第11話 選ばれし者

文字数 2,231文字

「Hola!(オラ!)」

 声の方を()(あお)ぐと、サボテンの丘に()い茂るアロエの中、そのひとつに見紛(みまご)うおじさんが一人、こちらに笑いかけていた。
 使い込んだ麦わら帽の下の日焼けした顔、アースカラーあるいは土埃(つちぼこり)に染まった渋い服。見事な保護色である。その方向を何度も見ていたはずなのに、まったく気付かなかった。突如サボテンのなかから現れたとしか思えない。まさにサボテンあるいはアロエの精。見とれる私たちに、さらに声がかかった。

「アロエ、知ってるのか」(身振(みぶ)り付きのおじさんの言葉は、意味のとれた範囲(はんい)で日本語訳しています)

 おじさんは顔中を(しわ)にして笑っている。私たちが彼の(たぶん)アロエで盛り上がっていたのが(うれ)しかったようだ。

「オー イエス」
 私たちは自分たちがアロエについて知っていることをなんとか知らせようと、アロエを指さし、自分を指さし、うんうんと(うなず)いた。火傷(やけど)()くんだったっけ、と思い出し、腕に()仕草(しぐさ)をしてみせたが、伝わったかどうかは定かではない。そこでなんとなくそうしたほうがいいような気がしてスミ子を引っ張り、二人して笑顔でアロエに顔を近づけ、それに対する親近感を表現した。
 するとおじさんはさらに(しわ)を深くした笑顔で(うなず)くと、次に、このように解釈(かいしゃく)できる仕草(しぐさ)をした。

「そうかそうか。アロエ好きか。
 な、アロエ、食べるか」

——おじさんは笑顔のままである。こちらも笑顔である。そのまま沈黙(ちんもく)がおりた。唐突(とうとつ)なおじさんの(さそ)いに、私たちは戸惑(とまど)った。食べるかとおじさんはジェスチャーを繰り返した。アロエを()して口にあ~ん。
 本気だ。


「あれ、すごく苦いんじゃなかったっけ」

 私は幼い頃、昭和庭先的ヤツの、あの真ん中の透明なゼリー部分がとても美味しそうだったので、かじってみたことがあるのだ。記憶では、非常に(にが)かった。もう一度体験したくなるような味ではなかった。
 さっき示した親近感が裏目に出てしまったのか。でも、おじさんはきっと好意で誘っているに違いない。見た目はお母さんの(にが)いヤツだけれど、ひょっとしたら、このアロエは品種改良とかされていて、食用(しょくよう)なのかもしれない。そういえば、さっきのレストランにはサボテンのステーキがあった。ここのアロエもいずれメニューに加わる途上にあるのかもしれない。

 とにかく、もうおじさんは手近(てぢか)なアロエをむしり始めているのだ、後には引けない。気軽(きがる)(すす)めるところをみると、もしかしたら、おじさんはここを通る人があるたびに、こうしてアロエを試食させているのかもしれない。それならまさかショック死するなんてこともないだろう。
 だが、おじさんがトゲトゲのアロエに道を(はば)まれてこちらに()りてこられず、途中(とちゅう)でもがいているのを見て、そのわずかな希望は打ち(くだ)かれた。日常的に(すす)めているわけではなさそうである。
 なら、なぜ私たちはまたしても選ばれてしまったのか。
 引っ掛かっていたアロエを頑丈(がんじょう)そうな長靴で蹴散(けち)らすと(いいのか)、おじさんは満面の笑顔で、私とスミ子にアロエを差し出した。食べやすいように、皮をめくってくれてある。

「さあ」
とおじさん。
「はぁ、サンキュー、あ、グラシアス」
 気の抜けた返事をした後、私はおそるおそる緑の皮の中に透明に輝くゼリー部分に口をつけ、ちょっとだけかじ……ろうとはしたのだが、舌が触った瞬間にあのにがぁーい刺激が全身を走り抜けたので、かじり取ることはせず、そのまま(かた)まった。品種改良なんてどこにもされていない。
 おじさんは熱心にこちらの表情を観察している。スミ子は、とみると、幼い頃かじってみた経験がないとみえ、ちょっと疑るような顔をしていたものの、思い切りよくかぶりついた。



……悲劇である。たとえようもない悲劇である。アロエを生で味わったことのある者にしか、あれを思い切りほおばってしまった場合の悲劇性は想像できまい。
 そして、おじさんは、大笑いした。被害の少なかった私も笑った。つられて相方(あいかた)も泣き笑いした。めでたしめでたし。





「なんでこんな目に合わなあかんねん」
水を求めて走った後、スミ子は憤然(ふんぜん)と握り締めていたアロエを投げ捨てた。これだけヒドイ目にあいながらなお、おじさんから見えないところに来るまで握り締めてくるあたりが小心者である。

 ちなみに、お母さんが庭先で栽培(あるいは勝手に増殖)しているのは(にが)みの強い「キダチアロエ」で、ヨーグルトなんかに入っているのは、ほぼ茎がなく肉厚の「アロエベラ」だそうだ。同じ名前でも、だいぶ方向性の違うアロエたち。
 (のち)の写真検証の結果、おじさんが(すす)めてくれたのは、完全にお母さん寄りアロエの一種だったことがわかった。なぜ(すす)められたのかは、やはりわからなかった。



 その後、遺跡に辿(たど)り着けたかどうかは、私の思い出の中ではもう、どうでもよくなっている。メキシコの強烈な思い出は、ほぼ(すべ)てサボテンとアロエにもっていかれてしまったのだ。ありえないくらいのアロエの思い出(ちょっとうまい)。
 アロエについて学習したスミ子も、ひとまわり大きく、たくましくなった。私たちは常に成長を続けるのだ。
 


 さあ、世界はまだまだ広い。次は誰が、何をお(すす)めしてくれるだろう。
 スミ子と私は、今日も本屋でガイドブックを立ち読みしている。

                                      
                                      
                 END

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

私 バッグは斜めがけ派 24才

スミ子 ヒョウ柄水着の似合う女 23才

エリックもしくはトーマス 28くらい


ペドロ ロペス サンチョパンサ およびメンドーサ 4人合わせて200才前後

サボテンの精 あるいはアロエおじさん 年齢不詳

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み