我を愛する者は我が犬をも愛す

文字数 2,650文字

俺の彼女は自慢じゃないがハイスペックだ。
冠前絶後、胸襟秀麗、知崇礼卑、故に仁者無敵。
和風慶雲そのものである彼女を恋人にできた奇跡に俺は一生、感謝するつもりだ。

つもりなのだが……。

「どったの~?むうくん??」

彼女が普段は見せない甘ったるい声で語りかける。
長く美しい指先が、少し癖のある毛に触れて優しく撫でる。

「うふふっ。可愛い~。もう、食べちゃいたい~。」

そして撫でるだけでは止まらず腕を絡め、体に顔を埋めるとぐりぐり押し付けて甘えだす。
いや、食べちゃいたいって……。
そしてその宣言を実行するようにチュッチュとあちこちにキスの雨を降らす。

く、くうぅぅ~!!

あの!あの完璧な彼女が!!
誰もが憧れる碩師名人な彼女が……!!

氷肌玉骨な顔をくしゃりと崩し、えへへと笑っている。
はにかんで高揚した頬は美しく色づき、朱唇皓歯過ぎてクラクラする。

あ~もう~~!!
十全十美な彼女が見せるオフの顔。


クッソ可愛い……。


神よ、あなたはどうしてこんなにも罪深い。
罪をおかすなと仰りながら、何故、こんなにも罪深い存在を世に送り出されたのですか?!


「…………大好き。……むうくんは……私の事、スキ??」


迦陵頻伽にも劣らぬ美しい声が甘く囁く。
声まで!声まで美しいなんて!!

尊すぎて泣けてくる……。

真剣に見つめる眼差しはほんのりと艶やかに潤み、彼女の純粋さとは裏腹に妍姿艶質さを覚えてしまう。


とはいえ、だ……。



「そうなの~!嬉しい~!!」



黄色い声を出し、彼女が抱きしめて顔を押し付けぐりぐり甘えているのは俺ではない。

俺ではないんだ……っ!!

もふもふとした長い毛に顔を埋め、彼女が幸せそうに抱きしめているのは「むうくん」。
1歳3ヶ月になるサモエド犬、俺の犬だ。
彼女に構ってもらい、むうはご機嫌でシッポをフリフリ彼女の顔やら手やら舐めまくっている。

……う、羨ましくなんか!羨ましくなんか!!

嘘です。
羨ましいです。

ずっとサモエドに憧れていて、この商談が上手く行ったら、昇進できたらサモエドを飼う!!と心に誓い、我武者羅に頑張った。
その時、直属の上司だった彼女に叱咤されながら、俺は頑張った。

そして商談を成功させ、昇進が決まったのだ。

昇進するにあたり部署異動になり、彼女とも離れる事になって、ダメ元で「今までのお礼に!」とデートに誘った。
これが最後かもしれなかったので、俺は彼女に楽しんでもらえるようにと、自分の今後の心の支えになる思い出作りにと頑張った。

そんな日の終わり。

ディナーの席でポツリと「おめでたい事なのに、ごめんね。もう部下でもなければ部署も違うと思うと、なんか寂しくなるわ……。」と彼女が呟いた好機を逃さず、俺は玉砕覚悟で告白した。
吊橋効果的な事もあってか、彼女は「とりあえず、3ヶ月は試用期間ね?私の採点は厳しいわよ?知ってるでしょ?」と奇跡的にOKしてくれ、俺と彼女は恋人(試用期間)となったのだ。

商談を成功させ昇進し、ずっと憧れていた雲中白鶴な彼女と恋人になれ、そして長年の夢であったサモエドの子犬と暮らし始めた俺は、この世の幸せの全てを手に入れた様な気がした。
そしてその心満意足な生活がこれからも続くのだと思っていた。

しかし……。


「うふふっ。むうくん、可愛い~。好き好き大好き~!!」


俺の横にいる彼女は、愛犬にベタ惚れだ。
俺にだって見せないような顔で甘ったれた声を出し、イチャイチャしている。

「むうくんのいない世界なんて考えられない……。むうくんがいなくなったら、私死んじゃう……。」

ええと……あなたは俺の彼女で……むうは俺の愛犬なんですけど……??

ここ最近、むうと俺と彼女の関係に不安を覚える。
「俺と彼女+むう」ではなく、「むうと彼女+俺」になってしまっていないだろうか??これは??

いやいやいやいや!!

彼女は俺を好きだ。
俺と付き合う前から俺の事を思ってくれていたんだ!!
だから大丈夫なはずだ!!

あの後、3ヶ月試用期間と言っていたが、なんだかんだ蓋を開けてみれば、彼女も一生懸命な俺を憎からずと思っていたそうで……。
ただ自分は上司という立場にあったし、年上だしと気持ちを律して俺と接し、笑顔で送り出すつもりでいたのだそうだ。

落花流水。

実は想い想われていた俺達は正式に恋人同士になり、お互いの家にも行き来する仲になったのだが……。

俺の家に遊びに来た彼女は、一目見るなりむうの虜になってしまった。
そして家デートが多くなり、出かける時も三人で行ける場所に出かけ、平日もうちに泊まる事が増え、今やほぼ同棲している。

正直、むうに妬いてしまうところもあるけれど、こんなにもむうを大事に思ってくれる人もいないと思う。
何しろほぼ、子犬の時から二人で育てたようなものだし。
俺はこの中途半端な同棲をそろそろどうにかしようと思っていた。

「リサさん?なんか最近、首輪に毛が絡まって痒がるんだよね?外してちょっとよく見てあげてくれる??」

「任せて~。むうくん、ちょっとお利口にしてて~。」

駅まで彼女を迎えに行ったばかりだったので、首輪はまだついていた。
と言うか、わざと外さずにいた。
彼女が外せば気づくと思って仕掛けたのだけれども、出張帰りでむう不足に陥っていた彼女は首輪を外す前にもふもふ充電を始めてしまった。
むうの事を任された彼女は意気揚々ともふもふの毛をかき分けだす。
そして「……え?!」と声を上げた。

「……え?……え?!」

「見つけた?」

こちらも恥ずかしくてチラ見すると、外した首輪と何かを手に、素っ頓狂な顔を真っ赤にさせた彼女がコクコクと頷いている。
俺はじゃれてくるむうを撫でながら真っ直ぐに彼女に向かい合った。


「……俺の気持ちに応えてくれてありがとう。むうを愛してくれてありがとう。俺はこれからもリサさんとむうと一緒にいたいです。……結婚して下さい。」


愛屋及烏。
我を愛する者は我が犬をも愛すと言うけれど……。

俺の場合、「犬」の部分が俺なのかむうなのかちょっとよくわからないけれど、彼女が俺とむうを心から愛してくれている事は誰よりもよく知っている。


「え?!えぇ?!私?!私でいいの?!」

「リサさんがいいの。他の誰かなんて嫌だよ。そうだよな?むう??」


俺の声に応えるように、むうは満面の笑みで何度も前足でちょんちょんと「構って」と彼女にせがんだ。
手の中に小さなメッセージカードと指輪を握りしめ、珍しく挙動不審になってあわあわする彼女を、俺はむうごとぎゅっと抱き締める。

一樹百穫。

これから幸せがたくさん増える事を願って、俺は二人にキスをした。
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