第九話 謎のもの 『勤労感謝』

文字数 9,861文字

「お給料……月末にいただけないのですか」
 休憩室でお弁当をひろげ、箸を掲げたまま呆然とするわたしに、ヤヨイさんは「うん」と返し、あとから説明を付け加えた。
「うちは10日締めの月末払いだからね」
 つ、つまり?
 さらに弁当箱を乗せた膝を詰めるわたしに、ヤヨイさんは微笑む。
「つまり……金魚くんのシフトは今月12日からよね。だから、来月の10日までのお給料が来月末に出る。来来月からは10日ごとの一か月分になるの」
 そんな……。
 人間の世界は厳しい。
 思わず、ぽろりと肉巻き山芋を落としかけたわたしに、さっと弁当箱の蓋を差し出したヤヨイさんは、心配そうな目をした。
「大丈夫? 金魚くん、おばあさんと二人暮らしだよね。すぐに要りようなの?」
「あ、その――――そこまでは」
 わたしは咄嗟に嘘をついた。
 本当は、ゆうべ晩ご飯のあとに珍しく電卓を叩き溜め息をついている撫子さんを見てしまったのだが。
「もし必要なら、事務所に念書を出したら前もって締めて貰えるよ」
 そんな優しいシステムが?
「その代わり、来月分の手取りが少なくなっちゃうんだけど。前の職場との兼ね合いで、たまに何か月も無給になる人がいるから、うちでは新人さんに限り、前倒しの相談に乗って貰えるんだよ」
 なんという天国!
「ありがたいです」
 わたしの顔が明るくなったのに気付いたのだろう。ヤヨイさんは頷いて「じゃあ、事務所に通しておくから、次の休憩のときにでも相談してみて」と微笑んだ。
 ――――天使だ。
 このお店が天国なら、ヤヨイさんは天使だ。
 大天使、主天使、あるいは智天使。最高か。
「ありがとうございます」
「ううん――――はい、これ」
 蓋の上に落ちた肉巻きを差し出されたわたしは、慌ててそれを回収し、目礼して頬張る。
 うすぎり豚肉が甘辛い。お出汁のしみたしゃくしゃくの山芋もうまい。
「美味しそうだね」
「……あ、食べますか」
「ほんと? じゃ、こっちのアスパラ巻き貰っても?」
「どうぞどうぞ――――」
 わたしは弁当箱を差し出す。
「いただきます」
 箸を片手に近づいたヤヨイさんの髪が、鼻先でふわりと香った。
 いい匂い。甘い。
 おんなのひとの匂いだ。
 ヤヨイさんが席に戻っても、それはしばらくわたしの鼻腔をくすぐっていた。
「ん! おいしい。お料理上手!」
 いやあ、これは撫子さんが。そう言いかけてわたしは言い直す。
「祖母が……」
 ヤヨイさんは微笑んだ。
「おばあさん、金魚くんのために毎日作ってくれるんだね。いいなあ」
 いいでしょう。喉元まで出掛かった言葉を、わたしは飲みこむ。
 なんか……ちょっと。
 撫子さんを祖母と呼ぶことには、まだ慣れない自分がいる。
 撫子さんは履歴書を書くわたしに「祖母と二人暮らしでいいわよ。この際だし住民票もちゃんとしましょうよ」なんて言ってたけど。
 社会通念や一般常識から遠いところで生まれた自分を正すため、体裁を取り繕うために、あとどれくらい嘘をつかなくちゃいけないのだろう。
 でも、そういうことにも慣れなくちゃいけないんだろうな――――わたしが心の中でそっと自分に言いきかせていた時。
「……あ、いたいた。やっちゃん!」
 勢いよく扉を開き、休憩室を覗いたひとがいた。
 ヤヨイさんが、わたしの背中ごしに伸び上がる。
「なに?」
「休憩中ホントごめん。緊急事態なの、店内で迷子大発生」
「大発生って?」
「なんと一度に五件も」
「うわ、大変!」
 思わず釣られて立ち上がると、ヤヨイさんが振り返って、わたしに言った。
「金魚くんは休憩してて。必要なら呼ぶね」
「は、はい」
 リーダーは忙しい。
「さっきの件、事務所に通しとくから」
「はい――――お願いします」
「うん。じゃね」
 バタバタと手元をまとめて、すぐに出て行くヤヨイさんの背中を、わたしはぼんやり見送っていた。
 ――――尊い。
 それしかない。
 そんな尊いヤヨイさんの気遣いのおかげで、わたしの二週間締めの申請書も、無事シフト終わりに事務所で受け取ることが出来た。




 あら、何の――――動物?
 猫か何かの毛? かしら。


 晩ご飯のあと食器を洗っていた撫子さんが、不思議そうな顔をしてわたしのお弁当箱をスポンジでこする。
「金魚さん、あんたお残ししたものを、どこかの野良猫ちゃんにあげたの?」
 はい?
「そんなことしませんよお! お弁当は毎日きっちり戴いてます」
 全否定したわたしに、そうよねと撫子さんは言う。
「あんたはいつも元気に完食の子よね」
 当然ですよ。
 あ。
「でも今日は、バイトリーダーのヤヨイさんに肉巻きをひとつあげました」
「まあ、大好物を――――」
「さっき言ってた、前倒しお給料の申請をお世話していただいたので」
 なるほどねえ。
 撫子さんは感心したように頷いた。
「肉巻きひとつで、他人のお世話ができるなんて立派だわ」
「何もなくても、ヤヨイさんは立派に勤労されるんです。もはや尊敬しかありません」
「小柄な人なんでしょ」
「小さくて働き者です」
「うんとお若いのよね」
「はい。いい匂いです」
 うんうん。
 さらに何度も頷いた撫子さんは、それからちょっと寂しそうな顔をした。
「そっか」そして笑う。「金魚さんは、日々学んでるんだな」
 はい。わたしは答えた。
「毎日、学んでおります」
「――――うん」
 昼間の出来事を思い出し、わたしは笑った。
 だが、撫子さんの笑顔が消えた。
「じゃ――――先、お風呂入ってくるね」
 エプロンで手を拭い、そそくさとキッチンを立ち去る小さな背中。
 ――――あれ?
 何の話をしてたのだっけ。
 伸ばした手で、すかっと何かを掴み損ねたような感覚に、わたしは驚いた。こんなの初めてだ。
 立ち上がり廊下に出る。
「撫子さん……」
 がらりと風呂場の扉の閉まる音がする。
「――――撫子さん?」
 わたしは足元を確かめる。
 違和感は、いつもこの世との境目のむこうから来ることを思い出したのだ。
 だが違う。
 黒いタマはどこにもない。
 背中や髪に金色のタマもついてない。
 視界の奥で、光る一線すら見えない。
 ざああああ。
 すぐに中から湯の流れる音が聞こえ始めた。
 湯殿から洗面器に汲んだお湯を撫子さんがかぶる。
 ざああああ。
 秋の床の板張りが、わたしの裸足にしみてくる。
 わたしは、いったい何を掴み損ねたのだろう。

 撫子さん――――?

 わたしはくるりと踵を返し、キッチンのポットから湯冷ましを汲んで、ごくごくと喉を鳴らし飲んだ。
 消えた笑顔。
 見えない一線を、さっき視界の端に見なかったか。
 それとも、ただ撫子さんの気に障るようなことを言ったのか。
 ――――そんなはずはない。
 わたしの失言に、撫子さんが無言で立ち去ったことなど、今まで一度もなかった。
 わたしの喉骨の立てる音と湯水の流れる音が重なり合う。
 撫子さんが湯を使う音が、ここまで響いてくることを改めて知った。
 夜の町の静寂。
 いつもならこの時間、わたしは明日の服を準備したり、手をつけ始めた三枚目の備忘録の頁を拡げて、付箋メモを貼り付けたり剥がしたり。
 撫子さんはお風呂をかたして、動画配信のドラマをチェック。
 それぞれ静かな夜を楽しんでいるはずだ。

 ――――いつもなら。

「……よし」
 湯の文字のついた暖簾を、勢いよくめくりあげた。
 風呂場の前に立ち、コンコンとぶ厚い磨りガラスの扉をノックする。
 湯水の音が止んだ。
「――――撫子さん」
 なあにと撫子さんが返すのと、わたしが言葉を継いだのはほぼ同時だった。
「あの――――明日はお店が休みなので、お弁当はいりません」
 一呼吸あった。二呼吸、三呼吸かも。
 バシャリと小さく水音がして、中から撫子さんが返す。
 少し遠慮がちな声だった。
「じゃあ――――ひさしぶりに裏山をハイキングしましょうか」
 それでも、わたしの耳にははっきりと撫子さんの微笑むのが聞き取れた。

 わあ!

 心の中で喜びのしずくが音を立て、水紋が輪を拡げる。
 掴み損ねたもののはじっこを、ようやく手にした思いだった。
「行く行く! 行きます」
「夏の台風で閉鎖されたハイキングルートがもう使えるか、調べといてくれない?」
 おっけーです!
「あと、おにぎりの具は梅干しと昆布よ」
 おっけーです!
「あ、ソーセージとチーかまもつくから安心して」
 おっけーです!
 肩の力が抜ける。
 いつの間にか、わたしは真新しい水玉のパジャマの裾を、汗が滲むほどしっかり握りしめていたのだった。
 手の中でしわくちゃになった、その木綿の生地をのばしながら、照れ隠しに笑う。
 えへへへ。
「――――なあに、金魚さん」
 いいえ。わたしは笑う。
「じゃパソコン使ってきます」
「はい……よろしくお願いね」


 お願いされた。
 いつも通りだ。

 いつも通りだ。
 わたしは居間のちゃぶ台に置かれた、撫子さんの古いノートPCを立ち上げる。
 心を落ち着かせ、ブラウザからマップをたちあげ、それから地方自治体の運営している『ご近所ネット』にアクセスする。
「ええと――――ハイキングルート、ことぶき山、と」
 もう余計なことは考えない。
 撫子さんが笑った。
 最近、仕事に備えてすぐに眠ってしまうので、インターネットの世界は久しぶりだ。
 手汗が消える頃には、すっかり情報に没頭していた。
 衛星写真をマップで確かめたあと、ハイキングルートの新情報を拾う。
 自治体サイトには、道路整備の報告も出ている。
 ちょうど先週に工事が終わって、十二月初旬の紅葉狩りシーズンまでルート解禁となっているようだ。
「……よしよし」
 ひとり頷く。
 閉店していた道の駅も同時に営業再開、キャンプ場に近い麓の駐車場も終日立ち入りできる。
 ――――ほうほう。
 さらにリンクを辿る。
 ご近所ネットの書き込みをまとめている地域密着メディアに辿り着き、そこで面白いネタを拾った。
「通称裏山こと、ことぶき山ハイキングルート周辺の都市伝説まとめ……」
 都市伝説?
 撫子さんの大好物じゃないか。
 これは見逃せない。
 思わず深掘りして、いろいろワードを辿っていると、いつの間にか湯上がりの撫子さんが、わたしの背中ごしにそれを見ていて、耳元でぼそりと呟く。

「――――ほう、都市伝説だと。イイモノを見つけたじゃないか、若人よ」

 わあ!

 ふっふっふ。
 振り返ると、寝酒の『萬丈酒(まんじょうしゅ)』の猪口(ちょこ)を片手に、パジャマにいなせな首タオル姿で、にかりと微笑む顔があった。
「善きラインナップじゃないか」
 そのままモニターを指さす。
「ほら、この錆猫伝説……とか」
 十色の錆猫をフルコンプで願いが叶うやつ!
「竹林の、徳河埋蔵金伝説とか」
 見つけた人が一割貰って、一晩で麻雀ですっちゃったやつ!
「廃病院あとヒトダマ伝説とか」
 それは、いやあああああ!
 わたしもいやあああああ!
「怖いのはナシね。それにしてもさ」
 そう言った撫子さんは、風呂上がりの薬用酒を片手に小首を傾げた。
「これ――――ずいぶん成功体験があるのねぇ」

 ことぶき山・錆猫伝説

 そうなんですよね。
 食い入るようにモニターを見つめる撫子さんの傍らで、わたしも腕を組む。
「わたしが子供の頃にも流行って、山遊び禁止令が学校朝礼で出たぐらい地元じゃ有名な伝説だけど、おいそれと叶うような話じゃないんだけどなあ」
 そう言って撫子さんは、体験談の見出しを読み上げる。

 宝くじを当てました。
 夢だった仕事に就けました。
 幻と言われた希少な動物と暮らしています。
 家族の病気が治りました。
 大好きなひとと結婚しました。
 万馬券を当てました。
 豪華客船にて世界旅行中です。

 ……くぅぅぅぅぅ!
 撫子さんが唸る。
 これが全部本当だったら、だったら。
「わたしも猫ちゃんコンプしたあーい!」
 ですよねー。

「でも、待ってください」
 わたしは、そんな成功体験の並ぶ怪しいまとめサイトから、地元、三登里市(みどりし)オオマキの歴史を研究しているという方のブログサイトに飛ぶ。
 そこは錆猫伝説について、ネットミーム扱いへの注意喚起と共に、伝説の元となったオオマキの民話なども紹介する本格的なものだ。
 それによると、
「ことぶき山の錆猫伝説っていうのは、このルートで叶えないとダメみたいですよ」

 1 ことぶき山周辺で、三年以内に錆猫を十種類探す
 2 オオマキ神社の白絵馬に報告を記す
 3 山の祠に絵馬を奉納し、ひとり当たりひとつのお願いをする
 4 願いが叶ったら祠と神社に御礼の札をおさめる

 これならわかる。
 撫子さんも頷いた。
「確かに、願いさえ叶えば方法は何でもいいというなら、伝説でも何でもない気がします」
 そうそう。
「都市伝説は、誰がどこで何をするかがキモだもの。結果ありきじゃ、魅力は半減だと思うわ」
 わたしも大いに賛同し、そこから伝説の元になったオオマキの民話『猫嫁さ』のページへと飛ぶ。
 この民話については学校でも習うらしく、撫子さんが補足してくれた。

 曰く、裏山こと『ことぶき山』に錆猫伝説あり。

「このルート1にある『ことぶき山周辺で、三年以内に錆猫を十種類探す』というのは、ほぼ『猫嫁さ』なのよ」
「なるほど、コンプ民話なんですか」
「そういうことね」
 コンプとはコンプリートの略であり、昨今のオタク界隈ではカードゲームやフィギュア、くじの景品などコレクション性の高いアイテムを網羅する行動を、フルコンプなどと呼んだりする。
 では、そこまでの経緯をざっと説明しよう。
 民話の『猫嫁さ』とは、タイトル通り、猫の妻とその夫の物語である。
 鶴女房や雀のお宿のような、いわゆる定番の恩返しモノかと思いきや、男が嫁の正体を暴いた後半、話は大きくナナメに動くのが特徴だ。
 男は逃した猫を恋しく思うあまり、自分も猫ならよかった、猫になりたいと思い募り、ついには猫ちゃんに俺はなると宣言、氏神に迫るのだ。
「このパターンは珍しいですよね」
「今なら獣人も人気でしょうけど」
 さぞや、氏神も驚いたことだろう。
 魔物がヒトに化けるのはありがちだが、ひとが魔落ちを神に乞うなど昔の価値観では、なかなかの急展開に違いない。
「だから三回聞き直されて、三回答えてるのよね」
「ほんとだ。猫になりたいって三回言ってますね」
 男の決意は固く、何度問われ、試されてもくじけない。
 木に登り、ネズミを狩り、毛繕いのために股関節を広げ、屋根裏を駆け回る。
 ついに神も根負けした。
 もっと猫を学べ。願いを叶えたくば、三年のうちに地上にいるあらゆる猫の形態を模した土人形を奉納せよ。都度都度、酒も忘れずにな。
 そう、のたまった。
「一説によると、この地元の銘品『薬用萬丈酒』が指定酒だとも聞くよ」
 撫子さんが手に持った猪口を指す。
 ほうほう。と、わたしは頷いた。
「そして、どうなったんです」
 神と約束を交わした男は、猫の生態を観察する。姿形だけでなく、彼らの縄張りや生き方を学ぶくだりは、グレードの高い民俗学的かつ生物学的展開である。
 しかし子供向けの絵本では割愛されて、三毛猫から始まり、ハチワレ、キジトラ、サバトラ、クロ、シロとさまざまな猫の毛並みや柄を模した、小さな人形を作るという行動に終始しており、全部で千態を超える猫フィギュアをおさめた男の夢枕には、かつての猫嫁が立ち「あと(とお)です」と励まして消える、とある。
「コンプへの道のりは遠いですね」
 その十種こそが、猫嫁自身の毛並みでもあった錆び猫で、伝説のキモも、おそらくここに由来するのではないか。
 すなわち――――

 クロチャ
 チャキン
 ハイキン
 アカクロ
 シマサビ
 ミケサビ
 サビシロミミ
 サビシロアシ
 モモキン
 ソラギン

 ――――は?

「途中までは、頑張ればいけそうなんですが」と、わたしは首を捻った。
 そして、最後の組み合わせを指す。
「モモキンとソラギンの毛並みを持った猫なんて、この世にいません。一体どうすれば」
 ちっちっち。
 撫子さんが指を振る。
「伝説相手に理屈は通らないもんよ。仮に緑や紫の猫だって、指定されちゃったらもう探すしかないでしょ」
 仰る通り。
 わたしはすぐに白旗を揚げた。
「じゃあこの伝説はもともと挫折するオチだと……でも、叶えたというひとは一体どうやったんでしょう? 猫ちゃんにヘアカラーでもしたんでしょうか」
 どうかしらね、と撫子さんは言った。
「色のとらえ方はあるけれど、原色が全てではないでしょう。実際にアカ猫、アオ猫と呼ばれる茶色や灰色の子もいるし、トシをとれば白髪もでるし」
 なるほど。
「老猫は盲点でした!」
 遺伝因子にこだわらず、あくまで見た目で判断すればいいのだ。
「それでも、錆び猫はわりと珍しい柄だから、これだけの種類を短期間にまとめて見るのは至難の業でしょうね」
 ですね。わたしは頷く。
 三年間という時間制限が民話に由来しているのはわかるが、撫子さんの言う伝説のキモは、やはり、ことぶき山にあるようだ。
「あら――――」
 そこで、撫子さんが伝説マップの上を飛び回っていたテントウ虫の異変に気づいた。
「ねえ金魚さん、ここクリックして」
 ことぶき山のイラストの中ほど、『ネルコの祠』と書かれた石造りの小さな社の上で飛び跳ねている。
 カーソルを祠に合わせると、『伝説体験(サビネコクエスト)』の文字に続き、こんなメッセージが浮かんで来た。

 君は三分間で何匹の錆猫を探せるかな?

「行ったれー!」
「行きまーす!」

 当然ノリノリでクリックする。(みんなは注意してね)
 まあ今のところ危ないサイトではなさそうだし。
 そう高をくくっていると、暗い画像が出て来た。
 実際にことぶき山で撮影されたというその写真のキャプションには、「この画像に錆猫が隠れています」とある。
 おお!
 俄然、われわれは張り切った。
「何匹? 答えは何匹?」
「ええと六匹とあります」
「わかった十分の六ね! まかせろ」
「範囲選択で画像の色調反転します」
「見えた!」
 木の上、葉っぱの中、石の影――――砂場……もう1匹木の上。
「あと一匹、あと一匹!」
 そう思いつつ目を凝らしていると、石の影に座っていた猫の画像がすうっと消えて、祠の絵が浮かんでくる。つい、マウスポインタが動いた。
「これネルコの祠」
「あーーーーー!」
 思わずクリックしてしまい、残り一匹で張り切っていた撫子さんに睨まれる。
「……すみません。ん?」
 んん?
 ふたりして、浮かび上がった文字を凝視した。

 錆猫は五色琥珀の目をしている。
 謎の石を持ってことぶき山に登ろう!

「謎の石?」
「五色琥珀」
 わたし達は同時に呟いた。
 撫子さんは何かを思い出したようだ。そのまま仏壇の前へ膝行(いざ)っていき、ごそごそと引き出しの中をかき回し始める。
 そして、わたしは――――。
 画面の祠の中から浮き上がってきた金色のタマを見つめていた。
 今まで庭の植え込みや、公園脇の小川の水面、たまに歩いているひとの髪なんかにくっついて、ゆらゆら光ってるのを見かけることはあるけど……。
 ――――まるでモニターの中、いや画面の向こうから来たみたい。
 それは輝きながらゆっくりと旋回し、マウスを握っているわたしの右手の甲に触れると、手に取れとでも言うように何度もつついた。
 こんなの初めてだ。
 わたしはその誘いに乗る。
 煌めきを掌に乗せると、指先で触れた。透き通った、飴色。
 ――――謎の……石?
 中で何かが光ってる。なんだろう。
 数字?
 六と――――二? あと。

 どうしたの、金魚さん。

「自分の手なんか見つめちゃって」
 え。
 一瞬、目を離した隙にタマは消えた。だがそのかわり、
「はい――――これ」
 ころりと撫子さんの手から転がり出たものに、わたしは驚く。
「撫子さんこれって」
 今、画面から出て来た謎の石じゃないですかと尋ねようとしたわたしより先に、撫子さんが微笑む。
「五色琥珀かな」
 え。
「だから琥珀よ」
 これは、ことぶき山で採取される五色の琥珀のひとつだと撫子さんは言った。
 内包物や樹液の種類、そして石化する際の地熱の温度や土壌に含まれる鉱物の影響で、琥珀にはそれぞれ固有の色が出る。
 撫子さん曰く、オオマキ琥珀はその多様性から、特に『五色琥珀』と呼ばれ珍重されるらしい。
 わたしはそれを灯りの下に翳してみる。
「……ろくじゅう……に?」
 え。
 今度は撫子さんが驚く番だ。
「なんのこと? 金魚さん」
 わたしは飴色の樹液の化石を灯りに翳したまま、撫子さんに指し示した。
「62です、撫子さん。この石の中に数字が見える」
 まさか、そんな。
 撫子さんは慌てた。胸にかけた老眼鏡を引っ張り上げ、()めつ(すが)めつ、小さな羽虫を閉じこめた黄金の琥珀を見つめ直す。
「――――ほんとだ!」
 そして、また掌にのせ、何度かその滑らかな表面を指でこする。
「うそ。だって、これを貰ったときにはそんなのなかった」
 わたし達は顔を見合わせた。
 それから、また代わる代わる琥珀を透かし、スマホカメラで拡大し、中を確認する。
 数字は刻まれたものではなく、何かに印刷されたような、ごく見慣れたフォントのアラビア数字だった。
 ええと――――わたしは言い淀む。
「なんというか……撫子さん。物凄く言い難いんですが、わたしはこの数字に見覚えがあります」
「ええ、わたしもよ、金魚さん」
「スーパーの食品売り場の記憶なんですが」
「わたしは商店街にあった駄菓子屋みよちゃんの記憶だわ」
「賞味期限を示すシールの、それじゃないかと」
「POSレジのなかった頃は値段もそれだった」
 あ!
 撫子さんが二つ並んだ虫の片方を指す。
 あ!
 わたしも、ほぼ同時にそれに気づいた。
 そして二人で叫ぶ。

「これ虫じゃない。¥だ!」

 カタカタと撫子さんの指先が震える。わたしも固唾を飲んだまま、胸の鼓動が少し早まるのを感じていた。
「どういうことかしらね……金魚さん」
「わたしにはさっぱりです、撫子さん」
 つまり。
「これが本物の琥珀だったら、オーパーツじゃない?」
「はい。琥珀だったら本来あるはずがないものです!」
 わたし達は、再びノートパソコンに向かった。
 何でも知ってるAI検索に、琥珀の本物と偽物を見分ける方法を尋ね、自宅でもできるという比重の実験を教えてもらう。
 そして、すぐさま台所に飛んだ。
 琥珀は比重が小さく、塩水に浮くという。
 同じくらいの大きさのプラスチックのボタンを、撫子さんがお裁縫箱から持ってきた。
 わたしはその間に、耐熱ガラスのボウルに飽和塩水を作り、ことぶき山マップとブログを管理する地元民、ウラナギ48さんのサイトから、この五色琥珀と錆猫伝説の関わりを調べてたりもした。
 そして、いざ。
 ふたりで息を潜め、ボウルに張った塩水に琥珀とボタンを投入した。
 結果はいかに。


 ――――浮いた!


 これは本物の琥珀だ。
 わたしたちはぴょんぴょん飛び跳ねながら、その成果をたたえ合う。
「ウラナギ48さんによると、ことぶき山の錆猫たちは、同じことぶき山で取れる五色琥珀が好きなんだそうです」
 へえ。撫子さんは感心した。
「なのでコンプ精度があがるのを期待して、入山前に道の駅で買い求めるひともいるそうですよ」
 その辺りは気持ちの問題だろう。
 オーパーツの真偽はさておき、五色琥珀を持って山を歩きたい気持ちはわかる気がする。
「これを貰ったときには、そんなこと知らなかったわ。まだ子供だったし。ただ『君が持ってなさい。きっといつか役に立つから』って言われて、なんとなく持ってたのよね」
 うん?
 わたしは撫子さんがさっきから繰り返す、誰かに『貰った』というワードが、気になっていた。
 てっきりおばあちゃんがくれたと思ったのだが、この意味深長な言葉を聞く限り、違うようだ。
「撫子さん、いったいどなたからこの琥珀を貰ったんですか」
 撫子さんは琥珀を片手に、自撮りポーズを取っている。
「ハルネ忠彦(ただひこ)、かっこ仮」
「かっこかり?」
「そう。わたしのおじいちゃん」

 つまり、おばあちゃんの夫にあたるひとよ。

「そんなかたがいらしたとは、初耳です」
「だって、初めて話すんだもん、当然よ」
 そして、パシャパシャと何枚かの写真をスマホに収めた。
「明日の裏山探検ツアーが楽しみだねぇ、金魚さん」
 はい。わたしも頷き、撫子さんのカメラの傍らに顔を寄せる。
「地元民の誇りにかけて、なんとしてもコンプしたいものね」
「はい。五色琥珀もありますし、あとは錆猫を探すだけです」
 最後は、二人揃って変顔で決める。
 
 いつもの裏山ハイキングが、わたし達の錆猫伝説探検(サビネコクエスト)に変わった瞬間だった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み