第八話 働くひと 『勤労感謝』

文字数 6,625文字

 都市伝説って、ほんとにあるんだ――――。



 わたしが、日がな一日ぐうたらしているのを見かねたご近所の目が、最近きびしい。
 のは、さておき。
 ちょうど二枚目の備忘録が進まずイライラして居た頃から、わたしはアルバイトを始めた。
 ちょうど背中を押される出来事もあったのですよ。
 そういうわけで。
 話の発端は、備忘録二枚目より先に仕上がった、三枚目のお庭キャンプ前に遡る。



「ねえ、こんなの飛んできたよ。見て」
 撫子さんが、庭先で差し出したのは新聞の折り込みチラシだった。
 色とりどりのテントやランタンの並ぶチラシの中ほど『良日山荘』のロゴに、わたしは目を(みは)る。
「お。アウトドアですね!」
「夏に、裏山のキャンプ場でさあ……設置中のテントを突風に持ってかれたじゃない?」
 ああ、あの黄色いテント。
 それは撫子さんのお気に入りのものだった。
 花見や夏の夕涼みなど、ことあるごとにふたりでお庭キャンプを楽しんできた善き相棒。
 そのあとふたりで探しまわり、最後は町内会長さんに、真新しい360度ライブカメラつきドローンを借りて探索もしたが、いまだ見つけられずにいる。
「ほんと悔しいのよね。あの辺りは魔境と言えさあ」
 魔境というのはモノの譬えではない。
 裏山こと、ことぶき山には有名な都市伝説があるのだ。
 そのあと町内会長さんと副会長さんとで、別の遺失物探検にそのドローンを飛ばしていたら、それまで消えたとか壊れたとか。
「確かに」
 でしょ。撫子さんは胸を張って、チラシを翳す。
「それに大きな台風が近づいてるから、非常用の灯りとか携帯コンロとか持ち出しグッズとか、色々点検して駄目なものは、この際、新しく買い換えないと」
 確かに。
「でしょ。で、ここ――――飛んでったテントに似たのが、ほら、セールになってるのよ」
 用意周到だなあ。
 わたしはチラシに近づき眺める。だが
「ん――――撫子さん。このチラシ先週のですよ」
 あらほんと。
 わたしの指摘に慌てた言葉巧みな撫子さんは、胸にさげた老眼鏡を引っ張り上げると折り込みチラシを見つめ直す。
「でも……大丈夫。テントは月間奉仕品になってる」
 にかり。親指を立てた撫子さんに、わたしも強くサムズアップを返す。
「見に行くだけなら」
「見に行くだけです」
 そんなわけで、わたし達はシャッターのおりた商店街をほんのり寂しい思いで通り抜けて、公園前のバス停から市内巡回バスに乗り、みどり町仲通りにあるアウトドア・登山用品店に出向いたのだった。
「いざお転婆さんの聖地へ」
「楽しみですねえ」
 だが現地に到着すると、そんな正気を保てたのは、ものの二秒だった。
「おお、見に来ただけだよー」
「わあ、見に来ただけですよ」
 山。
 川。
 海。
 そしてキャンプ!
 お洒落なアウトドアルックに、焚き火台、BBQコンロにカンテラ、ガスバーナー。
 胸いっぱいに新品用具の香りを吸い込み、広い店内に充実した色とりどりのディスプレイを一望し、ふたりとも笑顔になる。
「リストは持った?」
「はい」
「じゃあ探索開始!」
「はい!」
 マスクを装着し手指を消毒し、最初の通路を通り過ぎる。
 その頃には撫子さんの歩調も、軽やかなステップへ変化しつつあった。
 なにしろ、企ては撫子さん本人である。
 俄然、心の財布の紐もゆるくなり、ゼロの並んだ山岳用テントの並びを物ともせず、山から川、川から海、ディスプレイからディスプレイへと流れ行く。
「撫子さん、リスト、リスト!」
 ああら。撫子さんは笑った。
「わかってる――――まずテントでしょう」
「待って! 撫子さん。そっちはお高級ゾーン!」
 襟首を捕まえ、わたしは軽自動車の後部扉にもつけられる堅実なタープへと引き戻すが。
「あら、これは本来テントに添えて野営するものよ、金魚さん」
「わかってます! そうじゃなくて」
「じゃ、テントとタープのセットね」
 二つ三つと手に取るとすぐさま、今度は寝袋だ、ランタンだ、焚き火台だ。
「んふーいい! 新品はいい! どれも、どんどん進化するわね」
 心の欲するがままに、加速ブーストをましましで。
「撫子さん! 撫子さん、待って」
「捕まえてごらんなさーい」
 目をキラキラさせながら、通路をすり抜けていく後ろ姿もすばしっこい。
 撫子さーーーん!
 ようやく追いついたときには、やたらキリッとした顔つきで、二人用のテントとシート、それにスリーシーズン対応寝袋、さらにはタープと、小洒落た赤いランタンに焚き火台とバーナーの箱そのほか、およそ一山を従えていた。
「よし、コレ全部いただくわ」
 ええええええ。
「止めても無駄よ、金魚さん」
 ええええええ。
 値札を見なくてもわかる。
 だって、どれもコーナーディスプレイに飾ってあった上級者向けブランド品じゃないか。
「正気に帰ってください。まとめて分割払いするにしても、ゼロがひとつ、いや、ふたつ多くないですか」
 いいえ。撫子さんは言い放った。
「金魚さん、お聞きなさい。これらはね命を繋ぐもの。金額は品質――――過酷な環境を乗り越えるための、生命の担保なのよ」
 言うわね。
「って、いったい何千メートル級の山岳に挑むつもりですか」
「ほほほ――――裏山は百メートルくらい? お庭キャンプも侮る勿れ、マナスルや剱岳にも劣らぬ聖地よ。だって、楽しいもの」
「確かに裏山もお庭も楽しいですけど」
「でしょ? 抗いがたいでしょ。キャンプは、気持ちからよ」
「今言う言葉じゃないです。お財布の中を見て決めましょう」
「夢のない子ねぇ」
「そうじゃなくて」
 我が家はわずかな個人年金と、撫子さんの手仕事の刺繍や縫い物で、日々糊口をしのぐ。
 撫子さんは仕事が早く丁寧で腕のいい職人さんであるけれど、昨今の流行病で業界が右肩下がり、片手団扇に程遠いのが現実だ。
『動画配信でも始めようかしら。撫子の愉快な生活VLogなんてどう?』
 なんて、つい一昨日にも呟いてたぐらいだし。
 そこにわたしなんかがくっついてるわけだし。
 もう一度だけ聞く。
「本当に……大丈夫なんですね?」
「――――なんとか、なるっしょ」
 けろっと言い放ち豪快にレジへ向かった撫子さんだったが。
 不安は的中。
 帰宅した途端に脳内ドーパミン魔法が解け、居間に拡げた戦利品とレシートを見つめて青くなったのだった。

 や。
 やってしもたああああ!!

 ああああ……あああああああ。
 呆然と呟く。
「……せめて分割払いに……なんでしなかった、わたしー!」
 言わんこっちゃない。
「だから……言ったのに……」
「言ったのにって言わないで」
「じゃあ、どうするんです?」
 わたしは強く返品をすすめたが、撫子さんはぬいぐるみを抱く幼児のように、テントを抱きしめたままプルプルしている。
「無理」
「無理って」
「あとのはいい。でもこれは、これだけは必要なの!」
 わかりますけど。この中で一番お高いの、それでは?
「返すなんてダメ。絶対ダメ! かわいそうでしょ!」
 撫子さんのお財布がね。
「うう……うううう……つらい」
「そんな……猫を拾った子供みたいな顔しないでくださいよ」
 いくら撫で撫でしても、テントは懐かないと思うけれど。
 イベントにドーパミンが大量放出されるのは毎度のことだが、ここまで思い切ったお買い物は、はじめて見た。
 とはいえ。
 こども時代を、いきなりぶった切られたひとだもんなあ、とわたしは思った。
 ある日突然おばあちゃんになって、ひとりぼっちで取り残された撫子さんの危うさは、水槽の中から見て知っている。
 毎日、毎日――――ただ泳ぐだけのわたしに話しかけながら、料理を学び、字を学び、マナーや社会常識、やがて手仕事も身につけて、元気な小学生から小さなおばあちゃんへと順応していく撫子さんに、ひそかに感嘆したものだ。
 その分、遊びに貪欲なのは、致し方ないとも言えよう。
 どうしたものかしら。
 ――――何か、わたしもお役に立てればよいのだけれど。
 わたしはしばし腕を組み、そこでハタと気づいた。
 キッチンの古紙ボックスに畳んで入れた、かの折り込みチラシを思い出したのだ。
 改めて拡げ、その裏側の一番下の、片隅に……。
 あった。

 アルバイト・パート募集。

 そんなわけで、長い前振りであったが、わたしはアウトドア・登山用品店『良日山荘』で働くことになったのだった。
 生まれて初めての勤労である。
 決して事実は書けない履歴書のくだりは、お察しの通りなので割愛する。
 だいたいはネットで検索し、それらしく予習してやり過ごしたのだ。
 問題は――――面接と。
「ハルネ……金魚さん?」
 そう名前だ。
「金魚と呼んでください」
「いえ。弊社は苗字名札で統一されてますので……」
 意外に問題なさそう。でも?
 担当のおじさんは困った顔をしていた。アルバイトの人事権を預かる副店長だ。
 だが、困った顔の原因がわからない。
 わたしがネットを駆使して詐称した高校までの学歴や、水槽で過ごした年月も加えた年齢などはざっと見てスルー。
 ただわたしの顔や服装をなんども見返すばかり。
 なんだろう。ノーメイクは、駄目なんだろうか。
 それとも赤い髪だろうか。金茶色の目だろうか。
 どちらも地毛裸眼なんだけど。
 だってわたしはフナじゃなく金魚なんだもの。経歴詐称にヒトの遺伝的民族的要素を盛るべきだったかしら。
 ふうん。
 困ったように、ちいさく嘆息されるのって緊張する。
 副店長は、それからまた履歴書を見つめてボソリ「……今どきだしなあ」と呟いた。
 もう一度目が合う。
 そこで、ようやく腹を決めてくれたらしい。
「わかりました。はじめは店内配置や商品を覚えて貰うため、どなたもバックヤード業務が中心になります」
 よかった。
 つとめて明るく返事をする。
「はい」
「制服などはないので、エプロンをつけて動きやすい服装でお願いしますね。髪は……そのままで結構――――シフトは事務方でリーダーと」
 そこで副店長は、近くを通りかかったショートヘア女子を呼び止めた。
「ヤヨイさん、ちょうどよかった。新人さん入ったから。バックヤードと店内、案内してあげて」
 はあいと明るく振り返ったそのひとは、わたしを見上げてにこりと微笑んだ。
 わたしも倣って、笑顔で頭を下げる。
「ハルネ金魚です。よろしくお願いします」
「バイトリーダーのヤヨイ百花です。よろしくね」
「じゃあ、あとは頼むね」
「はあい」
 さて、わたしも頑張らなくては。
「――――金魚くん、背、高いねぇ。倉庫は力仕事が多いけど、いけそう?」
「おまかせください」
「そう。助かるなあ」
 うふふ。ヤヨイさんは撫子さんによく似た笑い方をする。わたしはちょっと嬉しくなった。
 副店長が退出すると、ヤヨイさんの視線が再びわたしに戻る。
「ええと……じゃあ、事務所で名札を作ってもらう間にざっくりバックヤードから見て行こうか。途中、わたしの持ち場も手伝って貰うね」
「はい――――」
 わたしの見た目がどういう効果を発揮したのか。
 そこから接するひと、話すひと、誰も金魚という名前や、適当履歴書に触れても来ず、代わりにわたしの赤いふわふわした髪や、低めのドアをくぐって通る背丈や、スキニーデニムに合わせた撫子さんお手製のタックブラウスに目をくれる。
 世間はゆるいのか。
 あるいはこの店が特別なのか。
 ちょっと構えていた自分の中の緊張感が解けていくのは、何より。
 初勤労、初面接。
 特に問題は――――なかった、が。



 お帰り。

 うきうきと帰宅したわたしを出迎えた撫子さんが、何故かブラウスの裾を握りしめて泣き出したのは計算外だった。
「ごめんね……金魚さん……」
 それも本気泣き。
 ひたすらごめんを繰り返す目は赤く、どうやら今日一日、失態を思い出しては自責を念入りに膨らませていたようだ。
「苦労……かけるわね」
「や。そんな……おおげさな」
 取り繕うわたしに大きく首を横に振る。
「ううん、だめよ」
「そこまで気にしなくても。力も強くて高いところに手が届くわたしは、なかなか重宝されてますし」
 撫子さんには、むしろ今まで甘やかされていたのだ。
 わたしなりに初の勤労を楽しんでいるというと、さらに涙を拭って撫子さんは返した。
「そこはわかってる……あんたはイイコだもの」
 たはははは。
「だから、せめて節約して今日の晩ご飯から、おかず一品減らそうかと」
 え、そっち?
「……ごめんなさいね」
「大丈夫、大丈夫です」
 そう、笑い飛ばすとこ。
「無理そうなら、すぐに言ってね」
「月末のお給料日までの辛抱です」
 わたしは小さく拳を握ったが、流石に現実味が増すのであった。 
 お夕飯の(アジ)フライプレートに、いつものポテトサラダの姿がないというのは。
 いやいや我慢我慢――――。
 浮いたじゃが芋とタマネギは、あしたのハムコロッケの具材になるという。
 その代わりにお味噌汁に、はねた小さなお芋を入れたから、ちょっぴり具だくさんだ。
「実はサラダをまとめて作って、コロッケはリメイクにするべきか悩んだのよ。でもマヨネーズが残り少なくて」
 なるほど。
「問題ありません。わたしお芋のはいったお味噌汁って好きです」
「わたしもよ。慣れたら、もう少しうまくやりくり出来ると思うわ。しばらく辛抱してね」
「はい。大丈夫です」
 わたしは返す。
 もとより食材管理は撫子さんの領分だ。
 フードロスのない采配で、体の大きいわたしのお腹も常に思いやってくれている。
 明日からお弁当まで持たせてくれるらしいのに、贅沢は言えない。
 ――――つもりだったが。
 お風呂から戻って洗った食器を片付け、お布団に入る頃には、なんとなくお腹が頼りない気がしてきたから慣れって怖いものだ。
 夏からコッチ習慣化していたお風呂上がりのアイスもストックが昨日なくなったし、梨は朝食べちゃったし、口寂しいというか、気持ちがいやしいというか、腹が寂しいというか――――。
 ぐううううう。
 傍らの布団からも似たような音が聞こえてきた。
 つられて自分のお腹も盛大に鳴る。
 ぐ、ぐううううう。
「……あ」
 わたし達は布団越しに視線を合わせた。
 我慢我慢。
 小さく溜め息ついて目を閉じる。すると二度目がふたりとも。
 く、うううううう。
 きゅうううう、う。
 だんだん音まで情けなくなってきたようだ。
 諦めて寝ようとしたが眠れない。撫子さんが寝返った。
「……ねえ金魚さん」
「はい」
「ケトンラーメンさ」
「だめ」
「……半分こにしよ」
 半分?
 なんとも魅力的な、半分の誘惑よ。
 一袋の罪悪感も、分け合えば半分。
 けだし、半分は軽く、軽さは正義。

 われわれは、誘惑にきわめて弱い。

「乗った」
「ネギと和解せよ!」
 ふたりで布団から飛び起きて、われさきにキッチンへと向かう。
 小さい雪平鍋に湯をわかし、オレンジの袋を破って取りだした即席麺の煮上がりを待つ時間の愛おしいこと。
「節約は明日からね」
 湯気を立てるラーメンに、乾燥ネギを振りかける撫子さんの横顔の嬉しそうなこと。
「そんな……万年ダイエッターみたいなこと言って」
「じゃあ。ついでにダイエットすればいいじゃない」
「パンがなければ……的発想ですね」
「それ女王様言ってないらしいわよ」
「えーとんだ濡れ衣じゃないですか」
「とんだ濡れ衣なのよ。歴史ってさ」
 脇腹をつまみつつ、ふたりでラーメンをすする。
 いつもの日常が、ほんのりさびしい。

 そんなこんなの勤労節約生活が、始まって十日過ぎ――――。

 案じられた大型台風は太平洋の真ん中で消滅したが、せっかく買い直したキャンプ用品を節約レシピにも役立てようと、撫子さんが奮闘する。
 野菜屑のお出汁『ベジブロス』で保温容器カレーを作ったり、残った天ぷら種を使ってお庭でワッフルを焼いたり。
 もちろん、テントも大活躍だ。
「先代の黄色もレトロで可愛かったけど、この緑の深い色合いもいいわね」
「お庭の風景に溶け込むようです」
「それにタープがこんなに便利だとは思わなかったわ。虫除けも吊るせるし」
 お庭キャンプの焚き火台で明かりを採りながら、カップ麵のシーフードとカレーを半分ずつわけっこし、食後にはポットにいれた温かいチャイを飲んだ。
 あと数日で月末だ。
 お給料がでたら、シーフードたっぷりお肉たっぷりのお庭バーベキューをやるぞ。撫子さんとふたり、そう頑張っていたのだが。



「え、今月末にお給料が出ない?」
 これは、困ったことになったのでは――――。




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