叫び

文字数 2,639文字

今でもたまに思い出すのだ。
あの日、見上げた階段の踊り場、夕日に照らされ笑っていたのは誰だっただろうかと。





バスっと頭を丸めたノートで叩かれた。
俺は頭を擦りながら分が悪そうに相手を見上げる。

「物思いに耽るのもいいけど、さっさと日誌書き終えてよ。帰れないじゃない。」

不機嫌そうに俺を睨む指原。
サバサバした性格によく似合うショートカットだ。
俺はそれを見ながら小さくため息をついた。

あの子は…ロングヘアーだった……。

顔は思い出せない。
窓から差し込む夕日を背負った彼女の顔は逆光で見えなかったのだ。
でも口元が笑っていたのは覚えている。

書き終えた日誌を閉じ、指原に帰っていいよと言ったが、生真面目な彼女は職員室までついてきた。
今日は日直だった。
この日直と言うよくわからない風習はいったい何なんだろうなぁとボヤくと、指原は笑った。

「まあまあ、そう言いなさんな。これも寂しい大人になった時、いい思い出になってるかもしれないでしょ?」

「いやでもなぁ~??何か先生と交換日記してるみたいでキショくない?!これが可愛い女の先生ならまだしも、ゴリマッチョな中年だよ?!て言うか、俺ら、寂しい大人になる事決定事項?!」

「あんまり社会に期待しない方がいいって。明るい未来を夢見てると挫折するよ??」

将来の事など先の事過ぎてぼんやりしている呑気な学生の俺に現実を突きつけるように平然と言い切られる。
女子はリアリストが多いけれど、指原のそれはあまりにリアルで直視できない。

「やめて~!今からそんな夢も希望もない事言わないでくれ~!!」

「少なくとも佐藤の授業態度から行くと、あんま夢は見ない方がいいって。」

「酷い!鬼だ!!」

「じゃ、私は塾だから。」

「うわっ!勝ち組狙いめ!!」

「なんとでもお言い!」

指原はそう言ってケラケラ笑った。
言う事は痛烈だが、指原の飾らない素な雰囲気が俺は好きだった。

「じゃ、また明日ね?」

教室に向かう廊下と階段の分かれ道。
指原はそう言って向きを変えた。
夕日が差し込むそこを降りていこうとする背中に思わず声をかけた。

「……塾の後も気をつけて帰れよ。」

俺の言葉に少し驚いたように指原が振り返った。
その姿に何かが重なる。

「……何?佐藤、送り迎えしてくれる??」

そして笑った。
いつもは勝ち気な指原が、ふわっと柔らかく笑った。

ドクンと心臓が跳ねる。

でも、違うのだ。
あの子の髪は長かった。
長い髪が夕日に透けて茶色く見えたのだ。
指原はショートボブで黒髪だ。

「しねぇよ、アホ。でも物騒なニュースも多いから……。」

「ありがと。ちゃんと友達と一緒か親に迎えに来てもらってるから。」

「なら…いいけどよ……。」

俺は目を反らして不貞腐れたように言った。
そんな俺を一瞬、少し寂しそうに指原は笑う。

「じゃ、明日ね。」

「おう。またな……。」

指原はそれ以上振り向かなかった。
そのまま階段を降りていく。
俺は何となくそれを見送った。

姿が見えなくなると、大きくため息をついた。

多分、俺は指原が好きだ。
指原もまんざらではないと思うので押せばイケる気がする。

だが俺にはどうしても忘れられない人がいた。

入学してすぐ、俺は階段で一人、コケそうになった。
そんな俺を誰かがふふふっと笑った。
振り向くと、夕日が差し込む踊り場に女の子が立っていて、「大丈夫?」と声をかけてくれたのだ。
だが俺はコケそうになったのを見られたのが恥ずかしくて、悪態をついてその場から逃げ出した。

でもその子の事が頭から離れなくなってしまったのだ。
で、数日悩んでいたら友人達にどうしたのかと聞かれ、階段で見た女の子が忘れられないと話したのだ。

俺はその事を思い出しながら、ため息まじりに教室に戻ってきた。
ちょうど友人達がいて声をかけてくる。

「お~、どうした??浮かない顔だな??」

「とうとう指原ちゃんに告って振られたか?!」

「バーカ、コイツはいまだに踊り場の女の子を追いかけてて、指原ちゃんに愛想つかされかけてんだよ。」

俺の顔を見た途端、悪友共は言いたい放題だ。
俺はため息をつきながら机に向かい、帰る支度を始める。

「て言うか、その子、いまだに見つかんないんだろ??」

「見つからないっつうか…顔、覚えてねぇし……。」

「メルヘンだよなぁ~、夕日の中で微笑む女子とか。ロングヘアーだったっけ?」

「うっせえ!そうだよ!!放っとけよ!!」

「その子の事が気になって、指原ちゃんに告白できないとか~、お前、いつまでも夢見てないで現実を見た方がいいぜ?!」

「つかさ~?指原ちゃんも入学当初はロングヘアーだったよな??確か……。」

俺はその言葉を聞いて勢い良く立ち上がった。
ただならぬ俺の雰囲気に、友人達が固まっている。

「…………マジ?!」

「マジって…お前……。後ろの席だったんだから、普通、俺らよりお前の方が覚えてんだろうが??」

その瞬間、カチンと頭の中で何かがハマった。

そうだ…。
確かに入学当初、前の席の子は髪が長かった気がする……。
でも俺の前の席は、ずっと指原で……。

「…………あああぁぁぁぁ~っ?!」

俺は叫んだ。
叫んで窓にかじりついた。
指原はまだ、校庭を一人、歩いている。

俺は思い切り息を吸い込んで大声で叫んだ。


「指原あぁ~!!やっぱ!送ってくから!!すぐ行くからそこで待ってろぉ~っ!!」


俺の大声に、校庭にいた全員が振り向いた。
その中には指原もいた。
遠くて見難いが、めちゃくちゃビビった顔してた。

だが俺は鞄を引っ掴んで走り出した。
それどころじゃなかったからだ。
残された友人達が呆けていたが、知った事じゃない。





「お~、無事、合流~。」

「どうよ?!」

「怒られてる!怒られてる!!」

「愛だな~、指原ちゃん~。」

「やっとくっつくのか~。長かったなぁ~。」

「普通、気づくよなぁ~。あんだけ毎日、踊り場のロングヘアーの女の子に一目惚れしたって真後ろで騒がれてさ~?これみよがしにショートボブにしてきたんだぜ?!」

「はじめは佐藤の事、嫌ってんのかと思ってたら、むしろ照れ隠しだったじゃん?!」

「そ~そ~。めちゃくちゃ可愛いよな?!指原ちゃん?!」

「なのに気づかないとか、馬鹿なの?!アイツ?!」

「何度、こんな鈍感バカやめて俺と付き合わないって言おうと思った事か……。」

「だよな~。俺も~。」

友人らは窓から校庭を眺めていた。
その顔はちょっと悔しげではあったが、微笑ましそうに言い合いながら校門を出ていく二人を見つめていた。


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