第40話 死の意味

文字数 2,259文字

 家に戻った奈津子は、居間で宗一と向かい合っていた。

「こんな時にする話じゃないと思う。じゃが……今しないといかんような気がするんでの、すまんが少し付き合ってくれ」

 宗一のこんな表情を見るのは初めてだった。

 正直に言えば、一人になりたかった。
 頭の中は相変わらず混濁していて、何も考えることが出来ない。
 複雑に絡み合い、ほどけなくなった糸と、何もない大きな空洞。それが今の自分の心だった。

 今出来るのは、いつもと変わらない生活を続けることだけ。
 体に染みついた習慣なら、何も考えずにこなすことが出来る。
 そう思い、帰宅してすぐに部屋に戻り、教科書を開いた。

 そんな時に宗一に声を掛けられ、正直戸惑った。
 しかし拒めなかった。
 今拒んでしまったら、自分がまだ父の支配下にいるような気がしたからだ。
 私が今生きているのはこの場所なんだ。
 逃げたくない。拒みたくない。
 それがどれだけ困難なことであっても、もう後戻りしたくない。
 そう思った奈津子はうなずき、居間に向かったのだった。




「……ちゃんとお別れ出来たか」

 湯飲みに口をつけ、宗一が静かにそう言った。

「うん……本当はね、もっといっぱい話したかったんだけど……それは私の我儘(わがまま)だから、早く済ませないとって思って。でも……ちゃんとお別れ出来たよ」

「そうか、それならいい。じゃが……前にも言ったがの、お前はちょっと、年の割にそういう気を使い過ぎるところがある。たまにはな、もっと自分を出していいんじゃぞ」

「分かってる……分かってるよ、おじいちゃん。時間はかかるかも知れないけど、少しずつ、ね……変わっていけるよう努力するよ」

「……奈津子は……死というものを、どんな風に考えてる?」

「……」

「すまんな。さっきも言ったがこんな話、今することじゃないのは分かってる。じゃが、お前は聡明な子じゃ。わしが伝えたいこと、受け止めることが出来ると思っての」

「……ありがとう、気を使ってくれて。でも、大丈夫だよ。そう思ったからここに座ってる訳だし」

「お前はかしこくて、本当に強いな」

「そんなこと……私は弱いよ。だから今だって、おじいちゃんに甘えたいと思ってるんだし」

「それでいいんじゃ。それは弱さじゃない。そういうやつこそが、本当に強いんじゃよ」

「死について、だよね」

「ああ。お前ぐらいの年の子供は、そういうことをよく考えるものじゃ。命って何だろう、死ぬってどういうことなんだろう。自分もいつか死ぬんだろうかってな」

「……」

「わしも子供の頃、そういうことを考えてな、眠れんようになったことがある。まあ、考えた所でどうにもならんのだがな。結局のところは、死ぬまで分からんのじゃから」

「そう……だね……」

「命っつうもんは死んでからも続くのか。生まれ変わりは本当にあるのか、死んだら今の記憶はどうなるのか……そんなこと、死んでみないと分からんことじゃ」

「うん……」

「じゃがな、分からんにしても、そういうことを一度は考えるべきじゃとわしは思っとる。死を考えるということは、生きることを考えるのと同じじゃからな」

「そうだね……」

「奈津子はどうじゃ? 死をどんな風に考える?」

「私は……全ての人に平等に訪れるもの、それが死なんだと思う」

「なるほどな、確かにその通りじゃ」

「どんなにお金があっても、どれだけ力を持っている人にも死は訪れる。それだけは絶対で、誰も抗えない」

「そうじゃな。じゃから宗教なんてものが存在するんかもしれん」

「宗教?」

「どれだけ科学が進歩しても、どれだけ人間が進化しようとも、死からは逃れられん。神さんや仏さんがほんとにおるか、それは分からん。じゃが間違いなく、わしらより遥かに大きな、偉大な力は存在する。それは宗教という形でしか表現出来ないんじゃ。少なくとも、今のところはな」

「確かに……そうかもしれないね」

「亜希ちゃんが死んだ。それは事実じゃ。あの子には二度と会えないし、話も出来ん」

「うん……」

「それだけを見れば、あの子が死んだことに間違いはない。じゃが、わしはこう思っとるんじゃ。
 お前たちの中で、まだあの子は生きておると。そうじゃないか?」

「……」

「人がこの世から消えるのは、思い出す人間がいなくなった時なんじゃよ」

「おじいちゃん……」

「本当はこの話、丸岡の(せがれ)が死んだ時にしようと思ってた。じゃが……すまんな、きっかけを作ることが出来なくて、お前が一番辛い時にすることになってしまった」

「そんなことないよ。おじいちゃんが言ってること、すごく心に響いてるから」

「奈津子……」

「その通りだと思う。亜希ちゃんは死んでしまった。でも、この世界からいなくなった訳じゃない。私の中にも、玲子ちゃんの中にもいる。まだ亜希ちゃんはいなくなってなんかいない」

「やっぱりお前はかしこい子じゃて」

「まだ……ね……亜希ちゃんのことを考えたら辛いんだ。ほら、ちょっと思い出しただけで私、涙が……溢れてきて……
 でも……それでも勇気を出そうと思う。負けないようにしようと思う。私たちが亜希ちゃんのことを忘れたら、本当に亜希ちゃんが消えてしまう……そんなのは嫌だから。
 亜希ちゃんにいっぱい元気をもらった。何より亜希ちゃんは、私にとって初めての友達だった。だから……私は亜希ちゃんのこと、絶対に忘れない」

 そう言った奈津子を見て、宗一は目尻の皺を深く刻んで微笑んだ。

「なら……あの子はまだ死んじゃいない。お前が覚えている限り、あの子はいつまでも、お前の中で生き続けるさ」

「うん……ありがとう、おじいちゃん」
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