第64話 希望

文字数 3,071文字

 小太郎が死んだ。
 大好きだった大切な家族。
 飼い主に捨てられた小太郎に、私は自分自身を重ねていた。そんな気がする。
 ずっと一緒にいたかった。
 突然の別れは、本当に辛かった。

 亜希ちゃんが死んだ。
 初めて出来た友達。
 転校して不安だった私に、彼女は気さくに声をかけてくれた。
 彼女の笑顔にほっとした。本当に楽しい日々だった。

 おばあちゃんが死んだ。
 いつも優しかったおばあちゃん。
 私に温もりを与えてくれたおばあちゃん。
 もっともっと話したかった。傍にいて欲しかった。

 玲子ちゃんがぬばたまだった。
 私を壊そうとしている彼の仲間だ。
 それはある意味、私の中にあった何かを壊した。
 信頼という絆を。

 彼女は、私が壊れることを望んでいる。
 悠久の時を共に過ごした仲間と、数か月足らずの友達。
 彼女がどちらを選ぶのか、考えるまでもない。

 彼女はずっと、傍で私を監視していた。
 私を壊す為、幼馴染の命ですら犠牲にすることを(いと)わなかった。
 それ以上に大切なことがあったから。
 ぬばたまという種族の血を絶やさない誓い。
 彼女にとって、それが全てなのだ。
 その決意には敬服する。
 でもそれでも、彼女に裏切られたという事実に変わりはない。
 信じてたのに。大好きだったのに。
 生まれて初めて感じるこの苦しみ、私は生涯忘れることはないだろう。




 大切なものが消えていく。
 こんなことなら、最初から出会わなければよかった。
 こんな気持ち初めてだ。
 喪失感。
 最初から孤独なら、こんな思いをしなかった筈だ。
 みんな、私に温もりを与えてくれた。幸せというものを教えてくれた。
 それを失った今、私は暗い闇の中に落とされたようだ。

 そんな私が、どうしてまだ絶望していないのか。
 その答えが今、目の前にあった。




「大丈夫? なっちゃん」

 勢いよく(ふすま)を開けた春斗が、テーブルを挟んで座っている奈津子と玲子を交互に見つめ、複雑な表情をした。

「……あれ? ひょっとして僕、変なタイミングで帰ってきた?」

 二人の雰囲気に戸惑いながら、春斗が苦笑いを浮かべる。
 その仕草に、奈津子も笑みを漏らした。

 そうだ。私には春斗くんがいる。
 彼だけが、私を真っ直ぐに見てくれた。
 どんな時でも、私の心に寄り添ってくれた。

 大切な幼馴染。
 そしてきっと、私の初恋。

 彼がいる限り、私は大丈夫だ。
 どんなことだって耐えてみせる。
 奈津子が春斗の隣に立った。

「大丈夫だよ。春斗くんこそ、こんな大雪の中、私の為にありがとう」

「ごめんね、黙って行っちゃって。ぐっすり眠ってるなっちゃんを、起こしたくなくて」

 そう言って、ポケットから頓服薬を出した。

「その様子なら、もう必要ないかもだけど。これ」

「ありがとう、春斗くん」

「それで……この人は誰なのかな」

 春斗の問いに、玲子が微笑み立ち上がった。

「初めまして。私は奈津子の友達で、和泉玲子と言います」

「玲子さん……ああ、なっちゃんが言ってた人だね。玲子さんもなっちゃんが心配で? こんな雪の中、大変だったと思うけど」

「ふふっ、ご心配なく。これでも地元の人間ですので、この程度の雪なら何とか」

「そうなんだ、すごいですね」

「春斗くん、その……」

 奈津子がそう言って、玲子から春斗を遠ざける。

「どうしたの、なっちゃん」

「春斗くん。私が言ってたこと、覚えてるかな」

「なっちゃんが言ってたことって……ぬばたまのこととか?」

「うん、そう。そのことで今、玲子ちゃんと話をしてたの」

「そうなんだ。それで、何か分かったことでも」

「……彼女もぬばたまだったの」

「……それってどういうことかな。意味が分からないんだけど」

「玲子ちゃん。春斗くんに説明したいんだけど、いいよね」

 強張った顔でそう言った奈津子に、玲子が微笑んだ。

「ええ、勿論よ。と言うか奈津子、そんなに怖い顔しないで。大丈夫よ、何もしないから、ちゃんと説明してあげて」

「……ありがとう」





「……何だかすごい話だね。まるで映画みたいだ」

「信じられないのは分かってる。でも、本当のことなの」

「僕はなっちゃんを信じてる。嘘を言ってるなんて思わないよ」

「ありがとう、春斗くん」

「それでどうする? この人を警察に引き渡せばいいのかな」

 玲子の前に進み、春斗が表情を引き締める。

「警察に話しても無駄だと思う。こんな話、信じてくれるのは春斗くんとおじいちゃんぐらいだよ」

「確かにそうだね。でもこれ以上、なっちゃんを苦しめるのは僕が許さない。彼女の口から、もうなっちゃんに何もしないって言わせない限り、僕も引く訳にはいかないよ」

「春斗くん……」

「ふふっ」

 立ちはだかる春斗、寄り添い安堵の表情を浮かべる奈津子。そんな二人を見つめ、玲子が笑みを漏らした。

「何か……おかしかったかな、玲子ちゃん」

「いえ……おかしかった訳じゃないし、馬鹿にしてる訳でもないの。そんな風に感じたのならごめんなさい。そうじゃなくてね……何て言ったらいいのかしら。二人を見てると、本当に信じあってるんだなって思ってね」

「なっちゃんがどう思ってるかはともかく、僕はいつもなっちゃんのことを一番に考えてる」

「いいわね、そう言うのって。何物にも侵されることのない信頼関係」

 そう言って、もう一度笑った。

「……玲子ちゃん、どうしてそこで笑うんだろう」

「そうね……さっきの話に戻るんだけど、私たちは誰の力も借りず、自分の力だけで人間との戦いに挑む。例え消えることになろうとも、それは自分が弱かったからだと受け入れる。そう言ったわよね」

「……言った」

「でも私は、色んな助言をしてきた。励ましてもきた」

「ええ」

「そして今、ぬばたまの情報を余すことなくあなたに伝えた。これって、彼からすれば不公平極まりないことだと思う。現にあなたも、さっき私にこう言った。『それを話すことで、あなたたちに何の得があるの?』って」

「それがどうかしたの」

「覚えてない? 私、言ったわよね。私たちの戦いは、フェアでないといけないって」

「だから! 何が言いたいのよ! 遠回しに言わないで、はっきり言ってよ!」

 奈津子が苛立ちのあまり声を荒げる。

「この戦い……最初から奈津子に、勝ち目なんてなかったのよ」

 そう言って春斗を見つめ、微笑んだ。




 その微笑みに、奈津子の全身の血が凍り付いた。
 玲子が言った言葉が蘇る。



「今の状況、どう見てもあなたが不利だから」



 私にとっての最後の希望。
 私の心の支え。それが春斗くんだ。
 もし春斗くんがいなくなれば。
 きっと私は絶望する。壊れてしまう。

 そして今。
 この部屋には、二人のぬばたまがいる。

 ぬばたまは、宿主である私に危害を加えることが出来ない。
 でも春斗くんは別だ。
 ううん、違う。
 私を壊すのに、今は最高の状況だ。

 奈津子が春斗を抱き締めて叫んだ。

「お願いやめて! 春斗くんには……春斗くんには何もしないで!」






 春斗が奈津子の手をそっと握る。

「……ありがとう、なっちゃん。僕なら心配ないから」

 そう言って奈津子から離れる。

「春斗……くん……」

 玲子はまだ、春斗を見つめて微笑んでいる。

 春斗は大きく息を吐くと、乱暴に頭を掻きむしった。

「やっぱり……そうなっちゃうのか……」

 そう言って、ゆっくり奈津子に視線を移す。

「春斗くん……どうしたの……」

 春斗はじっと奈津子を見つめている。

 その瞳には。

 憐憫、苦悩、哀しみ。

 様々な感情が宿っていた。





 奈津子が首を振り、後ずさる。

「そんな……まさか、まさか……春斗くん……」

「そうだよ、なっちゃん……僕も……ぬばたまなんだ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み