第10話 囚

文字数 1,211文字

「こんな時間に海で泳いだことがあるわけね」
 和子さんの目が、わたしの表情を探るように覗き込んでいた。
「そうよ、倭文子さんとふたりで」
「やっぱり」
「和子さん、あなたが聞きたいのは倭文子さんのことなんでしょう。わたしに近づいたのも、そのため」
「確かに、それもあるわ」
「それも?」
「わたしは倭文子さんとエスの契りを結びたかったの。だから、お手紙をさしあげたわ。自惚(うぬぼ)れだけど、まさか断られるとは思っていなかった」
「正直な人ね、あなたって」
 皮肉ではなかった。わたしは、素直にそう思ったのだ。

 和子さんの顔は笑っていなかった。
「わたし、あなたに興味を持ったのよ。倭文子さんがあなたのどこに()かれたのか、わたしになくてあなたにあるものは、いったい何なのかしらって」
「がっかりしたでしょう? こんなからっぽな、つまらない人間で」

 和子さんは、ゆっくりと首を横に振った。
「わたし、さっき大仏の胎内であなたのこと、腰の据わった不良って言ったわよね。覚えていて?」
 わたしは黙って頷く。
「褒めたのよ、あなたのこと」
「そうなの。とてもそうは聞こえなかったけれど」
「文枝さん。あなたって人には、決して周りに流されない

があるんだわ」
「もう一度訊いていいかしら。わたし、褒められているのよね?」
「モチよ。前に一緒に銀座の資生堂でおしゃべりしたことがあったでしょう。あの時、わたし得意になって帝劇に行った話なんかしたけど、今はそれが恥ずかしいの。わたしこそ、からっぽよ。次から次に、流行りのものを()(まなこ)になって追っかけてるだけ」
「和子さんはいろいろご存知なんだもの、うらやましいわ。わたしなんて何も――」
「逆よ。あなたに接するとね、否応なく自分のからっぽさに気づかされるの。それに反撥(はんぱつ)を覚える人もいれば、惹かれる人もいる。倭文子さんは後者だった。そして、わたしも……」
「買い(かぶ)りもいいところだわ。学校の教室の中で、わたしは自分のこと、幽霊みたいに感じているっていうのに」
「それは、倭文子さんがお亡くなりになった後のことでしょう。あなたはまだ、倭文子さんの死に(とら)われているのよ」
「…………」
 わたしは思わず下唇をきつく噛んだ。

「ねえ、本当に――」
 和子さんがそう口にした瞬間、わたしの身体の奥から何かが

と這い出てきた。その感じはおぞましく、それでいてどこか快いようでもあった。

「そう、皆の噂は本当よ」わたしはついに言ってしまっていた。「わたしは、倭文子さんの自殺に立ち会ったの」

 急に陽がかげったかと思うほど、和子さんの顔がさあっと蒼ざめた。「倭文子さんは……どうやって、その……」
 言葉を探しあぐねているような和子さんの様子が、いつもの女王然とした姿に似ず、ひどく無防備に見えた。

 それまで考えてもみなかった言葉が、続けてわたしの口から出た。
「和子さん、わたしと一緒に三原山に行く度胸はおありになる? それなら全てを話してさしあげてよ」
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