第2話 金髪美人の取り扱い
文字数 2,691文字
人気のこの花火工場は、いつも満員御礼状態のようだ。
ただいま満席です、と言われ、名前をウェイティングリストに書いてから隣のバーで待つよう指示される。
——? バー?
まず、レストランに行ったつもりなので、バーなど計算外だ。ホテルなんかの静かな正統派バーなら無理して行ったことはある。しかし、こんなワイルドな「酒場 」状態のバーなんて、映画でしか見たことない。
工場を名乗るだけあって、天井が高く、広い店内。
しかしそれにくらべて照明はかなり暗めだ。もしほんとうに花火(あるいはダイナマイト)を作る工場だったら、その製品は欠陥品だらけになることだろう。そこはやっぱり一触即発 。
バーエリアには、音楽と英語と低い笑い声が入り混じっている。薄暗いホールの視界を、盛大に炎をあげるオープンキッチンからの煙がさらに霞 ませる。そこに混じって漂 う甘いアルコールの香り。そして例のダイナマイトネオンがちかちかする。混沌 リラックスの極 みだ。
相方 スミ子が何か言うが、小声で聞き取れない。見渡す限り日本人らしい人もいないのだし、普通に日本語会話をすればいいんだろうが、
「みて、あの人こんな暗いのにサングラスしてはる」
「うん、立派な入 れ墨 やな」
「それタトゥーって言うんやで」
「知ってるわ、英語で言って向こうにわかられたらどうすんの」
「おぉ、かしこいな」
「もしかしたらスターなんかもしれへん、目を離さんとこ」
なんて会話は、まぁ、とくに堂々と発信したい中身でもない。それに2人が共有すべきは会話の内容ではなかった。お互いの表情からダダ漏 れ中の「超ビビってます、しかしナメられたらおわりやで」という心境確認だ。
思ったとおり、互いがアテにならないことを確認し合い、かえってちょっと開き直って、私たちは改めて店内を見回した。
よく見ればいくらアメリカ人といえども、唐突 に歌いながら踊りだしたり、銃で果 たし合いをしようとするでもなく、落ち着いてゆったりと楽しんでいるようだ。誰も私たちのことなんか気にしていない。でも、そうは言っても、やっぱり場違い感は半端ない。
カウンターの位置の高いこと。それにもたれかかってる人たちのなんと脚 の長いこと。
そして、このバーの店員はローラーブレードを履 いていた。ワーオ! アメリカン! 私たちは、座れば足が非常に格好悪い位置にまで浮いてしまうスツールによじ登り、観察に熱中した。
彼女たちはローラーブレードを機能的に履 きこなし、手に持つトレーをすこしも揺らさず、素敵 なスピードで、颯爽 と駆け抜けてゆく。短いスカートからすらりと伸びる脚 は健康的で、思わず見とれる美しさだ。
しかし、観察している分にはいいが、そのローラーブレード彼女に注文を取りにスーっと近寄って来られると、普通に歩いていらっしゃった場合の2倍は緊張してしまう。スピーディな彼女のワークスタイルを乱 さぬよう、迅速 かつスムーズな対応が求められているのだ、と自分たちの脳内で勝手にハードルが上がっていくのだ。
本当は、せっかくだからコートの襟 でも立てて、ふっと溜息 などつきつつ「バーボン、ストレートで」などと言ってみたい。でも現実問題として、美しい歯でガムを噛 みつつ待っている目の前の金髪美人に、そんなこと、冗談でも試してみる勇気はない。
そこで私たちは頷 き合うと、精一杯の笑顔とともに
「ビール、プリーズ」
と上ずった声を揃 え、
返ってきた彼女の微笑みに見惚 れる間 もなく、
「ビア?」
と聞き返されたのだった。
しばらくしてウエイターが、お待たせしました、レストランの席へどうぞ、と案内に来たとき、背筋を伸ばした私たちは、作り固めた笑顔で彼を見下 ろし、決然 とスツールから飛び降りた。やられっ放 しではいけない。そろそろこのあたりで巻き返さねば。
誰も見てはいないが、できるだけ堂々とバーを後にし、レストランエリアにゆっくりと歩を進める。これまでよりはいくらか落ち着いた雰囲気に、そして普通の高さだったテーブルと椅子 に安心して、私たちは席に落ち着いた。
だが、ちょっと待て。
さっき金髪美人に注文したビールはまだ来ていなかった。バーを離れてよかったんだろうか。そもそも、ビールが来ていたとして、それを自分で持ってレストランに移動だったんだろうか。客がこぼさず持ち運ぶことを強要するシステムだというのか。だとしても、そのビールの会計はレストランと一緒でいいんだろうか。いやいやバーだけ利用の人だっているだろうに。
よく見るとレストラン側の店員はローラーブレードを履 いていない。ということは、さっきの金髪美人、やはりレストラン側はテリトリー外 なのだろう。だとすると追いかけてくるとも思えな……
いや、すべってくるのは確かに彼女。トレーに器用にジョッキを2つ乗せている。あっという間に私たちのテーブルに到着すると、にこやかな笑みとともに、ジョッキが置かれた。どうやって私たちの後 を追ってこれたのだろう。レストランとバーはツーカーの仲なのだろうか。
私たちは無言でジョッキと彼女を見比 べた。さてこういう場合、何をどうすればいいんだろう。彼女の顎 で、ガムが2、3回噛 まれた。そして彼女はちょっと肩をすくめ、ウィンクとともに去っていった。
……もしかして、チップを待っていた?
スミ子が思いついたが後の祭りだった。しかし、こういうわからない会計システムでのチップの支払方法なんて、さらにわからない。ガイドブックにはもちろん載 っていなかった。会計はまだなんだし、レストランでは基本、会計の後にチップを置く、ではなかったか。バーでの支払い方法は違うのだろうか。そういえば、映画で見たガンマンは、無造作にカウンターへコインを投げ出してお酒を受け取っていた(いつの映画だ)。もしかして注文時にあらかじめお札 を置いておくべきだったのだろうか。
それにそもそもこういう場合、たとえなにがしかを支払えたとしても、それがビール代ではなく、チップである、ということを彼女に伝える手段はあったのだろうか。私たちが男であったなら、彼女の開いた胸元 に折ったお札を差し入れる、なんて手段もあったかもしれない(ないない)。
いやチップかどうかは金額でわかるんちゃう、とスミ子が言ったが、それにしても、そもそも彼女は本当にチップを待っていたのか、実はビール代だったのかも等々 、私たちの「このあたりで巻き返す」決意は、またしても、小心論争 によって崩 れてしまったのだった。
仕方がない、バーとはツーカーの仲なはずのレストランが、最後にまとめて請求してくれるのを待つとしよう。
ただいま満席です、と言われ、名前をウェイティングリストに書いてから隣のバーで待つよう指示される。
——? バー?
まず、レストランに行ったつもりなので、バーなど計算外だ。ホテルなんかの静かな正統派バーなら無理して行ったことはある。しかし、こんなワイルドな「
工場を名乗るだけあって、天井が高く、広い店内。
しかしそれにくらべて照明はかなり暗めだ。もしほんとうに花火(あるいはダイナマイト)を作る工場だったら、その製品は欠陥品だらけになることだろう。そこはやっぱり
バーエリアには、音楽と英語と低い笑い声が入り混じっている。薄暗いホールの視界を、盛大に炎をあげるオープンキッチンからの煙がさらに
「みて、あの人こんな暗いのにサングラスしてはる」
「うん、立派な
「それタトゥーって言うんやで」
「知ってるわ、英語で言って向こうにわかられたらどうすんの」
「おぉ、かしこいな」
「もしかしたらスターなんかもしれへん、目を離さんとこ」
なんて会話は、まぁ、とくに堂々と発信したい中身でもない。それに2人が共有すべきは会話の内容ではなかった。お互いの表情からダダ
思ったとおり、互いがアテにならないことを確認し合い、かえってちょっと開き直って、私たちは改めて店内を見回した。
よく見ればいくらアメリカ人といえども、
カウンターの位置の高いこと。それにもたれかかってる人たちのなんと
そして、このバーの店員はローラーブレードを
彼女たちはローラーブレードを機能的に
しかし、観察している分にはいいが、そのローラーブレード彼女に注文を取りにスーっと近寄って来られると、普通に歩いていらっしゃった場合の2倍は緊張してしまう。スピーディな彼女のワークスタイルを
本当は、せっかくだからコートの
そこで私たちは
「ビール、プリーズ」
と上ずった声を
返ってきた彼女の微笑みに
「ビア?」
と聞き返されたのだった。
しばらくしてウエイターが、お待たせしました、レストランの席へどうぞ、と案内に来たとき、背筋を伸ばした私たちは、作り固めた笑顔で彼を
誰も見てはいないが、できるだけ堂々とバーを後にし、レストランエリアにゆっくりと歩を進める。これまでよりはいくらか落ち着いた雰囲気に、そして普通の高さだったテーブルと
だが、ちょっと待て。
さっき金髪美人に注文したビールはまだ来ていなかった。バーを離れてよかったんだろうか。そもそも、ビールが来ていたとして、それを自分で持ってレストランに移動だったんだろうか。客がこぼさず持ち運ぶことを強要するシステムだというのか。だとしても、そのビールの会計はレストランと一緒でいいんだろうか。いやいやバーだけ利用の人だっているだろうに。
よく見るとレストラン側の店員はローラーブレードを
いや、すべってくるのは確かに彼女。トレーに器用にジョッキを2つ乗せている。あっという間に私たちのテーブルに到着すると、にこやかな笑みとともに、ジョッキが置かれた。どうやって私たちの
私たちは無言でジョッキと彼女を
……もしかして、チップを待っていた?
スミ子が思いついたが後の祭りだった。しかし、こういうわからない会計システムでのチップの支払方法なんて、さらにわからない。ガイドブックにはもちろん
それにそもそもこういう場合、たとえなにがしかを支払えたとしても、それがビール代ではなく、チップである、ということを彼女に伝える手段はあったのだろうか。私たちが男であったなら、彼女の開いた
いやチップかどうかは金額でわかるんちゃう、とスミ子が言ったが、それにしても、そもそも彼女は本当にチップを待っていたのか、実はビール代だったのかも
仕方がない、バーとはツーカーの仲なはずのレストランが、最後にまとめて請求してくれるのを待つとしよう。