罪と恋 [R-15]

文字数 4,153文字

今でもたまに思い出すのだ。
あの日、見上げた階段の踊り場、夕日に照らされ笑っていたのは誰だっただろうかと。




「あぁ……随分待ちかねたよ……愛しき君……。」

「!!」

私はその声にザッと振り向いた。
握られた剣は光を失っていく世界の中、それでも気高くキラリと光った。

「……攫った娘達をどこにやった?!ルスヴン卿?!」

見上げた階段の踊り場は、見事なステンドグラスが夕日に赤く輝いていた。
暮れ行く陽の光は赤く赤く、やがて赤黒く変色していく。
次にに訪れるのは夜の闇。

彼、ルスヴン卿……吸血鬼にとって、優位な時間だ。

私はギリッと奥歯を噛んだ。
日が暮れる前に見つけ出したかったと言うのに、結局はこうなるのだ。

また、彼の手の上で遊ばれた。
共に捜索に当たった聖騎士団の騎士たちの姿はどこにもない。
おそらくすでに彼の手の内に落ちているのだろう。

「どうしました?愛しき君?美しい顔が引きつっていますよ?」

それがどうしてだかなど、本人が一番理解っているだろうに、クスクスと彼は楽しげにそう言う。
ゆっくりと優雅な所作で階段を降りてくる。
私のいる玄関ホールの闇の中に、彼はゆっくり降りてくる。

「質問に答えよ!ルスヴン卿!!」

「何も答えないとは言っていませんよ?愛しき君……。ですが、まずはその不粋な剣を納めてもらえませんか?」

そう言いながら彼は美しい一礼をした。
その下げられた首を一太刀にしてしまいたかったが、まずは攫われた娘達の事を聞き出さねばならないと堪えた。

「…………あぁ……ディアナ……愛しき君……。」

「貴方にファーストネームを呼ばれる覚えはありません、ルスヴン卿!!私の事はギャリソンとお呼び頂けますか?!」

「ふふっ。相変わらずお硬いね、君は……。」

彼は優美な笑みを浮かべた。
この妖艶な美しさに何人もの女性が、いや、女性だけでなく多くの人が魅了され、その手に落ちた。
その手には乗るものかと私は強く剣を握った。
そんな私を、彼は静かに見つめる。

「……娘達はすでに開放してあるよ、ディアナ。本当の意味でね……。」

「え?!」

「彼女達は司祭に「聖なる役目」を与えられ、それを果たそうとしていたのさ。その「聖なる役目」とは、聖職者やその関係者の苛立ちをその身で受け止め慰める事だったんだけどね。」

「?!」

「まぁ、どこにでもある話さ。何もこの地方都市が狂っている訳じゃない。王都でだって、周辺の村なんかからそう言った娘や幼子が呼ばれるんだから。」

嘘だ、と言いたかった。
だが何故か言えなかった。

頭の中に、覚えのない記憶が蘇る。

父に連れられ、離れた大きな街の教会に行ったのだ。
そこには似たような年頃の女の子が数人いて、皆、「聖なる役目」に選ばれたのだと目を輝かせていた。
父は私を憐れむように見つめ、1週間後に迎えにくると苦しげに告げて帰って行った。

「………………っ?!」

突然浮かんだ覚えのない記憶。
カラン……と音を立てて剣が手から滑り落ちる。
その覚えのない記憶にワナワナと震え、私は口元を押さえた。

次の瞬間、見えた血の海。

私は嘔吐して胃の中にあった全てを吐き出し、それでも足らずに嘔吐き続けた。
そんな私を、彼は……ルスヴン卿は淋しげに見つめている。

「……思い出させたくはなかったんだよ、愛しき君……僕の小さな救いの天使……。でも君は、どういう訳か教会に全てを捧げ、聖騎士となってしまった。そうなればいつか、こういった件を調べる事になりかねないのに……。」

「……わ、私は……。」

私は何故、聖騎士になった?

混乱する記憶。
その中に見えたもの。

「!!」

暗い祭壇で1人、祈りを捧げる美しい人。
月の光に照らされたその人は、細やかな硝子細工の様に儚く、今にも壊れてしまいそうだった。

連れて来られた大きな教会の離れ。
数日間の「清め」の間に気づいたその存在。
世話をしてくれる修道士に尋ねると、少し渋った顔をした後、教えてくれた。

彼は高貴な身の上だが、代々続く繁栄の影の呪いを受け、吸血鬼になりかけているのだと言われた。
それを防ぐ為に100日間祈りを捧げ続け、決して血を見てはならないのだそうだ。
そうすれば10年間は呪いを押さえられるが、その間に血を見てしまえば悪しき存在に落ちてしまうのだと。

好奇心旺盛だった私はたまに集団を抜け出して、昼夜問わず祈り続ける彼をこっそりと覗き見ていた。
その姿はあまりに淋しげで、何かしてあげられないかと思ったのだ。

だからこっそり、彼がいないうちに摘んできた花を祭壇に置いてあげた。
そしてその花を見つけた彼が初めて笑ったのだ。

この世のものとは思えないほど儚く美しかった。

だから私は何度も何度も花を摘んでは彼の祈る離れの祭壇に置いた。

一度だけ……。

一度だけ、彼に見つかってしまった。
それはあの日の夕方だった。
小さな祭壇を出て戻ろうとした時、祭壇に行こうと2階から降りてきた彼に出くわしたのだ。

窓から差し込む夕日。
見つかってしまったと慌てる私に、踊り場のあなたは柔らかく微笑んだ。

その瞬間、私は背中に電流が走ったみたいになって、気がついたらそこを飛び出し、皆のいる大部屋に戻ってきていた。
心臓がたいして走った訳でもないのに早打ち、頬は熱くなってなかなか熱が引かなかった。
見つかったからもう行っては駄目だと言う思いと、もう一度会いたいという思いがひしめき合って訳がわからなくなっていた。

あなたに会いたい。
でも恥ずかしくて会いたくない。

私はあの時、恋に落ちたのだ。


「………………あ……。」


私の頬を涙が伝った。

そして思い出した。
その人への淡い恋心と憧れと……。

私の侵した罪を。
決して許される事のない罪を。

何故、聖騎士になったのか……。
それは封じてしまった記憶への贖罪だったのかもしれない……。

彼は何も言わなかった。

私は罪を冒した。
決して拭えない罪を。

彼を……ルスヴン卿を……私が吸血鬼にした。

あの日、それは起きた。
私はその夜もやはり気持ちを抑えられず、いつもの様に抜け出して彼の姿を見に行った。

満月の夜だった。

ひと目だけその祈る姿を見た後、見つからない様に早々と戻ってくると、信じられない事が起きていた。
一緒に過ごしていた娘達が、大人達に押さえ込まれ泣き叫んでいる。

私は怖くなって後ずさりした。

トン……と何かにぶつかる。
振り向くと司祭様が立っていた。
いや、司祭様のふりをした何かだった。
その目を見て怖くなった私が逃げようとしても、大人に幼い娘が敵う訳がない。
無理矢理、部屋に連れて行かれ、私も他の子達と同様に恐ろしくて泣き叫んだ。

大人の手がベットに放り投げられた私に伸びる。
何本もの手が伸びる。

……が、その手が私に触れる事はなかった。

代わりに何か生暖かい物が顔と体にかかった。
それが血だと気づくのには時間がかかり、そしてその間に、耳鳴りの様に聞こえてくる悲鳴は娘達のものではなく大人たちのものに変わっていた。

目の前には物言わぬ死体となった司祭様の様な何かが倒れている。
不思議と怖いとは思わなかった。

顔を上げる。

そこには血塗れの男が一人、立っていた。
いや、それはもう、人ではなくなっていた。

暗い闇に飲まれながらも、その人はやはり儚く美しかったのを覚えている。

その目から涙を流し、彼は私を見つめ、屈んで視線を合わせるとこう言った。

「朝になって人が来たら、吸血鬼が襲ってきたのだと言いなさい。そしてそれを言ったら君は眠りにつき、全てを忘れる。いいね?」

私は頷いた。
そしてその通りにした。


「……あぁ……あぁっ!!」


私は泣きながら崩れ落ちた。

彼は罪を侵した。
私を守る為に血を浴び、吸血鬼となった。

顔を上げると、あの日の様に月光を浴び、物悲しげに笑う美しい人がそこにいた。


「私は……っ!!私は貴方に!どう償えばいい?!教えてくれ!ルスヴン卿!!」

「償いなんていらないよ。だって君は何も悪くなかったじゃないか?」

「それでも……それでも貴方が吸血鬼となってしまったのは私のせいだ!!」

「君のせいじゃないよ、愛しき君……。僕の小さな救いの天使……。これは僕が選んだ事だ。」

「そんな……っ!!」

「僕はね、生まれた時から呪いを受け、それに怯え、家族からも腫れ物扱いをされてきた。この呪いさえなければ僕も愛されるんだと信じていた。だから必死に祈ったよ。でも、君が教えてくれた。呪いがあろうとなかろうと、僕を愛してくれる人はいるのだと……。それこそが真実の愛なのだと。だから、僕は僕の小さな救いの天使を守れるなら、どうなったってよかったんだ。むしろ感謝したよ。人にはない呪われたこの力が、穢れから君を守る力になったのだから……。」

「…………でも……っ!!」

「僕は人として最後に真実の愛を知った。君が教えてくれたんだ。愛しき君、僕の小さな救いの天使……ディアナ……。」

私はその時、自分の罪を償う事はできないのだと知った。
彼に背負わせてしまった運命は、決して変える事はできないのだから……。

せめて憎んでくれていれば、この身を差し出せたというのに……。

私は張り裂けるような思いに囚われ、泣き続けた。
そんな私に彼は優しく寄り添ってくれた。

「できれば、あのまま何も思い出さずに、平穏な日々を過ごして欲しかった。」

「……できない!私にはできない!!たとえ記憶がなくとも、あなたにだけ罪を背負わせ、逃れられない運命を歩かせる事など私にはできない……!!」

「だから聖騎士に?」

「ずっと何かを償わなければならないと思っていた……。それがやっとわかったのに……償う事もできないなんて……!!」

泣き崩れる私を、彼は少し強引に顔を挙げさせた。
間近で向き合う美しい人。
人ならざるものとなった今、その魅力は幼い日に見惚れた美しさの何倍にもなっていた。
こんな時なのに私はその事にぽうっとなってしまい、彼を苦笑させた。

「ならばディアナ……。愛しき僕の小さな救いの天使……。君と僕の生きる時間は違うけれど、もう一度、僕を救ってくれはしないだろうか……?」

「……何をすればいいの?」

「何もしなくていい……。ただ、君がそのまま生きていつか眠りにつくその日まで、僕の側にいて欲しい……。」

月明かりの下、美しい人が私に跪いてそう言った。

答えはすぐに出た。

それが贖罪なのか、幼い日の淡い恋心なのか、私はもう知っていた。
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