第9話 ざまぁ、DV男 ーおき持ちは分かりますが不適切ー

文字数 2,937文字

 キティを抱えた私を見兼ねたのか、奈津子がダンボール箱の中に入れずに予め除けておいてくれた、私のお気に入ハイブランドのペーパーバッグを押し付けてきた。
「ほぃ、その娘いれてやりな。
 そんでここ出たらお風呂入れてあげなきゃね」
「うん」
 そう返事したら、何だか分かんないけど涙がワッ、と、流れ出た。
 この娘は腕に抱えるにしてはボロボロ過ぎる。
 そう言えばキティを綺麗にしてあげるどこじゃなかった。
 毎日、毎日、ボコられて、んな余裕なんてなかったから。
 全部、全部私のせいだ。
 そうやって考えたら涙が止まんなくなった。
 雪乃が頭をポンポンしてくれた。
 で、気が付いたら雪乃の胸に顔を埋めて泣いてた。
 暫く泣いた後、「ごめんね」ってキティに言ってからペーパーバッグの中に入れてあげた。
 でもごめんねはキティにだけじゃなくて、私にも私として言ったんだ。
 もう二度と戻らない。
 怖がってばっかで、そんで死んでしまいたいとかたまに考えてた自分とさよなら。
 眼の前に差し出された奈津子の手には、ハンカチが握られてた。
「私も好きなんだ。
 この娘好きじゃない女子はいないっしょ」
 涙で滲んだ視線の先では、大好きなキティがハンカチの中から私を励ましてくれてた。
 ハンカチの中にキティは一杯居た。
 がんばれって言ってくれてるような気がして、何か勇気が湧いてきた。
 やっと涙が止まると、またも玄関のチャイムが押された。

 ピンポーン。

 ガランとなった部屋に響いたせいか、何か今までの音と違う感じがした。
 何か待ってましたって、私に順番が廻って来たような。
 モニターを覗き込むと、さっきの買取業者のおじさん達とはまったく違うグレーのスーツを着て眼鏡をかけた女の人と、その人の後ろに立ってる何か黒いスーツ着たイカツそうな男の人。
 もしその人にナンパされたとしたら、走って逃げるっきゃないタイプの短髪のお兄ぃだ。
         ー28ー

 奈津子が私の肩越しにモニターを見ながら言った。
「あっ、司法書士の先生とボディガード、じゃなくて、事務員に見えない事務員さん。
 入って貰って」
 
 司法書士の先生は部屋に入って来て直ぐに賃貸契約の解約申請書と、管理会社への鍵の引渡し関係の書類を私に手渡した。
 テーブルや椅子なんかも何も無い引越し前のこの部屋が、さっきまで馬鹿男にボコられてた部屋ってのが何か信じらんない。
 でも先生の言った言葉でボコられてたときのことをまた思い出す。
「穴が1・2・3・4・5・6・7、と、7箇所ありますね。
 引渡し時に修理代を請求される可能性もあるので、その分を換算して10万円ほど余分にお預かりできますか。
 余った分は退去手続きの代行後に、総て精算してお渡し致しますから」
 私は司法書士報酬を含めて先生に30万を渡した。
 その中に示談金も入っている。
 私はたまらなくなって先生に訊いた。
「先生、示談金って何で私が払うんですか。
 DV受けたの私なんだけど」
「いい質問です。
 では、逆に私からお訊きしますが、早馬優斗に損害賠償を請求したとして支払能力があると思いますか。
 また仮に裁判所命令が下ったとして、早馬優斗が賠償金をきちんと支払うと思いますか」
「思いません」
 ふてくされるように言ったのに先生はお構いなしに続ける。
「宜しい。
 そんなことをしたら逆に少し待ってくれないかとか、もう一度貴女に会わせてくれとか言ってこないとも限りません。
 ですが少額であってもこちらから示談金を渡して誓約書を取れば、貴女に危害を加えることは勿論、電話、手紙、メール、ライン、な
ど如何なる方法を以てしても貴女に近付こうとした時点で、加害者である早馬優斗が貴女に暴行を加えた際の動画などの証拠と共に、裁判所に提訴することになります。
 しかし一銭も払わないでは幾ら元が貴女のお金であると言っても、勝手に所持品などを売り払ったことを捻じ込まれたら貴女が不利になります。
 何よりこう言った早馬優斗のような人物の場合、一銭も持たさないで叩き出せば大概は逆恨
          ー29ー



みしてくるものです。以上」
 私は無言で肯いた。
 良くは分からないけど、何か説得力があったからだ。
 それに銀縁の眼鏡は信用出来そうだから。
 だから私は先生から渡された書類に署名捺印する決心をした。
 テーブルも無いし床の上で署名捺印って始めてのことだったけど、何か自分が自由になれる証明書に署名捺印した気分になった。
 立ち上がって署名捺印した書類を先生に手渡した。
「ではその他ご質問などは何時でもお受け致しますので、メールでも電話でもお好きなときに何時でもどうぞ」
 先生の言葉に今度は自信を持って言えた。
「先生私さっき売っ払ったんで、スマホ持ってません」
 そう言うが早いか奈津子がバッグからスマホを取り出して、横から渡して来た。
「はい私のお古だけど、さっきSIMカードだけ抜いてこれに入れといた。
 私からの選別。
 あんた新しい人生に旅立つ訳だから。
 DV男のはさっき抜いてトイレに流しといた」
 スマホを受け取った私のホッペは、その後急に冷たくなった。
 涙が止まらない。
 何でって奈津子のくれたお古のスマホには、キティでめっちゃデコってくれてから。
「あっ、そのキティをデコったのは雪乃だから」
 私は奈津子の言葉を聴いて二人の手を取った。
「二人共ありがとう」
 そう叫ぶように言った私がワンワン泣いていると、先生が締め括りの言葉を投げ掛けてくれ。
「良かったですね、これで連絡が取れる。
 それでは遥さん。
 最後に早馬優斗に何かメッセージがあれば」
 そう言った先生の直ぐ後ろに、どう見ても事務員さんに見えない短髪のイカツいお兄ぃが馬鹿男を抱きかかえて立っていた。
「まだ起きていませんし、うちの事務員が居るから大丈夫です。
 手紙でも宜しいですし、口頭で私からお伝えしても宜しいのですが、結束バンドも外したことですし、今起こしてみますか?」
 私は即首を左右に振った。
 そのときちょうどリビングの姿見が眼に入った。
 元々入居したときから備え付けられている。
 昨日出勤だったからバッグには口紅が入っていた。
         ー30ー

 今時の女の子だから普段はグロスだけど、仕事中はグロス禁止。
 グロスが使えないから口紅を持っているのだ。
 私はそこまで行って、姿見の鏡に口紅で、「サヨナラ」、と、だけ書いた。
 私が満足げにその字を眺めていると、雪乃が近寄って来て私から口紅を取り上げた。
 したらその横に、「今度近付いたら殺す」と書いた。
 雪乃と顔を見合わせて笑っていると、奈津子も後ろから笑ってくれた。
 したら先生が近付いてきて、「お気持ちは分かりますが、不適切です」、と、言って雪乃の書いた、「今度近付いたら殺す」の「殺す」の部分をハンカチで拭き取って、その上から雪乃から取り上げた私の口紅で、「提訴します」に書き直した。

         ー31ー
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