第17話 涙

文字数 2,527文字

 元村の港に着いたのは、朝の四時半だった。まだ暗かった。

 漁師町の食堂の一軒が開いていて、船から下りた人は皆そこで朝ごはんを食べることになっているらしかった。船室で見かけた香具師らしい男が、ちょっと千鳥足(ちどりあし)で前を歩いていた。男も、誘われるように食堂の暖簾(のれん)をくぐった。

「学生さん、こちらにどうぞ」
 食堂の女の人が、わたしたちを手招きした。

 わたしたちがコートの下に制服を着ていることは、セーラー服の襟が覗いているから、一目でわかったのだろう。でも、わたしはなぜかどきっとした。倭文子さんの手を握ると、逃げるように暗い方へ走った。口から白い息が洩れた。

 食堂の女の顔が急に(むじな)(へん)じて、後ろからわたしたちを睨んでいる。そんな幻覚が、わたしをひどく脅えさせた……。

 ※※※※※

「お姉さま、手を離して」
 倭文子さんに言われて、わたしはようやく、自分がずっと倭文子さんの手を強く握りしめていたことに気づいた。
「ごめんなさい、急に走ったりして。だいじょうぶ?」
 倭文子さんは頷いたが、両手を膝に置いて、息を弾ませていた。

 振り返ると、暗い漁師町の通りに先ほどの食堂だけが、鮮やかに浮かびあがっていた。でもそれは、決して心のなごむ光景ではなかった。

 一軒だけ明るい食堂は、まるで黄泉国(よもつくに)の入口みたいに見えた。食堂の硝子戸に、餓鬼たちの奇怪な影が映っているかのようだった。あるいは、逆にわたしたちが人に(あら)ざるもので、恐ろしい人間たちの宴を遠くからこわごわ眺めているようでもあった。

 それでも、〝ものを食う〟という行為の連想から、わたしはふっと、鞄の中に紀元節の紅白饅頭があることを思い出した。

 道の傍らに広がる(ススキ)の原に分け入り、古人(いにしえびと)のように何本かの芒を折り敷いて、倭文子さんと並んで座った。昨日の朝、倭文子さんは登校はしたものの、ずっと運動場のベンチに座っていたから紅白饅頭をもらっていなかった。わたしの箱のお饅頭を、ふたりで一つずつ分け合って食べた。

「こう暗くっちゃ、どっちが赤だか白だかわからないわね」
「でも、よく見えないからでしょうか。なんだか、とても甘く感じます」
「紅白饅頭を、こんなにおいしいと思ったのは初めてだわ」

 わたしたちは笑った。でも、なぜだかわたしは、『古事記』のイザナミの話を思い出してしまった。火の神を生んだために、イザナミのホトは焼け(ただ)れ、(やまい)を得て死んでしまう。夫であるイザナキはイザナミを連れ戻そうと、黄泉国までやってくるが、イザナミは、自分はもう黄泉国の食べ物を口にしてしまったから帰れないと言う。

――わたしたちも、もう戻れないのだろうか。

 それでも現金なもので、お饅頭がお腹に入ったら、少し元気が出てきた。わたしは最後にもう一度、倭文子さんを思いとどまらせようと試みた。

「さっきの食堂の女の人、わたしたちが学生だって見抜いていたわ。きっとあやしまれたのよ。もしかしたら、もう警察に知らせがいっているかもしれない。でも、今ならまだ引き返せるわ。次の船で東京へ戻りましょう。そして今日のことは、ふたりだけの秘密にするの」

 倭文子さんはわたしの声が聞こえなかったように、霊岸島の発着所に置いてあった大島案内を、(とぼ)しい月の光を頼りに熱心に読んでいた。

「そうしましょう。ね、倭文子さん。よくって?」
「地図によると、三原山への登り口はここで間違いないはず。頂上までは、歩いて一時間半ほど……」
 倭文子さんはぶつぶつと、ひとりごとのように言っていた。その声はわたしを堅く(こば)んでいるように響いた。その眸は、既にわたしを映していないのかもしれなかった。
 
 わたしはそっと、周りを見回した。人の(たけ)よりも高い芒の(むら)は、とっくに穂を失って立ち枯れていた。まるでわたしたちを閉じこめる牢の格子みたいだった。

 上空はかなりの風が吹いているらしく、月は雲に隠れたり、また(あら)われたりした。

 月が隠れると、四囲(しい)はそれこそ黄泉国のような闇に塗り潰されてしまうのだった。

「————」

 わたしたちはぎょっとして後ろを振り返った。芒の葉擦れの音に混じって、何か動物らしい鳴き声がしたのだ。思わず倭文子さんと身を寄せ合った。

「何かしら」
「あそこの小屋から聞こえたみたいですわ」

 灯りはなかったが、確かに小屋の輪郭が見えていた。わたしたちは足音をしのばせて、そっと近づいていった。小屋は柵で囲われていた。近づくと、動物園のような匂いがした。

「わかりました。きっと驢馬(ろば)です」
 倭文子さんが言った。
「驢馬?」わたしはあっけにとられた。「どうしてこんなところに驢馬がいるの?」
「三原山の火口原まで人や物を運ぶのです。案内に、そう書いてありました。一円五十銭だそうです」

 最後の〝一円五十銭〟が、倭文子さんには珍しく皮肉な調子だったので、わたしは倭文子さんの横顔を窺うように見つめたが、暗すぎて表情はわからなかった。

「人間が一円五十銭稼ぐために、驢馬は毎日毎日、麓から頂上まで往復させられるのですわ。死ぬまでずっと」

 呟くように言った倭文子さんの言葉に、わたしはふと、吉屋信子の『讃涙頌(さんるいしょう)』という随筆を思い出した。

女学校の卒業式はものがなしい。
みな声を揃えて泣く。

 という言葉で始まる、短い文章だ。
 中学校の卒業式で泣く人は恐らくいない、と吉屋信子は続ける。「男には自由の未来がある、希望がある」からだと。

けれども女学校はちがう。卒業後上の学校へやって(もら)える人はごく少数、多くは家に ひっこんで(しろがね)の針をもって()()いの練習を強いられ、家事の手伝い、台所の女中役(おさ)ない弟妹(ていまい)の世話、()()妻になる予備軍に入る、ああ()んというつまんないこと!
そして結婚が彼女達を待ちうけているとはいえ、それが(また)たいへん、()良人(おっと)たる()く今のところ⦅男性⦆というものは、そんなによく神様がつくっておおきにならなかったのが多い、妻はまずたいてい、服従と従順と義務と責任とを()(なか)にいっぱいむすびつけられて、その(うえ)男への快楽を呈上(ていじょう)しなければならない。

 吉屋信子は、それまで知らないでいたことに気づかせてくれたわけではない。わたしたち女が皆痛切に感じていたことを、叫びたくても声にならなかったことを、はっきりと言葉にしてくれたのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み