなエンドロールに映る何かが見たいだけ。なんだか、そんな気がする。

煙の味が、少しだけ変わってきた。度数、そんなに重くないのにね。

京都のお土産みたいなかたちの半分の月は、またゆっくりと夜の雲に包まれていく。
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